『二番煎じ』ー江戸の冬の情景が浮かぶ、時代考証的にも貴重な噺。
2017年 12月 28日
それも、居残り会創立メンバーの仲間であるYさんと前後半交代で、と居残り会リーダー佐平次さんからのお言葉。他人まで巻き込んでしまった^^
今、携帯音楽プレーヤーで、古今亭志ん朝の昭和56年のSONYの音源(大阪毎日ホール)と、平成5年の大須の音源を聴き勉強(?)を始めた。
43歳と55歳の音源は、もちろん、声には年齢の差が出ているが、どちらも良いのだ。
志ん朝版を元に、大須ならではのマクラは別として、こんな構成。
①火の廻りをする時代背景
火事と喧嘩は、江戸の華と言われるほど、江戸時代には、火事が多かった。
各町内に番小屋を置き、常雇いの火の廻り(番太郎、略して番太)を雇った。
しかし、この番太は、血気盛んな若者というわけにはいかず、「血気なんてぇなあ
かなり前になくしたような」お年寄り、それも「若い時分に、ちょいと世の中
やりそこねちゃった」というようなお年寄りがなるもんだから、つい、一杯飲んで
火の廻りに出て、小屋に戻ると寝てしまい、そういう時にボヤが大火となったり
したものだから、町内の各家から一人づつ小屋に集まり、自分たちで火の廻りを
するようになった。
②火の廻り
月番の提案で、二組に分けて、片方が回っている間、もう片方は番小屋で休む
ことにしようということになる。
月番が言い出しっぺだから「一の組」になるといい、仲間に伊勢屋、黒川先生、
辰つあん、宗助さんを選ぶ。伊勢屋が鳴子、黒川先生が拍子木、辰つぁん
は金棒、宗助が提灯と役割を分担。寒いものだから、伊勢屋は鳴子を帯に紐を
挟んで膝で打っているから、バサバサとしか鳴らず、黒川先生は拍子木を袂に
入れて着物の上から当てるからコツン、コツンとしか響かない。金棒が冷たい
辰つぁんは紐を指に通して引きずっているから、ズルズル(引きずる音)、
カターン(石に当たった音)、パシャーン(水たまりに落ちた音)、という具合。
掛け声にしても、宗助は、まるで売り子の呼び声のような調子で、「えっ、え・・・
火の用心、火の用心、えー、火の用心・火の廻り、火の用心はいかがですな」とやって
月番に「売っちゃいけない」と叱られる始末。黒川先生は、謳いの調子で、
「(拍子木の音)コツーン、コツーン、ひのよう~じん、ひのぉ~まわ~り」と
やるが、とても火の廻りにならない。伊勢屋は、習った新内節の調子で
「(三味線)チャチャチャチャーン、ひのぉーようじん、ひのぉーまわ~り、
たがいーに、ひもとーを、きをつけーぇーえー、(一調子上がって)まぁー
しょう」となるから月番から「自分ばかり気持ちよくなったってしょうが
ないんだよ」と小言を喰らう。
さて、次が辰っつぁん。前半の火の廻りの聞かせどころなので、少し詳しく。
辰 素人には無理なんすよ。あっしなんざはね、若い時分に道楽が
元になって勘当されてね、なか(吉原)の頭のところに転がり込んで、
火の廻りやったことがありますよ。あいつは、またねぇ、ナリの拵えが
いいんだ。ねぇ、腹掛けに股引(ももしき)、刺し子の長半纏を着てね、
算盤玉の三尺を締めて、首んところに豆絞りの手拭いをキュッと結んでね、
こんな恰好をして、腰んところに提灯だ、金棒持ってこやって、チャーンと
歩いてる。ねぇ。そうするってぇと、女が皆心配してくれるよ、ねぇ。
私たちのために火の廻りをまわってくれるんだ、嬉しいねぇ、なんてね
『ちょいと、火の廻り、ご苦労だね。こっち来て、まぁ一服やっておくん
なまし』なんてんでね、煙管の雨が、降るようだ
月番 なにを気取ってんだよ。そんなことどうでもいいから、早くおやりよ
辰 わかってます、やりますよ。こやってね、火のよう~ぉうじん~、
さっしゃりゃしょー
月番 なるほど、なるほどねぇ、へへぇ、恐れ入りましたねぇ、伊勢屋さん
伊勢屋 本当ですなぁ。辰っつあん、たいしたノドだね
辰 どうもね、わけぇ時分には、女がみんなこの声に惚れたもんだ
月番 そんなことは、どうでもいいんだよ。続けておくれ
辰 へぇへぇ、どうも、ありがとございやす。こういう具合にね、
チャーンと、えへへへ、お二階を、まわらっしゃりやしょう~(ほう)~~
月番 なんだい、そのしまいのほうほうほうっていうのは
辰 声が北風にふるえてる
月番 芸が細かいね
この志ん朝のやりとりのリズムの良さは、絶品。
火の廻り一の組は、この後、番小屋に戻る。
③番小屋での酒盛り
ここでは、黒川先生が娘が酒を持たせた、と言うと、初めは月番がいさめるのだが、実は月番も持ってきており、ふくべの酒ではなく、土瓶の煎じ薬ならいいでしょう、と燗酒の酒盛りが始まろうとすると、宗助さんは猪の肉に葱、味噌と猪鍋の用意をし、鍋まで背中に背負ってきていた。この場面での聞かせどころ、見せ所は、何と言っても、猪鍋をつつきながらの会話になる。黒川先生は、川柳をひねりながら食べ、伊勢屋は「葱だけいただく」と言っておきながら、葱と葱の間に肉をはさんで食べる。興に乗って来たところで、伊勢屋が「都々逸の回しっこ、しましょう」と言い出し、
♪騒ぐ烏に 石投げつけりゃー それてお寺の鐘が鳴る、
と披露し、黒川先生は「猪鍋を食べ おかしくもあり シシシシシ」なんて駄句を披露。酔っている月番も大喜びのところで、見回りの役人が“バン”と戸を叩く。
④見回り役人との会話
慌てて土瓶や鍋を片付けたものの、それをかいま見ていた役人。土瓶を隠したな、と役人に言われ、風邪薬の煎じ薬を飲んでいた、と言うと、役人も風邪気味だから飲ませろ、と言われしぶしぶ湯呑みに注ぐ。
役人が飲んだ後、「おまえたち、これを飲んでいたのか!」と大声で言うものだから、てっきり叱られるかと思いきや、「なかなか良い煎じ薬だ」と言ってお代わり催促。鍋のようなものもあったな、と役人に突っ込まれ、宗助さんの膝下に隠した鍋も、煎じ薬の口直し、と言って提供。
食べた役人、「口直しが良いと、煎じ薬も効くなぁ」と満足気。さらに煎じ薬を注げと催促され、全部飲まれたんじゃ困ると、もうなくなったと答えると、「もう一廻りしてくるから、二番を煎じておけ」で、サゲ。
ご覧のように、登場人物が多いし、前半は火の廻りにおいて、謳い風、新内風、そして本寸法の辰の美声などを演じる技量が求められる。
かと言って、後半も酒を飲み鍋をつつきながら番小屋の情景を描くには、高度な演出力が必要。
これは、誰でも簡単に演れるような噺ではないのである。
現役の噺家さんの中でも、食べる場面の多いネタで本領を発揮する瀧川鯉昇や、芸達者の五街道雲助などでなければ、こなせない噺。
2011年の1月に鯉昇、2013年の1月に雲助で、どちらも横浜にぎわい座でこの噺の名演を聴いている。
2011年1月12日のブログ
2013年1月10日のブログ
雲助は、師匠馬生の型なのか、志ん朝とは設定がいろいろと違っている。
麻生芳伸著『落語百選-冬-』
麻生芳伸さんの『落語百選』の「冬」の解説には、次のようにある。
江戸の時代考証として貴重な資料になる、日常的な出来事が描写されている。しィーんとして身を切られるような凍てつく夜の町の佇(たたずま)い、手拭いで頬被り、揃いの法被に提灯、それぞれが拍子木、鉄棒、鳴子を鳴らしながら「火の用心、さっしゃァしょう・・・・・・」と町内を流して歩く・・・・・・、それは江戸の冬の響きであり、町内町内が結束し寄り合う、生活(くらし)の槌音でもあった。さらにそして、そこにも江戸の遊びの精神が持ち込まれていかにも旦那衆らしい寄合酒がはじまるのである。見廻り役とて人の子、それを目的(めあて)にお役目を務めたとて、無理からぬことではないか。麻生さんのご指摘の通りで、時代考証の面でも、実に重要な噺だと思う。
江戸の冬の情景、町内の旦那衆の結束や寄合酒の遊び心などを描く出す落語として、冬の代表的な噺であることは間違いないだろう。
あぁ、とんでもないネタをふられたものだ^^
肩の力をぬいて楽しませておくんなまし。
私は南光さんの「二番煎じ」が好きですね。「宗助はんが……」と全て宗助さんの所為にされてしまって困っている様子が笑えて大好きです。そして見回りに来た役人もなかなか粋な人です。
演芸評論家の相羽秋夫氏の新聞コラムがネットに出ています。
www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/owarai/170715/20170715047.html
お茶は元々お薬でしたね。
五代目円生が大阪から東京に移植し、十八番にしたらしいですね。
志ん朝にしても他の東京の噺家にして、「宗助さんが」の件はあって、たしかに、楽しい場面です。
煎じ薬、なども時代とともに消えようとしていますね。
そういうことも含め、伝え続けて欲しい冬のネタです。