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『正蔵一代』より(3)ー旅で出会った、志ん生の思い出。

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 青蛙房『林家正蔵全集』別巻の『正蔵一代』から、三本目の記事。

 数え年十八で、三遊亭三福に弟子入りし、福よしとなった岡本義少年。

 前回ご紹介したように、三福は桂小南などがいる三遊分派に属していたが、この一派は長続きしなかった。
 そこで、福よしは、旅興行に参加した。
 
 もちろん大真打なんぞァいやしません。一番の頭株が、数年前に亡くなった立川ぜん馬(鳥井兼吉)さんです。
 あの人は、もともとは“鼻”の圓遊さんの弟子で、そのころは遊福でしたかねェ、旅のあいだは右圓遊っていってたかなァ。それから本名を川崎仙太郎といって、のちに橘家花圓蔵となりましたが、その時分に三遊亭遊橋といってましてね、もともと芝の薪屋のあるじで、川柳なんぞもうまくって、世事には大変長(た)けてる人なんで、これがまァ参謀格なんですよ。
 (中 略)
 まァそういう一座にあたしも入れてもらって、静岡だとか浜松とかをまわるんですけども、途中で抜けるやつもあるし、また、何処かから駈けこんできて仲間にはいるやつもいるし・・・・・・というような按配で、だんだん打って行って、焼津から浜松の勝鬨亭って小屋へあがったもんです。
 そン時に、こないだ亡くなった志ん生と、初めて出会ったんです。

 本書の発行が昭和49年9月。志ん生は、この発行日から、ほぼ一年前に亡くなっている。東大落語会のメンバーが稲荷町で正蔵に話を聞いた時点では、たしかに“こないだ”のことだったのだろう。

 どんな出会いだったのか。

 そのころは朝太といってたでしょうね。やっぱり旅まわりでほうぼうを歩いていて、落語の一座があったらとび込もうと思ってたんでしょうが、それもないんで、しょうがなくて、一文なしで宿屋へ泊まったんですね。それで無銭飲食のかどで警察へ突き出されたってんです。と、その時分ですから、区裁判所かなんかへ送られたんじゃないんですかね・・・・・・途中で、われわれ一行のビラを見たんです。それでその検事って人が大変情けのある人で、
「おまい噺家だな」
 ってんで、今、道で見た勝鬨亭のあの一行を知ってるって奴が言ったもんだから、勝鬨亭のほうへ、だれか出頭してくれって差紙が来たんです。
 するとこの勝鬨亭のあるじってえのが馬淵さんてえまして、まァ田舎政治家といったようなもんで、そういうことには慣れてるから、おめず臆せず出頭して行ったならば、その件なんで、
「この噺家が、おまえンとこにかかってる芸人の中ははいりたいと言ってる。宿屋の代金を払えば潔白な身の上になる、疵をつけなくないから、なんとか協力してくれないか」
 代金ったって大した金じゃァないんですよ。で、馬淵さんが即金で上納して、やつを引き取ってきて、ま、われわれの仲間へ入れてくれってわけなんで。

 あらら、志ん生、当時の朝太は無銭飲食でつかまっていたんだ。

 正蔵が印象深く覚えている、志ん生との初対面の出来事。

 あくる朝になってね。どうせわれわれァみんな楽屋へ泊まってるんですから、田舎の寄席で、戸外(おもて)に水道があって、そこィバケツを持ち出して顔を洗うんです。で、やつとあたしと顔を洗っちゃってから、あいつが、
「おい、ちょいとまんだら貸してくンねえか」
 まんだらてえのをあたしがまだ知らないんですねェ、噺家になりたてだから・・・・・・。
「おゥ、手拭いだよ」
 って言われて、手拭い貸してやった、というような仲なんで・・・・・・。ですから彼とはずいぶん古くから知り合ってるんですよ。

 この時分の志ん生は、最初は師匠二代目小圓朝の旅興行について行ったのだが、明治天皇崩御で師匠が東京に戻ったのに、自分は帰らず旅を続けていた。

 そんな時に、福よしの正蔵に出会ったということか。
 宿代も払えない状況で、手拭いすら持っていなかったわけだ。

 二十代前後で出会った二人。 
 
 正蔵は、志ん生について、こう回想している。

 過去が過去だから、彼の薄情なところも、そっくり知ってますしね。あいつのほうが先ィえらくなって、こっちァまだちっともえらくねえ、と、
 「義(よ)ッちゃん、おまいとはずいぶん苦労したねェ」
 ってことは・・・・・・人前では決して言わない。あたしとふたりッきりになると言うんですよ。そういうところが、死んだ金馬にちょいと似てましたね。金馬も、あたしがあすこの家ン遊びに行って、
「一ぱいつけるから飲んでけよ」
 なんてえ時には、しみじみと話をするんだけども、だれか一人でもそこにいた日にゃァ、もう、はっきり格差をつける・・・・・・そういうところがありましたよ。
 でも、あたしが志ん生に感心してるのはねェ、彼がそう言いましたよ。
「おれァ警察に引っぱられてな、縄付きンなって検事局にも行ったけども、留置場ン中でおれァ毎晩噺を稽古してえた」
 これがあいつの生涯の魂でしょうねェ。

 いい話だなぁ。

 この後には、子供ができてから、一番安い遊び場所が上野の動物園で、志ん生親子と正蔵親子は、たびたび動物園で親子連れで顔を合わせた、という思い出が語られている。
 なぜか落ち合う場所は、河馬の檻の前だったらしい。

 さて、今回は、若き正蔵と志ん生との出会いのお話だった。

 次回は、もう少し時代が先のことになる予定。


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by kogotokoubei | 2018-03-28 12:33 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛