噺の話

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ちょっと古い記事だが、文蔵、白鳥、喬太郎の対談。

 柳家喬太郎が、ラサール石井の演出による、こまつ座の「たいこどんどん」に出演していることを知り、少し喬太郎のことを検索していたら、少し古いが、文蔵、白鳥、喬太郎の対談記事を、朝日新聞のサイト、asahi.comで発見した。

 テーマは、池袋。
 
 なかなか楽しい内容なので、紹介したい。
Asahi.comの該当記事

「無理して来なくてもいい」 人気落語家3人が“嫌われがちな池袋”を大いに語る
2017年10月13日

 「池袋が苦手」だという話をよく耳にする。統計があるわけではないし、イメージと言ってしまえばそれまで。だがしかし、新宿とはまた違った“怖さ”があり、何となく避けるという話を聞くことはないだろうか。池袋で修行し、いまもってその周辺に住まう橘家文蔵さん、三遊亭白鳥さん、柳家喬太郎さんはその曖昧なイメージについてどう考えるのか。池袋演芸場近くの居酒屋で、修行時代の思い出から知られざる池袋グルメまで、愛する池袋の魅力をたっぷり語っていただいた。

苦手なやつは来なきゃいいんだよ。

三遊亭白鳥(以下、白鳥):俺は大学3年から15年くらい池袋の赤線地帯だったアパートに住んでたんですけど、当時は危険な雰囲気でしたよ。池袋の駅からちょっと離れれば落ち着いてるけど、街なかは上品とは言えないよね。

文蔵:子どもの頃からこの辺ウロウロしてたけど、やっぱり北口のほうは怖そうな人がたくさんいたね。

喬太郎:俺も学生時代に寄席とかで来てましたけど、新宿って幅の広い怖さなんだけど、池袋は奥が深い怖さっていう感じがしましたね。でも、意外と住みやすい。要はイメージでしょう、池袋が嫌いって。

文蔵:おれはいまのところに住んで7、8年だから、芸人になってからの池袋歴はふたりよりも浅い。でも、池袋に来ると開放的になるもんね(笑)。

白鳥:ほっとする。外で飲むと疲れちゃうんですよ。

文蔵:そう。この人ね、浅草とかで飲むと「早く帰ろうよ」になっちゃうんだよ。

喬太郎:でも飲むのはさ、駅の向こう側(東・南池袋)じゃなくて、こっち側(北・西池袋)ですよね。

白鳥:そうそう。

文蔵:カウンターしかない焼きとん屋とかね。

 三人の“池袋愛”に満ちた会話は、この後も続く。

 私は、池袋ではあまり飲んだことはないのだが、池袋演芸場には何度も行っている。

 今年も、二度出かけた。

 新宿末広亭には、都合と内容との巡り合わせの悪さもあり、今年はまだ行っていない。
 
 池袋演芸場のあの空間が、なんとも言えず、好きだ。

 三人の対談には、イニシャルで美味い店のことも登場するので、そのうち探索したいと思っている。

 この対談では、こんなことも話している。

白鳥:多文化が入り乱れた場末のアパート。もうなくなりましたよ。みんなつぶしてマンションになってる。立地的には、駅まで3分くらいで行けちゃいますからね。

文蔵:そうだよね。すごいいいところに住んでたんだよね。

白鳥:それで家賃8000円ってどういうこと。まあ、そういう歴史もあり。でも今、(若手に話を)聞くとみんな風呂付の家とかね。

文蔵:うちの弟子なんかも「風呂がなきゃいやです」とか言って、家賃貯めながら住んでるよ。

白鳥:サラリーマンみたいになってきちゃってるもんね。

文蔵: 俺たちのころは、自由だったかもしれないなぁ。

喬太郎:このひと(白鳥師匠)が立前座(前座のなかで一番上)でさ、俺と扇辰っつぁんとで一緒に楽屋に入ったんですよ。なんかつまらなそうにしててさ。「お前たちはつまらない人間だ!」って言われて。「なんでそんなこと言われる必要があるんだよ、にいがた兄貴(白鳥師匠の前座名)」と、思ったけどね(笑) 。

白鳥:あの頃はね、とんがってましたよね。

文蔵:とんがってたっていうか、あんたもゆがんでたんだよ(笑)。

白鳥:いや、昔は本当に殴る蹴るが当たり前でしたからね。(三遊亭)歌武蔵兄貴が、あの巨体で「バカヤロー」って言って、(三遊亭)金時兄貴とか花緑兄貴をばちで殴ったりとかして。

文蔵:みんなね、戦ってたんですよ。それなりにね。

白鳥:芸人になろうなんてやつは、まともな人間じゃないんだから。それが今、サラリーマンみたいになっちゃってるから面白くない。


 入門順では、文蔵が昭和61(1986)年、翌昭和62(1987)年に白鳥、喬太郎は平成元(1989)年。
 二ツ目昇進は、白鳥が平成2(1990)年3月、文蔵が同年9月、喬太郎は平成5(1993)年の5月。
 喬太郎は、平成12(2000)年3月に真打に昇進し、二人を抜く。
 文蔵と白鳥は、翌平成13年に昇進。

 前座修業も同じ時期、二ツ目時代も長期間重なっている。

 年齢も、文蔵が昭和37(1962)年生まれで56歳、白鳥と喬太郎は同じ昭和38(1963)年生まれで、今年55歳と近い。

 三人について、まだ若手と思っていたが、いまや、東京の落語界を背負って立つ中堅と言うべきなのだろう。

 しかし、彼らの戦いは、まだ終わっていないはずだ。

 相手は、師匠も含む上の世代であり、同世代でもあり、台頭する若手、か。


 それにしても、時の経つのは、早い。

 拙ブログも、来月で満十年になる。
 
 志ん朝のマクラを借りるならば、「光陰は、あぁ~、矢のごとしだなぁ~」・・・なのだ。

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Commented by 寿限無 at 2018-05-10 15:07 x
西口に東武百貨店、東口に西武百貨店があって、ちょっと離れたところに三越がありました。
「池袋モンパルナス」といって芸術家村があったりしました。
「かなっくらんど」っていう名前でしたっけ、ありましたね。行きましたよ。
「池袋演芸場」の裏からロサ会館あたり一帯は確かに「……(*_*)……」であったりしましたね。
「自由学園」の方へゆくとお屋敷や住宅街でありますし、立教が小学校から大学まであり学園都市でもあったりします。
 つまり、三人の師匠が語っていますようにごちゃごちゃな街なのですよ。
昔の畳敷きの「池袋演芸場」は行きそびれてしまっていますがね。 
Commented by kogotokoubei at 2018-05-10 15:31
>寿限無さんへ

昔は、寿限無さんのい「庭」だったとうですね^^
私は、せいぜい、新文芸坐の落語会に行って、なんとも言えないネオン街の雰囲気を少しだけ味わった程度です。
あの三人に、そういったごちゃごちゃな街、似合いそうです。
Commented at 2018-05-10 16:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kogotokoubei at 2018-05-10 17:44
>鍵コメさんへ

そうでしたか。
貴重な情報、ありがとうございます。
Commented by saheizi-inokori at 2018-05-10 22:24
池袋はたしかに北西の方が面白そうです。
でも中華料理くらいしか知らないのだなあ。
Commented by kogotokoubei at 2018-05-11 10:10
>佐平次さんへ

北西の方ですか。

そうそう、新文芸坐の落語会の後、近くの居酒屋で居残りをしましたね。
そうしたら、出演者たちが打ち上げでやって来たのを覚えています。
Commented by at 2018-05-12 06:50 x
野心、野望、自負、傲慢、焦燥、不安。
青春のエッセンスの詰まった前座時代のハナシが大好きです。
特に師匠との間柄やライバルとの張り合いが赤裸々に語られるとき。
「みんなね、戦ってたんですよ。それなりにね」
文蔵の言葉に尽きるでしょうね。(因みに鈴本で聴いた『道灌』は面白かった)
Commented by kogotokoubei at 2018-05-13 14:47
>福さんへ

前座から二ツ目時代を共有した彼らには、ある意味で“戦友”的な感覚があるのかもしれません。
現役で『道灌』ベスト10を考えると、間違いなく文蔵は入るでしょう。
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by kogotokoubei | 2018-05-09 21:16 | メディアでの落語 | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛