“とんがり”のお話(5)ー林家正蔵『芸の話』より。
2018年 03月 25日
林家正蔵の『芸の話』から、五つ目の記事。
『民族芸能』に連載された随筆の「噺家の手帖」からご紹介。
こんな楽しい提案があった。
悪口雑言デー乗物の席のことなどは、私も毎日のように感じている。
近ごろの世相は勝手気儘の行動を自由主義と思い違いしている事象が多すぎるようだ。乗物の中で少し席を譲り合えば、もう一人掛けられるのに一切黙殺だし、落し物を拾って手渡ししても一言の礼もいわぬ人、湯へ行って扉をあけると中から出てくる人、湯屋の扉は自動装置ではないはずだ。他人に開け立てさして出入りをするのは、キャバレーか刑務所ぐらいなものだ。
この、キャバレーか刑務所、というたとえが、実にいいねぇ^^
さて、とんがりは、この後、どう続けるのか。
かかる非常識きわまる人類を教養づけるために「悪口雑言デー」を設けることを提案したい。
この日に限り他人の悪口雑言には悪口雑言をもって応酬し、決して暴力には訴えぬという紳士的態度で、週に一回でも月に一回でもこんな催しがあったら愉快なことであろうと思う。
なかなか楽しそうな記念日(?)ではないか。
とんがりの、非常識きわまる人類への応酬は、こんな調子だ。
電車の中で上衣のボタンをかけておかないので隣りの人が座席に坐ると上衣のスソを尻にしかれるから邪険にひっぱる人ーには、
「上衣のボタンを一ツはめておくとスリが取りにくいといいますよ。上衣のスソなんか他人の尻になったって痛かァねえんだから、そのまンまにしておけッ。しみったれめッ」
いいねぇ、この啖呵!
次に紹介したいのは、ごくごく短いのだが、弟子に関する楽しい内容。
噺家らしさ
私が腰を痛めて一週間病臥した。弟子の中で柳朝独りだけ見舞に来ない。呼んで小言をいってやろうと電話をすると「誰かしくじったんですか?」「お前だよ」「じゃ明日連れて行きます」「・・・・・・」
これだけ^^
柳朝は、いったい誰を連れて行ったのか^^
このシリーズのトリは、正蔵十三歳の時の思い出。
昔は貧乏人の子倅は義務教育(尋常小学)が終了するとすぐ奉公に出された。私も型のとおり小僧に住み込んで十ヵ月経って、正月の藪入にいそいそと懐しいわが家を訪ねると他人が住んでいる。驚愕とはこのことだ。移転したことは主家へ出入りの人に伝言を頼んだのだがその人が忘れたとは後でわかったが、その日は私は食事もせずに狂気のように探し歩いた。トド、お寺の離れ家ににいたのだが、便所の手洗いの所にかけてあった手拭いが私が家にいたときに使っていた品だ。「お母さんッ」障子を開けて泣きながら飛び込むと、お婆さんお母さん姉さん夫婦みんないた。もう夜になって電灯が点いた。十三の子供であった私は主家へ帰る分別を失った。あの手拭いが私を噺家にしたのかな。
岡本義(よし)少年の運命を決めたのは、この手拭いだった、ということか。
さて、これにてこの本からの“とんがり”のお話はお開き。
昔、彦六師匠の噺をよく聴きに行ったことを思い出しました。
彦六師匠のような噺家が少なくなりましたね。
ところで、現在の正蔵は、彦六師匠から稽古をつけてもらったことはあるのでしょうかね?
楽しんでいただき、幸いです。
私は生で八代目を聴いたことがないので、羨ましい限りです。
当代の正蔵は、八代目に稽古してもらったことは・・・あるのかなぁ。
なさそうに思うのですが、実際のところ、残念ながら分かりません。