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葉室麟のエッセイ『河のほとりで』よりー(2)

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葉室麟著『河のほとりで』(文春文庫)

 この本から再び。

 藤沢周平について書かれた章。
 まずは、葉室麟に藤沢周平のことを紹介してもらおう。

 藤沢周平文学
 たじろがず 過去を振り返る ひそやかな強さ

 藤沢周平さんは時代小説の大先達だ。わたし自身、藤沢作品をこよなく愛するファンのひとりでもある。
 七月に山形市に行く機会があったおりに、鶴岡市の藤沢周平記念館を訪れた。
 藤沢さんは昭和二年に山形県東田川郡黄金村大字高坂(現鶴岡市高坂)に生まれた。
 山形師範学校に学び、中学教師となったが、結核が見つかって休職、教師生活は二年間で終わった。六年余の闘病の後、東京の業界新聞社に就職した。仕事の傍ら小説を執筆し、昭和四十八年、直木賞を受賞した。四十五歳のときだ。故郷の鶴岡市では、藤沢さんの業績を讃えて、藤沢さんの書斎を再現し、自筆原稿や創作メモなどの資料を展示する市立記念館を建設、四年前にオープンした。

 この文章が西日本新聞に掲載されたのが2014年9月。だから、記念館は2010年のオープンということになる。
 藤沢の直木賞受賞は昭和47(1972)年の『暗殺の年輪』。

 葉室麟は、記念館で『風の果て』の特別展示を見たようだ。

 藤沢作品の中でも『風の果て』は特に好きだ。どこが好きなのかと言えば、中年にさしかかた男が過去を振り返らざるを得なくなったときの視線に思いがけないほどの温かさがあるからだ。
 生きていくことは過酷で、何かを得ていくことは、同時に大切なものを捨てることである。それだけに過去を振り向くには難しい。自分が見たくないものを見ようとはしない。蹉跌の苦情やひとを傷つけたかもしれない自らの傲慢さから目をそむけてしまう。しかし、藤沢作品には、たじろがずに過去を振り返るひそやかな強さがある。

 この文章を目にして、葉室麟がどれほど藤沢作品から影響を受けてきたかを知った。

 葉室が藤沢作品について評した、“たじろがずに過去を振り返るひそやかな強さ”は、葉室作品の主人公に、そのまま当てはまると思うからだ。

 この文章の後、藤沢が教科書に載っていた佐藤春夫の詩「望郷五月歌」を暗記していたことが『半生の記』に書かれていると、同詩の一部を紹介している。

 その『半生の記』で、藤沢が戦時中にクラス全員で予科練志願すべきと、級長として国を憂うる正義派ぶって級友をアジったことを悔いていることを葉室は紹介している。

 そして、こう言う。

 軍国主義の時代、戦争協力を当然のごとく叫び、意に従わない者を声高に非難した<愛国者>は多かったに違いない。だが、戦後になって、そのひとたちは自らがしたことを悔いただろうか。手のひらを返したように「仕方ない」ですませたのではないか。
 自らがしたことを後悔する誠実さ、やさしさは現代になって失われつつあるものだ。
 いまもなお藤沢文学がひとを癒やすのは、時代の波に押し流されない「悔いるやさしさ」があるからだ、とわたしは思う。

 「悔いるやさしさ」は、その根底にある「悔いる強さ」は、藤沢作品に魅かれた葉室麟の作品にも、感じるものだ。

 良き読み手が、良き書き手になったのだなぁ、と、このエッセイを読んで強く感じた。

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by kogotokoubei | 2018-04-16 21:42 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛