葉室麟のエッセイ『河のほとりで』よりー(1)
2018年 04月 13日
まだ六十代後半だ。
発行されている作品の七割位は読んでいると思う。
実在の歴史上の人物がモデルの本もあるし、フィクションもあるが、登場人物につい感情移入してしまう名作、佳作が多い。
これから、まだまだ歴史時代小説好きを楽しませてくれると思っていたので、残念でならない。

葉室麟著『河のほとりで』(文春文庫)
『河のほとりで』は、その葉室麟のエッセイ集。
2月に文春文庫のオリジナルとして発行。
内容の大半は西日本新聞に掲載されたものだ。
「書物の樹海で」の章は、他の作家の作品の解説が中心。
その中の2015年4月発行の山本兼一著「おれは清麿」の解説から引用したい。
山本兼一さんとは生前、安部龍太郎さん、伊東潤さん、佐藤賢一さんととものに歴史座談会でご一緒したことがある。
座談会が終わって、中華料理店での打ち上げで山本さんの隣に座らせていただいた。にぎやかに雑談しながら、ふと横を見ると、山本さんはいつもにこやかな表情で杯を傾けておられた。
聡明で人徳のある方だという印象だった。
それだけのご縁だったと思っていたが、振り返ってみると、山本さんが『利休にたずねよ』で直木賞をとられたとき、わたしも候補のひとりだった。
このときは、同じ時代小説家の北重人さんも候補だった。五十歳過ぎの歴史時代小説家三人がそろって恋の話を書き、直木賞候補になっていると、ある新聞に書かれた。
この第140回直木賞、葉室は『いのちなりけり』、北重人は『汐のほとりで』で候補になった。
『いのちなりけり』には続編があり、その『花や散るらん』も直木賞候補になった。
この二冊を通して、雨宮蔵人と咲弥という男女の数奇な人生を中心に、赤穂事件の背景への独自の解釈で味付けをしたもので、たしかに、『いのちなりけり』だけでは、直木賞選考委員も本命とは推しずらかったかもしれない。
引用を続ける。
初候補のわたしにとっては、照れくささもあり、晴れがましさもあった。しかし、三人のうち、北さんは直木賞候補の翌年に急逝され、昨年、山本さんも永い眠りにつかれた。
残されたひとりとしての寂寥感はもちろんあるが、それ以上に逝かれた山本さんや北さんが何を作品に込められていたのだろうか、と日々、考えてしまう。
三人とも作家としては中年になってからの<遅咲き>のデビューで歴史時代小説を書くにあたっては、それぞれの人生と重なり合う思い入れがあったはずだ、と思うからだ。
その葉室麟も、永い眠りについた。
読者である我々の寂寥感は、まだ癒されない。
もう新作がないと思うと、まだ読んでいない作品を、急いで読む気になれないのだ。
このエッセイ集では、藤沢周平、司馬遼太郎という先輩歴史時代小説作家について書かれた文もあり、次回は、その中からご紹介するつもり。
面白かったことだけは覚えていますが。
