毎日新聞の「ぶらっと落語歩き」連載終了で、思うこと。
2018年 04月 11日
同新聞の記事から引用。
毎日新聞の該当記事
記者の目
「ぶらっと落語歩き」連載を終えて 街の未来図、探しながら=濱田元子(論説室兼東京学芸部)
2018年4月11日 東京朝刊
古典落語を手がかりに、東京の「今」に、江戸の「昔」を探す。そんなたくらみから2013年4月、落語家の春風亭一之輔さんを案内人に始めた連載「ぶらっと落語歩き」(東京本社版朝刊)に、この3月でひと区切りつけた。振り返れば、「花見の仇討(あだうち)」から「三味線栗毛」まで56の噺(はなし)を取り上げた。往時の面影はほとんど失われてしまった東京だが、落語を重ねてみることで、埋もれた“地層”から思いがけなく江戸のかけらを見つけたことも少なくなかった。街も人も変わりゆくなかで、変わらないものもあっていい。どんな街で、どう生きたいのか。今またあらためて突きつけられているような気がする。
結構楽しみにしていた。
埋もれた“地層”から思いがけなく江戸のかけらを見つける、なんて、なかなか味のある表現。
引用した内容の先は有料記事なのが、残念。
「三味線栗毛」の最終回からも、少し引用。
毎日新聞の該当記事
実は雅楽頭は実在した大名の名前。というわけで、一之輔さんとやって来たのが、かつての江戸城、今は皇居の大手門の前(東京都千代田区大手町1)。現在の大手町・丸の内かいわいは大名小路と呼ばれ、武家屋敷が建ち並んでいた。その中でも大老になれる家系であった酒井雅楽頭の屋敷があったのは、大手門のすぐ近く、江戸城に面した“一等地”だ。『三味線栗毛』、現役なら喬太郎の高座を思い出す。
武家屋敷の面影はまったくなく、代わりに大企業のオフィスビル街へと変貌。皇居と堀が往時の名残をとどめる。
「雅楽頭ってすごいよねえ。こんなところに屋敷を持ってたなんて。登城にも遅刻できないですよね」。大手町はホール落語会が多く、一之輔さんにとっては意外となじみの場所。「ランチタイムになるとタイ料理とかいろんなものを売りに来てますよね。そんなに高くないんです」
このあたりの光景が一変したのは明治の初期。1871(明治4)年、雅楽頭屋敷跡に旧大蔵省の庁舎が置かれ、74(同7)年には旧内務省と合同の木造2階建ての新庁舎が建設された(1923年の関東大震災で焼失)。さらに時代は下り、現在は三井物産と三井不動産による大規模再開発工事の真っ最中。2020年2月末には2棟の高層オフィスビルが建つ予定という。
2020年に向け、ますます、江戸のかけらを発見できる地層は、深くなるばかり。
サイト「はなしの名どころ」の管理人、田中敦さんの本『落語と歩く』に関する記事で紹介したが、田中さんは、時代とともに失われる落語の舞台について「文庫(アーカイブ)」をつくる必要性があることを主張されていたが、まったくその通りだ。
ほおっておくと、どんどん、落語の舞台は面影がなくなったり、その地名が味も素っ気もないものに変わってしまう。
このちっぽけなブログででも、何かできることを考えたい。
毎日の連載については、別な噺家さんで、再開を期待している。
新シリーズは、ぶらっと歩きながら、小さな木札でもいいので、落語の名所案内を残すなんて企画はどうだろう。
