噺の話

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とても笑えない「わろてんか」からは、撤退。

 NHKの朝ドラ「わろてんか」は、とても私には笑えないドラマになっている。

 “モチーフ”である吉本せいも夫も、あまりにも実際の彼らとはかけ離れすぎているし、フィクションとしても、このドラマはつまらない。

 主役夫婦を含め、人間の描き方が、なんとも薄っぺらなのだ。
 
 当時の大阪の空気、上方芸能界の息吹きを、感じることができない。
 

 これまで、このドラマの「チェックポイント」という記事を三回と、関連する記事を三回書いた。
2017年9月25日のブログ
2017年9月27日のブログ
2017年9月28日のブログ
2017年10月5日のブログ
2017年10月21日のブログ
2017年10月29日のブログ

 また、初代桂春団治と吉本せい、という題でも三回記事を書いた。
2017年10月6日のブログ
2017年10月8日のブログ
2017年10月10日のブログ

 矢野誠一さんの本、富士正晴の本、そして山崎豊子の本、などを頼りに書いた記事である。
 それらは、当時の上方の大衆芸能界、落語界の姿を少しでも分かりたいという思いで読んだ本である。

 まったくそういった内容の片鱗をも伝わらないドラマが、「わろてんか」である。
 あるいは、脚色の度が過ぎて、史実や人物の実際の姿を歪曲しているとも思え、誤解を与えかねないドラマになっている。

 たとえば、チェックポイントの三回目、9月28日の記事では、吉本吉兵衛(泰三)とせい夫婦の寄席経営にとって重要な支援者であった、浪速反対派の岡田政太郎がどう描かれるかがポイント、と書いた。

 岡田政太郎を“モチーフ”にしているのは、寺ギンという「オチャラケ派」の大夫元だろう。

 その名も、「オチャラケ派」・・・・・・。

 対するのは、「伝統派」とは、なんとも直球の酷いネーミング。

 実際は、伝統のある古典重視の桂派と、元桂派にいた噺家によって組織された、笑いを優先する三友派の二大派閥があって、その二つに岡田の浪花反対派安い木戸銭で対抗しようとしていた。

 寄席を手にした吉本夫婦は、その反対派の岡田と手を組んだのである。

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 あらためて、矢野誠一さんの本から、そのへんのところを確認したい。

 吉本吉兵衛とせい夫婦が第二文藝館を手に入れて寄席経営を始めた頃の、大阪の落語界の勢力関係について。

 当時の大阪寄席演藝界は、両立する落語の桂派・三友派に対して、上本町富貴席の太夫元岡田政太郎の浪花反対派が、その勢力を競うというよりのばしつつあるといった状況にあった。
 吉本せいと吉兵衛夫妻の手になる第二文藝館は、この浪花反対派との提携で出発したのだが、このときの顔ぶれを、『大阪百年史』は、
<落語には桂輔六・桂金之助・桂花団治・立花家円好、色物に物真似の友浦庵三尺坊・女講談の青柳華嬢、音曲の久の家登美嬢、剣舞の有村謹吾、曲芸の春本助次(ママ)郎、琵琶の旭花月、怪力の明治金時、新内の鶴賀呂光・若呂光・富士松高蝶・小高、軽口の鶴屋団七・団鶴、義太夫の竹本巴麻吉・巴津昇、女道楽の桐家友吉・福助らであった>
 と記している。
 無論、開場興行にこれらの藝人全員が顔をそろえたというわけではなく、岡田政太郎の浪花反対派との提携によって、これだけの顔ぶれが用意されたという意味であろう。のちに、ひとつ毬の名人といわれ、むしろ東京で活躍した春本助治郎の名を見出したりするものの、一流とはいいかねる顔ぶれである。

 桂派と三友派については、ほぼ六年ほど前に初代春団治のことを書く中でふれた。
2011年10月6日のブログ

 桂派は、初代桂文枝の流れを引き継ぐ一派。

 その初代桂文枝の弟子が二代目文枝襲名を競う中で、文三に敗れた文都(のちの月亭文都)が桂派を抜けて出来たのが、三友派である。

 そういった、上方落語界が脈々と胎動していたダイナミズムなども、あのドラマからはまったく伝わることがない。

 三友派ができて二十年近く後に、吉本せいと吉兵衛夫妻は第二文藝館を手に入れたのだが、当時の桂派と三友派を向こうに回して、まったくの端席であったから、岡田の反対派との提携は、吉本せいと吉兵衛夫婦にとって生き残りを賭けた重要な転機であった。


 そして、時は流れ、隆盛を誇った桂派は次第に人気が陰って三友派に吸収される形となった。
 そして、勢力を伸ばした吉本は、ついに、その三友派を代表する桂春団治を陣営に取り込むことになる。

 だから、単純に「伝統派」と「オチャラケ派」の対立構造ではない。

 その後、岡田の事業も、吉本興行は吸収することになる。

 寺ギンが元僧侶という設定も、なんとも無理があるなぁ。

 岡田政太郎と同じ、風呂屋の倅でもいいじゃないか。

 “モチーフ”のある“フィクション”と謳っているがために、無理に設定を変えているような、そんな気がしてならない。

 たまには、史実通りの設定でも、いいじゃないか。

 そもそも、「オチャラケ派」という名前を聞いた段階で、私は気が抜けた。

 そして、寺ギンと吉本夫婦との取り分をめぐるギスギスした関係が描かれるのを見て、「これじゃだめだ。吉本夫婦も岡田政太郎も浮かばれない」と思った。

 あの当時、桂派と三友派に対抗するには、売れない落語家や若手、そして、たくさんの色物さんで顔付けした、木戸銭の安い寄席で勝負するしかなく、吉本夫婦にとって、岡田の反対派は、重要なパートナーであっても、敵対する間ではない。

 ある特定の人物を“モチーフ”とするフィクションとことわっているが、その“モチーフ”を描く上で、変えてはいけない部分もあると思う。

 生家の場所の脚色(大阪ではなく京都)、家族構成の脚色(後に事業を手伝う弟たちの不在)も、史実と変える必然性をまったく感じないが、寄席経営の最初の一歩に関し、ここまで“オチャラケ”にされたんでは、ついていけない。

 上方芸能にとって重要な人物たち、そしてその歴史まで“オチャラケ”にされている気がして、見ていてストレスがたまるようになった。

 それでは、健康にも良くない^^

 今週は、落語『堪忍袋』を“モチーフ”にした筋書きのようだが、見ている方の堪忍袋も破れる寸前なのである。

 ということで、さよなら、とても笑えない「わろてんか」!


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by kogotokoubei | 2017-11-28 21:47 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛