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噺の話

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二代目立花家橘之助のこと(1)ー秋山真志著『寄席の人たち』より。

 この記事は、実は、さん喬の本の記事より前に書こうと思っていた。

 つい、著者ご本人からサイン入り本を頂戴し、一気に読んだこともあって、あちらが先になった。

 ただ今、襲名披露興行の真っ最中。
 今月上席の鈴本、中席の末広亭に続き、現在は浅草だ。

 あらためて、二代目立花家橘之助について、ある本から紹介したい。

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秋山真志著『寄席の人たち』
 七年前に集英社から発行された秋山真志著の『寄席の人たち』(副題、現代寄席人物列伝)で取り上げられた十人の中に、三遊亭小円歌が含まれている。

 本書を読んで、まず彼女の家のことで、次のように著者も私も驚いた。

 小円歌は浅草生まれのチャキチャキの江戸っ子だ。家族構成を聞いておどろいた。両親と弟妹、母方の四人の兄弟とおじいちゃんとおばあちゃん、おじいちゃんの母親のひいおばあちゃんと、そのまた母親の当時百歳のひいひいおばあちゃん。なんと十三人家族である。おじいちゃんが合紙業を営んでおり、住み込みの職人も六、七人いて、大きな釜でご飯を炊いていた。食堂が開店できるぐらいたくさんの食器があった。

 橘之助は昭和35年生まれなので、私より五つほど下。
 たしかに、昭和30年前半には団塊の世代の兄、姉を含め大家族は普通だったが、この十三人というのは、なんともすごい。
 そして、人数のみならず、同居する大先輩たちのそれぞれが、なかなかはありえない経歴や個性の持ち主なのだ。

幕末生まれのひいひいおばあちゃんはキッコーマンの本家の血筋。おばあちゃんは深川の木場の材木問屋の娘で、シャキシャキした働き者。おじいちゃんが二号を持つと「私も働いているんだから、二号さんにも働かせておくれ」とキッパリといった。
 一方、おじいちゃんも三代続く江戸っ子で、吉原通いや芸者遊びが大好き。粋な遊びをする人だった。
「よく芸者さんを何人も呼んでお座敷に上げて、祝儀を切ってましたね。母の結婚式のときも浅草の芸者さんを披露宴に二十人も呼んだりして・・・・・・ホントにたいへんだったようです。お金ばっかりかかって。でも女性関係はさっぱりしていました。別れるときもあとくされないようにしていましたね」
 おばあちゃんは三味線で小唄を弾いていた。おばあちゃんの先祖は皇族に三味線を教えていた家系だった。母親は長唄を習っていた。小円歌が二、三歳の頃、おじいちゃんが酒を飲みながら小唄を唄って、おばあちゃんが三味線をつまびいていたのが最初の記憶。由緒正しき江戸っ子の家系で、周りも落語の世界の住人のような家族である。芸人になったのもムベなるかなという環境ではないか。
 ホントに、絵に描いたような、江戸っ子一家。

 著者の書くように、芸人になるための環境は、家のみならず、その周囲にも存在した。
 まず、家の裏に住んでいたのが、先代の鈴々舎馬風で、色川のおじさんを呼んで居た。

 おじいちゃんがいろいろなところに連れて行ってくれた。当時都電が家の前を通っていて、それに乗ってあちこちに出かけたが、寄席に行った記憶がない。寄席の存在自すら知らなかった。しかし、浅草は芸人の街。家のすぐ向こう側には初代の江戸家猫八が、そのまた向こうには紙切りの初代林家正楽が住んでいた。漫才のあした順子もご近所仲間。母親の幼馴染は浪曲の玉川勝太郎の奥さん、母の弟の同級生は尾藤イサオ等々、数え上げればそんな例は枚挙にいとまがない。

 凄い環境だ。

 初代正楽のことは、先日書いたばかり。

 とにかく、江戸っ子家族と芸人の街浅草に育った娘が、その後、どのような経緯を歩んだのかは、次回のお楽しみ。

Commented by saheizi-inokori at 2017-11-23 21:38
もう少し早く襲名させてあげたかった。
もう声が厳しいのです。
Commented by kogotokoubei at 2017-11-24 09:22
>佐平次さんへ

浅草の披露目で、「たぬき」をお聞きになられたのですね。
私も、池袋でなんとか、と思っています。
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by kogotokoubei | 2017-11-23 14:18 | ある芸人さんのこと | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛