噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

二代目立花家橘之助のこと(2)ー秋山真志著『寄席の人たち』より。

 
e0337777_12501654.jpg

秋山真志著『寄席の人たち』

 この本から、二代目立花家橘之助のことについての二回目。
 一回目の記事に、浅草で披露目を見た佐平次さんからコメントをいただいた。
 先を越された^^

 さて、江戸っ子一家に生まれた少女のこと。

 まず、あの家族である、自然の流れとして習い事を薦められることになる。
 本人の談。

「女の子が生まれたたら、三味線をやらせようか、踊りをやらせようか、って話になったらしいんですよ。三味線は親がやているから、じゃあこの子には日本舞踊をやらせよう、ということになって、六歳の六月六日に習いに行きました。それから花柳流の名取を取って、いまの世界に入って師範になって、ずっと続けていますね」

 高座の最後に披露する踊りは、やはり素人芸ではないのだよ。

 とはいえ、小さな頃は、人前で芸を披露するような子ではなかったらしい。

 いまの小円歌からは想像もできないが、子供の頃は引っ込み思案で人前で話すことが何よりも苦手だった。舞台で踊るのは平気だが、授業中に手を挙げたり、発表することができない。理科の実験のときも、最初は一番前にいてもいつの間にか見えないところまで下がっていった。

 そんな引っ込み思案の女の子に、ある変化が起きる。

 中学は中・高一貫私立の和洋九段女子中学校に進学。ミュンヘン・オリンピックで男子バレーが金メダルを取った当時のバレーブームの影響を受け、バレー部に入部した。身長も中学に入ってから16センチも伸びて166センチになった(ちなみになぜか大人になってからも伸びて、いまは170センチ)。
 バレー部に入って引っ込み思案の性格が変わった。猛烈にしごかれた。ビンタは当たり前。声を出さないと意思の疎通ができないので、必然的に大きな声を出すようになった。思考回路も変わってきた。前向きに考えるようになり、人前で話ができるようになった。性格が劇的に変わった。本来持っている強情さ、強さ、我慢強さがバレーをやることによってムクムクと頭をもたげてきた。高校では都大会でベスト4.小円歌は第二エースでアタッカー。部活は年に二日の休みしかなく、踊りの稽古に行く時間がない。たまにおあさらいに付き合いで出るために、週に一、二度、稽古に通ったが、その頃の夢はオリンピック選手になること。
 あの「ミュンヘンへの道」の影響か^^

 準決勝のブルガリア戦は、これまで私が観たスポーツの中で、三指に入る大逆転と言えるだろう。

 運動部に入ることでの心身の変化は、私も実感しているので、よく分かる。
 
 しかし、多感な女子高校生は、別な道を進む刺激を受ける。

 高校二年のとき、山口百恵の赤いシリーズのドラマを見て、女優になりたいと思った。バレーをずっと続けるべきか、和裁洋裁の学校なので、その方面に進むか、役者になるか迷ったが、取りあえず大学を出てから考えようと思い、系列の和洋女子短期大学被服科に進学した。

 あらあら、山口百恵の赤いシリーズだよ。
 
 昭和49(1974)年から昭和55(1980)年に放送されたようなので、なるほど昭和35年生まれの多感な女子高校生時代のど真ん中で影響を受けたわけだ。

 さぁ、取りあえず短大に進んだのだが、その学生時代に起こった運命を変える出会いについては、次回のお楽しみ。


[PR]
Commented by saheizi-inokori at 2017-11-24 22:15
本人は168cmと言ってました。
縮んだのかな。
Commented by kogotokoubei at 2017-11-25 11:57
>佐平次さんへ

ハハハ、大人になって伸びることもあれば、縮むこともある、ということですね^^
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2017-11-24 12:29 | ある芸人さんのこと | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛