“とんがり”のお話(4)ー林家正蔵『芸の話』より。
2018年 03月 23日

林家正蔵の『芸の話』から、四つ目の記事。
今回は、正蔵の芸の師匠について。
あたくしが、噺を教わったのは、三遊亭一朝老人、当時はまだ、三遊亭円楽といってましたが、直接あたくしが教わったのはこの人です。名人円朝の直門で、慶応元年に十九歳で円朝門下となったんですからネ。「三遊の稽古台」といわれるくらい噺の数も多い人でした。先代の円生さんも、つい先頃亡くなった文楽さんだって、この人には一つや二つの噺は教わっていますし、現在の円生さんもたしか教わっているはずです。円朝師匠の芸はあらましこの人が継承していますので、このお爺さんのところへいちばん稽古に通ったあたくしと、いまの今輔(古今亭)が、円朝の噺を多く吸収できたというわけです。前座、二ツ目の噺から、真打の噺、それにお家芸の怪談噺にいたるまで、このお爺さんに教わりました。
一朝は、正蔵もそう言うように、三遊亭一朝とも呼ばれるが、ご本人は三遊と言っていたらしい。
その前が二代目の三遊亭円楽、短い期間だが初代の三遊亭小円朝でもあった人。
ご本人の高座は、それほど高く評価されなかったようだが、“稽古台”としてうってつけの方だったようで、正蔵が述懐しているように、多くの後輩が稽古をつけてもらったという。
引用を続ける。
今輔が芸術協会のほうへ行って、新しい型の、例のお婆さんもので売り出しちゃいましたが、当時、あたくしが二三蔵でかれは桃輔といったころの同門ですよ、二人で、当時浅草栄久町にいた一朝爺さんのところへ夢中になって通いましたよ。
いまあたくしの演(だ)し物のあらかたはこの一朝老人から教わったものです。もっともそのころはお手本になるような師匠の噺がふんだんにきくことができましたがネ、四代目さん(小さん)にも芸風で影響もうけましたし、品川の師匠(円蔵)には、「首提燈」とか「お血脈」「蔵前かご」なぞで影響をうけますしネ、また、たとえば「五人廻し」なぞでは、さいしょの妓夫太郎と客のやりとりとか、さいごのほうのおもしろさにひかれましたし、なかで、ポンポン啖呵をきるところなぞは、円右師のものですし、田舎侍が出てくる場面になるとなんといっても三語楼さんのがよかった・・・・・・ってな具合で、楽屋できいていて、それぞれの師匠のそうした良いところを、自然のうちに吸収していくんですネ。
一朝老人、あるいは一朝お爺さんと、正蔵は親しみをこめて呼ぶ。
一朝お爺さんにはネ、あたくしも今輔もネ、仕込んでもらった・・・・・・ってえことですよネ、ネタをふやす、という目的じゃなくて、“芸”を仕込んでもらうということは、こりゃァちがいますからネ、もっとも芸を仕込んでもらうといったって、毎日毎日行くんですから、むこうだって、そうそうは疲れちまいますから、どうかすると、雑談だけで終わっちゃうこともありますがネ、その雑談もあたくしたちにはなにかとためになることが多うございましたよ。そんななかで、ピリッと、どっかきびしいことも教えてくれたもんです。あたくしが今でもいちばん覚えていることは、「芸人だから、情婦(いろ)はつくってもいいが、女房にすると言っちゃいけないよ」・・・・・・なんて言われたもんです。こりゃァいい言葉ですよネ。
噺のみならず、処世術も一朝お爺さんは伝授してくれた、ということか。
一朝お爺さんへの恩に正蔵は夫婦で報いた。
聞き手の紫朝が、マキ夫人の言葉を含め、こう書いている。
ところで一朝老人が、昭和五年十一月、八十五歳で亡くなるまで、しばらく寝たっきりになってしまう。入谷の借家の二階に寝かせた「お爺さん」の面倒見はマキ夫人の役、下(しも)の世話からなにからなにまで、ちょうどそのこと何番目かのお子さんをみごもっていたマキ夫人は、ひんぱんな、二階へのあがりおりに、流産してしまう。でも愚痴一つこぼさず、最後の最後まで「お爺さん」にはつくした。
かと思うと師匠の芝居噺の道具をはこぶ大八車のあと押しをしたり、質屋通いから内職、それに育児と一人三役四役を背負って、あたりまえのことのようにやりぬいてきた。
「関東大震災で家が焼けちゃったでしょう、あたしには震災さまさまでしたよ、だって嫁にくるとき持ってきたものも全部焼いちゃっいまして、姉たちに言えますもんネ、それまでは、なんかちょっと家に行きにくかったのが、それ以来平気なんですよ、そしたら姉たちがまた着物なんかこさえてくれてネ、オッホホホ・・・・・・」
正蔵師匠の若さの一因を、このおかみさんから汲みとることができそうだ。
こんなできた女房がいたら、一朝お爺さんの助言がなかろうと、とてもとても情婦に向かって女房にする、なんてぇことは言えやしないか。
一朝お爺さんの最後を看取った後、世の中には軍靴の音が響き、正蔵も大陸に慰問に行ったことなどは、すでにご紹介した通り。
これまでの記事は、「その一 噺家のはなし」からの引用。
「その二 怪談ばなし」は、『真景累ケ淵ー水門の場ー』の口演内容。
「その三 噺のはなし」は、拙ブログと同じお題だが、正蔵ならではのマクラも紹介されていて、なかなか楽しい。つい、大須の志ん朝の音源からマクラを聞き書きしたことを思い出す。しばらく、やってないなぁ・・・・・・。
「その四 噺家の手帖」は、最初の記事で紹介したように、「民族芸能」誌に掲載された随筆だ。
次回、その随筆からなにかご紹介して、このシリーズはお開きの予定。
