『蒟蒻問答』における、沙弥托善の言葉。
2018年 05月 08日
先日の横浜にぎわい座で、三遊亭円馬の『蒟蒻問答』を聴いた。
この噺は、瀧川鯉昇をはじめ、何度も聴いている。
永平寺の雲水、沙弥托善と蒟蒻屋の六兵衛との問答があの噺の中核。
托善の問いに答えない六兵衛を見て、托善は「無言の行」と思い、手を使って問う。
沙弥托善が出した問いと、彼が六兵衛の答えを勘違いした内容は、仏教用語なのだが、いったいどんな意味なのか。
関山和夫著『落語風俗帳』(白水Uブックス)
関山和夫著『落語風俗帳』から、引用。
まず、噺のその問答と托善の誤解、六兵衛の言い分の部分を引用。
托善は、両手の人さし指と親指で丸い形を作って示す。六兵衛が両手で大きな輪を作ると托善は平伏する。ついで托善が十本の指を出すと六兵衛は五本の指を出す。托善は、また平伏し、指を三本出すと六兵衛は右の人差し指を目の下に当てる。托善は、あわてて逃げ出す。八五郎が追いかけて聞くと、
「大和尚のご胸中はとおたずねいたしましたるところ、大海のごとしとのお答え。二度目に十方世界はときけば、五戒で保つ。三尊の弥陀は、と聞けば、目の下にありとのお答え、とうてい及ぶところではございません」
一方、六兵衛は怒って、
「なぜ坊主を逃がした。あいつは、おれの商売を知ってやがって、手前(てめい)んとこのこんにゃくは、これっばかりだって小さな丸をこしらえたから、こんなに大きいぞと両手で輪をこしらえたところ、十でいくらだって値をきいた。少し高いが五百文だといったら、しみったれな坊主よ、三百文にまけろてえから、赤んべえをしたやったんだ」
よく出来た噺だなぁ、と思うが、では「十方世界」とか「五戒」、「三尊の弥陀」って何だ、という疑問が浮かぶ。
あらためて、引用。
仕草で落とす(サゲる)技巧は落語として申しぶんのない卓抜なものである。禅問答を熟知していることや「無言の行」「十方世界(インド仏教以来、方角を東・西・南・北の四方に東南・西南・西北・東北を加えた八方、さらに上・下を加えた十方を説く。十方世界、十方諸仏などは十方で全体を代表させる表現である」「五戒(在家信者のために制せられた戒。不殺生(ふせっしょう)戒・不偸盗(ふちゅうとう)戒・不邪淫(ふじゃいん)戒・不妄語(ふもうご)戒・不飲酒(ふおんじゅ)戒)で保つ」「三尊の弥陀(中尊は阿弥陀仏、左右の脇侍は観世音菩薩と勢至菩薩)」「目の下にあり」という専門用語の扱い方に仏教落語の真価を見ることができる。
最後の「目の下」は、仏教は自分の足元にある、という意味のようだ。
『野ざらし』とともに、托善正蔵と言われた二代目林屋正蔵による傑作も、こういう内容を知っていると、もっと高座を楽しめるように思う。
落語って、ためになるんだよねぇ。