噺の話

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『正蔵一代』より(1)ー落語国の登場人物に囲まれていた幼少期。

 二月末で閉店した池袋の古書店、八勝堂で買った三冊の本。

 その一冊は、噺家の川柳の師匠であった坊野寿山による『粗忽長屋』。
 鹿連会と名づけた川柳の会を通して、寿山にしか語ることのできない噺家たちの逸話を、いくつか紹介した。

 また、林家正蔵『芸の話』からは、“とんがり”の正蔵ならではの内容の一部を記事にしたばかり。

 実は残る一冊も、八代目林家正蔵の本。

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 青蛙房の『林家正蔵全集』別巻の『正蔵一代』である。
 昭和49(1974)年9月25日の初版。
 その後、新装版は、正蔵の写真を表紙にして発行されているが、八勝堂で手に入れたのは、シンプルな紺地表紙の初版。

 『芸の話』とほぼ同じ時期の発行だが、こちらの方が少し遅い。
 
 東大落語会の編集で、原稿化は若い人々、監修と“動き”の記録を吉田章一さん、演目解説のまとめを保田武宏さん、芸談・身の上ばなしを山本進さん、という分担だったとのこと。

 それぞれ、個人でも落語関係の著作をものにしている落語通だ。

 しかし、その中の山本さんも、ご苦労なさったようだ。

 「あとがき」で次のように書いている。

 うかうかと引き受けたのがまちがいで、これはやはり私の任になかったのではないか・・・・・・と考え出した理由はいくつかある。ひとつには、正蔵師自身が大そう筆の立つかただということ。もうひとつは、麻生芳伸氏による『林家正蔵随談』と柳家紫朝師による『芸の話』が、すでに世に出ているということ。そうして、最後で最大の理由は、私自身がこれまで正蔵師の“芸”と“人”とをあまりにも知らなすぎたということである。
 あの山本さんにして、収録したテープ、二十時間の内容で、初めて知った“芸”と“ひと”が盛り込まれているということになる。

 目次を並べてみる。

 ・浅草育ち(明治二十八年~明治四十四年)
 ・かけだしのころ(明治四十五年~大正八年)
 ・圓楽時代(大正九年~昭和二年)
 ・馬楽時代(昭和三年~昭和二十五年)
 ・正蔵一代(昭和二十五年~)
 ・怪談噺・芝居噺

 最初の「浅草育ち」では、生まれ育った環境や家族などが詳しく書かれているのだが、その内容に、岡本義(よし)少年の周囲には、落語国の登場人物が生きていたのだなぁ、と思わないではならない。

 まず、お父上のこと。

 三歳(みっつ)の年に、おやじとおふくろとが別れまして、それで、おふくろが子供ふたりと自分の母親・・・・・・つまり、あたしと姉と、あたしのおばあさんですね・・・・・・それを連れて、浅草へ来たんです。
 おやじってのは、初めは“にんべん”あたりの大きな鰹節屋の通い番頭だったそうですが、その後、道楽をして、牛太郎(ぎゅうたろう)ンになったんですね。まァ、筆がたって、人間もきっとしっかりしてたんでしょう、その仲間の、今の言葉で言やあ、ボスですね、他人(ひと)の世話もする、というようなわけで・・・・・・。あたしたちが浅草へ越してきてからも、いわゆるその、子分の人がね、訪ねてきてくれたもんですよ。

 このように、お父さんが、“牛(妓夫)太郎”であり、仲間から慕われる“兄い”とでも言える人だったのである。
 まさに、落語の重要な登場人物である。

 お母さんの血筋にも、こんな人たちがいる。

 おふくろは、岡本かねというんですが、実家が鎌倉河岸で岡本屋ってえ船宿をしてましてね、そこの倅が鳶の者になった・・・・・・これがつまり、あたしのおじいさんにあたるわけなんです。その鳶の者と女房のあいだィできたのがおふくろで、ひとりッ子だったらしい。ですから、その母親、つまりあたしにとってのおばあさんを引き取って、一緒に暮らしてたわけなんです。
 このおばあさんというのが、人間もしっかりしてるし、針仕事のうまい人でしたよ。鳶の者の女房ってえものは、針が持てないとだめなんですってね。火事場へ着てった刺ッ子なんぞは、それァ今と違って、一ン日も二日も燃え続けているでしょう、だからもう、ずたずたンなって帰ってくるんですってさ。それをほとんど新しいように、きれを当てがって刺すってえのが鳶の女房の役目なんです。それであの、糸をね、額の生えぎわの髪の毛へ当てがって左右にこう、きゅッきゅッとしごくでしょ?しょっちゅうしごいてるから、そこンとこだけ禿げてましたよ。もう今はそんな人ァ見かけませんからねェ。

 あら、母方のおじいさんは、鳶。
 鳶の女房だったお婆さんは、刺子を直す、針仕事の達人。

 これまた、落語に不可欠なバイプレーヤー達ではないか。

 次に、お母さん自身のこと。

 申し上げたように、あたしが三歳(みっつ)の年に、おやじと別れてから、浅草田町に来ましてね、それでおふくろは吉原の“おばさん”になったこともあるんです。もちろんあたしは、おふくろが吉原の遣手(やりて)になってるなんてことは、その時分には知りませんでしたけども、何年かたってからねェ、やっぱりその時分のお客がうちィくるんです。これがその、まじめな相談でくるんですね。つまし、勤めをしている妓(おんな)と夫婦約束をして、
「あたしァ一生懸命に稼いでいるから、おばさん、よろしく頼む」
 なんてね、そういう、まァ人生相談所みたいなわけで・・・・・・。
 このおふくろも永生きしました。この稲荷町の家で死んだんですがね。

 あら、お母さんが、吉原の“おばさん”もしていたんだ。

 近所にも、こんな人がいた。

 あたしが住んでた家(うち)の持主じゃァないんだが、少し先のほうの長屋を何軒か持っているという家主(いえぬし)が、実に落語の中ィ出てくるような典型的な人物なんですよ。禿げ頭でもって、
「南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう・・・・・・」
 って、お題目を唱えながら往来へ水を撒くんですが、
「八百屋さん、そこィ荷車置いちゃいけねえ」
 とか、
「魚屋さん、その、盤台をもっとこっちィ寄せな」
 とか、いちいちその、小言を言ってね、おもしろござんしたよ。

 まさに『小言幸兵衛』や『小言念仏』のあの爺さんではないか。


 正蔵の周囲には、今では落語でしか知ることのない職業や境遇の人々が、当たり前のように生活していた。

 そんな日常、環境の中で、自然と芸の世界に飛び込んでいったように思える。

 次回は、「かけだしのころ」から、ご紹介したい。

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Commented by 寿限無 at 2018-03-26 13:38 x
正蔵師匠のお話しはまだ続くのですね。
ところで、桂文枝(三枝)は、会長を退任することになったそうですね。
Commented by kogotokoubei at 2018-03-26 13:49
>寿限無さんへ

そうなんです、まだ続きます^^
会長退任、当然ですね。
次期会長は彼でなかければ誰でも結構。
Anyone But Sanshi(ABS)です。
政治は、
Anyone But Abe(ABA)ですね。
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by kogotokoubei | 2018-03-26 12:36 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛