2018年4月、北海道への帰省(3)
2018年 04月 24日


宮尾 登美子さんは、大正15(1926)年4月13日に高知県で生まれ、平成26(2014)年12月30日に、故郷高知で旅立たれた。
さて、なぜ、高知出身の宮尾登美子さんの文学記念館が、北海道の伊達にあるのか・・・・・・。
その理由の前に、この記念館のことを、伊達市のサイトからご紹介。
伊達市サイトの該当ページ
太宰治賞や直木賞など多くの文学賞を受賞している作家の宮尾登美子さんは、伊達市近郊の山荘で平成11年から15年までの間「宮尾本平家物語」を執筆し、その間市内でも講演会を行うなど多くの市民と交流を深めました。
その結果、市民の多くの皆さんから文化・社会教育の場として文学記念館建設要望が市に出され、平成17年4月に伊達市が当館を整備しました。
高知県出身で30代後半から文筆活動に始めた宮尾登美子さんは、直木賞受賞作の「一絃の琴」や「序の舞」「陽暉楼」「蔵」などのヒット作を続々と世に送り出し、その多くが映画化・テレビドラマ化されています。
当館には、宮尾文学の軌跡や代表作品を紹介するとともに、宮尾さん自身が愛用した着物や小物、机などを展示しています。
ということで、四年間、伊達の山荘で、宮尾さんは「宮尾版平家物語」を執筆した。

では、なぜ、伊達だったのか。
昨日、記念館で展示品を見ても、いただいたパンフレットを読んでも、伊達と宮尾さんの縁を物語る情報がなかったので、記念館の受付の方にお聞きした。
伊達とのご縁は、宮尾さんの小説の挿画を数多く手がけられた、画家の野田弘志さんが、とりもったらしい。
都会の夏が苦手だった宮尾さんは、どこか避暑に適した場所をお探しだったらしい。
お知り合いの野田さんから、伊達のことを教えてもらったことが、きっかけだったとのこと。
宮尾さんが亡くなった翌年の一月の週刊朝日に、追悼記事が載った。
AERA.dotから引用。
AERA.dotの該当記事
宮尾登美子さん 晩年“人付き合い絶つ”手紙を書いていた
2015.1.16 16:00
直木賞作家の宮尾登美子さんが老衰で亡くなった。享年88。
宮尾さんは、1926年に高知市に生まれ、芸妓(げいぎ)紹介業の家に育った。家業に対する嫌悪感は、のちに太宰治賞を受賞する自伝的小説、『櫂』を生み出した。
17歳で結婚し、教員の夫、長女と旧満州へ渡る。敗戦後1年あまり、難民収容所で過ごした。この壮絶な体験をもとに、極限状態に置かれた人間のエゴイズムをのちに描いた小説が『朱夏』だ。宮尾さんは、
「饅頭一つ欲しさに、赤ん坊の娘を市場で売ろうかとさえ思った」(週刊朝日98年11月27日号)
と、当時を回想している。
(中 略)
86歳になった12年春には、故郷の高知市で一人暮らしを始める。同じ高知市出身で親しくしていた作家の山本一力さんには、
「この年になると、いてもたってもいられない。高知が見たい」
と話していたという。
「この時期から、母は人生の整理整頓を始めたのでしょう。人付き合いを絶っていきました」(次女・環[たまき]さん)
――これから高知市に住みますが住所は未定です。申し訳ございませんが、手紙も電話も遠慮いたします。宮尾さんは、こうした文面のはがきを、仕事の関係者や知人、友人に送った。
人付き合いを絶ってから二年半後の12月、宮尾さんは旅立った。
このハガキを受けとった一人である野田さんのコメントが掲載されている。
宮尾さんの小説の挿絵を担当し、友人として付き合いの深かった日本画家の野田弘志さん(78)も、このはがきを受け取った。
「宮尾さんが平家物語の執筆のために北海道の伊達市に建てた山荘は、私の家から50メートルほどのご近所です。長年の飲み食い友達でしたが、はがきを境に宮尾さんの消息は、ぷつりと途絶えました。宮尾さんと40年来の付き合いがある作家の加賀乙彦さんも心配して、一緒にずいぶん宮尾さんの行方を捜しました」
加賀乙彦さんの『湿原』の挿画が、野田さんの出世作と言われている。
野田さんは、だて噴火湾アートビレッジのスーパーバイザーを務められている。
小説家と挿絵を担当した画家との縁が、この記念館につながっていったわけだ。
記念館には、手書き原稿も展示されているのだが、なんとも綺麗な読みやすい字に、驚いた。一字一字、丁寧に書かれたことが、分る。
宮尾登美子さんの人柄が、その文字には現れていたように思う。
展示されていた着物それぞれには、その着物の謂れや宮尾さんの思いが紹介されていた。
晩年は、故郷にお帰りになったわけだが、七十代に、きっと濃密な四年間を伊達の山荘でお過ごしになったのだろう。
宮尾登美子文学記念館は、まちの重要な文化的財産。
入場は、無料。
ご興味のある方は、来春、すぐ近くの「だて歴史文化ミュージアム」が開館した後にでも、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
亘理藩の伊達邦成主従が開拓した土地という歴史、そして、宮尾登美子さんと縁のある土地、歴史と文化の香りあふれるのが、「北の湘南」伊達なのです。
しかし、今日の散歩では、せっかく白壁で統一した商店街も、閉店した店が多く、シャッター通りに化していた・・・・・・。
さて、そろそろ中学の同級生との飲み会に出かけねば^^
たしかに、私の故郷に限らないですね。
幹線道路沿いに大型店やモールができ、街の商店街がさびれてしまう現象は、
全国的に同じでしょう。
子供の頃、小遣いの十円玉を握りしめて通った駄菓子屋さんなどが、跡形もなくなっているのは、しょうがないのかもしれませんが、やはり、寂しいものです。
