東雲寺寄席 さん喬・新治二人会 成瀬・東雲寺 11月5日
2017年 11月 06日
何かをしている時に、他の何かが発生すると、最初の何かを、忘れる。
外出するため家を出てから忘れ物を思い出し、取りに帰ることも多くなった。
我が家の二匹のシーズーにとっては、もう一度エサをもらえるから、嬉しいのだろうが^^
なんと、4日放送のNHK新人落語大賞の録画予約するのを忘れた。
夜外出から帰宅して放送のことを思い出したが、アフターフェスティバル・・・・・・。
事前の予想(希望?)が外れた罰かな^^
ということでテレビではなく、生の落語会について。
雨にたたられ続けていた日曜だったが、昨日は久し振りにテニスを楽しんだ後、テニスコートからも近い東雲寺さん主催の落語会、さん喬・新治二人会に行った。
画像は、主催者である成瀬の東雲寺さんのブログからお借りした。
「東雲寺ブログ」
この会に行くのは、2013年、そして昨年に続き三回目。
2013年11月4日のブログ
2016年11月7日のブログ
檀家の方など毎回満員に近い盛況の会。
この会に気付いたのが開催日近くで半分あきらめていたのだが、なんとか席を確保することができた。
もしかすると、こっちの僥倖とテレビ放送の予約忘れで、バランスが取れているのかもしれない。
テニスクラブの前からバスに乗り、10分足らずのバス亭で降り徒歩5分ほどで東雲寺。
お寺のサイトにあるように、曹洞宗の禅寺。
東雲寺のサイト
まだ開場していなかったが、すでに三十人ほど並んでいる。
檀家の方が多いとお見受けした。
しばらくして開場となり私もお寺の中へ。
なんと、一番太鼓を叩いているのは、露の新治師匠ご本人!
なかなか上手だったので、打ち終わってから私を含めて拍手^^
席は前の方は地元の方に遠慮して、真ん中から少し後ろの方、テニスのバッグを置きやすい場所に席を確保し、コンビニで仕入れていたおにぎりを食べて開演を待った。
お客様の来場が続き、ほぼ満席という感じ。
毎年、この会を楽しみになさっている方が多いのだなぁ。
近くの席の方の会話から分かったのだが、新治師匠と同級生の方もいらっしゃるようだ。
お寺、出演者とのいろんなご縁の方が多い中、地元の住人でもない私は、いつも恐縮するのである。
さて、1時半、定刻で開演。
感想などを記す。ここからは、いつものように「師匠」を省略。
開演の挨拶 東雲寺ご住職 (2分 *13:30~)
ご住職によると、通算で九回目、さん喬・新治二人会となって八回目、とのこと。
露の新治『阿弥陀池』 (19分)
今回は、さん喬が春に紫綬褒章を受章した記念の会、さん喬の一席目の後にお祝いをする、とマクラで説明があった。
昨年の会では、新治が「奈良人権文化選奨」と「文化庁芸術祭優秀賞」の受賞記念の会として住職から花束と金一封が贈呈されたから、二年続いてのオメデタだ。
ネタの方は、新治では初めて聴くこの噺。
叫び声のクスグリで、ヒエダノアレェーから、マエカワキヘェーには笑った。
このネタは、鸚鵡返しを楽しむ噺と言えるが、「心臓」という言葉に辿りつくまでのクスグリは、人それぞれに工夫している。
新治は、「しんねこ」->「しんとら」->「しんてんぐ」->「しんぞう」だった。
もちろん、今後変化することもあるだろう。
立川雲水の、「しんおおありくい」を思い出した^^
新治には大ネタをどうしても期待してしまうのだが、こういう噺も、楽しく演じてくれる。
しかし、久しぶりなのかもしれないが、途中で少し言いよどみがあったのが、残念。
ちなみに、この噺を『新聞記事』として東京に移したのは、初代の桃太郎。
どちらも軽い滑稽噺としては秀逸だと思うが、前半に「日露戦争」が登場する硬い話から始まっておいて、サゲを地口で落とすネタの可笑しみは、オリジナルでしか味わえない。
柳家さん喬『ちりとてちん』 (38分)
マクラでは、「やばい」や「超~」などの若者言葉や、電車の中で一列七人中六人はスマホを見ている、など何度か聴いているが頷ける話。
ほんとに、電車の中の光景は異様だと思うなぁ。
本編は、さん喬では初めて聴くはずの、柳家の十八番。
結論から書くが、この高座、実に良かった。
さん喬の持ち味である丁寧な人物造形は、まず、最初の客であるお世辞のうまい、低姿勢の金さんの姿で発揮される。
「灘の生一本・・・ですか。世の中に灘の生一本というものがあるとは聞いておりましたが、これが・・・」という科白は、「鯛の刺身・・・」「鰻の蒲焼・・・」そして、「ご飯・・・」にまで踏襲され、鰻当たりでは、科白の冒頭で笑いが起こる。
金さんの姿、そしてその姿に微笑む旦那。
そういった光景がしっかり描かれるから、その後に登場する六さんの乱暴な物言いが生きる。「灘の生一本・・・どうせ水で薄めてるから、灘の水一本」「鯛の刺身・・・腐っても鯛、って言うからね」「鰻・・・どうせ養殖でしょ」
となって、ついに旦那の策略実行の機が熟す。
六さんが「ちりとてちん」を目をつむり、鼻をつまんで飲み込んで七転八倒する場面の可笑しさは、格別だ。
金さん、六さんが料理を食べる場面も、それぞれの素材に応じて、さもあるべし、という仕草で、つい、見ているこちらが食べているような気になってくる。
現役の噺家さんでは瀧川鯉昇が十八番にしていて、とにかく何かを食べる場面が挟まれるネタでは群を抜いているのだが、さん喬は柳家の格、品を見事に提示するような高座。
今年のマイベスト十席候補とするのに、まったく迷いなし。
柳家さん喬紫綬褒章受章表彰式 (4分)
司会は新治が務め、住職から金一封、法被を着た女性から花束が贈呈された。
すでに権太楼、雲助が受賞しているし、なんと立川志の輔も受賞しているのだ、遅すぎたくらいである。
さん喬は、「こういう落語会で表彰されたのは初めて」と、心底喜んでいたように思う。
新治から、「さん喬師匠は、小さん師匠に入門されてから五十周年でもあります」と紹介されて、「ついこの前と思っていましたが。記念というわけではもないですが、本を書きまして、まだ書店に並んでいないのですが、仲入りで販売します。今日は特別にトートバックつきです」と、宣伝も忘れなかった^^
仲入りとなり、外で一服した後、私もその本を買う列に並んだ。
さん喬自らがサイン入り本の入ったトートバックを渡してくれた。
柳家さん喬『噺家の卵 煮ても焼いても-落語キッチンへようこそ!-』
これが、その本。
筑摩書房のwebマガジン「webちくま」に連載したエッセイを元にした本のようだ。
webマガジンから書籍化という路線(?)では、弟子の喬太郎が先に本を出しているから、筑摩が師匠にも同様のステップを踏んでもらった、ということか。
読んでから、記事を書くつもり。
さて、書籍特別販売を含む仲入りの後、こちらも楽しみにしていたご夫婦の芸で再開。
夫婦楽団 ジキジキ 音曲漫才 (25分)
今年六月に落語協会に入会した夫婦。
ほぼ六年ぶりだ。
当初2011年3月12日に予定していた茅ヶ崎の落語会が、11月に変更となったのだが、その時に初めて聴いたのだった。
2011年11月23日のブログ
夫の世田谷ヒロシがギター、奥さんのカオルコさんが、ピアニカを担当するが、他にも、いろんな楽器が登場する。
一度登場して自己紹介し、いったん下がって、いつものように演奏しながら再登場。
ご挨拶代わりとも言える「農協のテーマソング」(「東京ナイトクラブ」の替え歌)以降、この二人の絶妙な芸に客席から笑いが途切れなかった。
「ブルーシャトウ」の替え歌で「モリトーモガクエン、囲まれて、激しく震える、ブルブル~首相」なんて、傑作だね。
民謡調の手拍子にのって、すぐ覚えられる短い歌をいくつか披露(「船の歌」->「あら、ヨット!」など^^)してから、二人それぞれに省エネソング(いくつかの歌が混在してもの)で笑わせる。
「浦和のテーマ」は、なんとも秀逸だ。
締めは、カオルコさん十八番の、おでこで弾くピアニァの至芸。
「男はつらいよのテーマ」の後「笑点のテーマ」で会場割れんばかりの拍手。
いいねぇ、この二人。
落語協会は、ジキジキと、先日浅草で初めて聴いた夫婦「おしどり」の二組の加入で、俄然、色物が充実したと思う。
ジキジキは、今月は池袋の下席に出演。
他にも、いろんなイベントに出演しているので、ご興味のある方は、ぜひホームページでご確認のほどを。
「ジキジキ」ホームページ
露の新治『権兵衛狸』 (30分)
英語が嫌いだった、と思い出話をふる。「This is a penって、外人が質問しますか」、「誰かに、I am s boyって言われたら、その人危ないでしょう」、などで笑いが渦巻く。スポーツも苦手で、運動会の前の晩には、次の日地球が爆発しないかと願っていた、とのこと。「あのボルトだって、急ぐ時は車に乗りますよ」には、笑った。
その後は、日常会話の不思議さというネタ。「スーパーで、『お買い物ですか』って、他に何しますの」などは、何度聴いても可笑しい。
その後、滋賀の山里では土葬で、行きと帰りでは仏さんが戻らないよう道順を変える、という話から「奈良の山里に」と本編につないだが、約13分と長めのマクラだった。
四年ほど前、内幸町での独演会で聴いた三席の内の一席が、この噺だった。
2013年9月10日のブログ
あの時は、とにかく『たちきり』(『立ち切れ線香』)が絶品だったなぁ。
さん喬の人情噺の長講があるので、今回は軽めの滑稽噺を選択したような気がする。
「ごんべい」「ごんべい」と後頭部で権兵衛さんの家の戸を叩く狸の姿が可愛い。
ネタとしては20分に足らない噺を楽しみながら「今日は、あくまで、さん喬が主役、ということだな」と思いながら聴いていた。
柳家さん喬『子別れ-下-』(『子は鎹』) (41分 *~16:25)
本は、まだ十冊ほど残っていると営業告知^^
昔の遊びと今の子どもの遊びの比較など短めのマクラから、予想外のこのネタへ。
といっても、昨年も二席目は『文七元結』だったからね。
熊が吉原から酔った状態で帰る場面から。
だから、『子別れ』の「中」とも味わいが違う。「中」ならば、帰る前の逡巡があるはず。しかし、この高座では、乱暴な酔っ払いの熊さんが、最初に登場。
夫婦喧嘩の仲裁に長屋の六さんが入る。もちろん、一席目の六さんとは別人^^
その六さんの忠告にも熊は怒鳴り返し、結局女房お徳と亀が出て行く。
それから三年・・・となり本来の『子は鎹』になった。
高座に上がってから約10分後、ここで時刻は15:55だった。
素朴な疑問が浮かんだ。
なぜ、通常の『子は鎹』ではいけなかったのだろうか・・・・・・。
そんな疑問を抱きながら聴いていた。
熊さんを訪ねた番頭さんは、最後にも鰻屋に登場する。
亀に会ってからの熊さんは、何度か、目頭を拭う。
熊の声が、いつもの高座に比べて、あまりにも小さく、低く感じる。
後ろのお客さんには、聞きとりにくかったのではなかろうか。
亀の大きな声との対比を出そうという試みかとも思うが、ささやくような声が続くのは、ちょっと疲れる。
亀がぶたれそうになるのは、玄能ではなく、カナヅチ。私は、玄能であって欲しい。
その後に、亀が五十銭はお父っあんにもらったと白状したが、その後の会話が端折られた、と思う。
今は吉原の女とも別れ、酒もやめて仕事に励んでいて、立派なナリをしていた、という説明を省いた(忘れた?)。
鰻屋での再会に、番頭が登場する必然性も、あまり感じなかったなぁ。
噺家さんそれぞれではあるが、冒頭の酔った熊さんからという演出の必然性はあまり感じず、逆に、必要と思われた母親と亀との大事な会話がなかったのが、残念。
あえて付け加えるが、あくまで私の感想であって、場内は二人の再開場面でシーンと静まり返り、目頭を押さえていた方もいたから、悪い高座であろうはずはない。
さん喬の持ち味であると思う丁寧さは、見方によっては、くどさとも言える。
この日、一席目の滑稽噺では、お世辞屋の金さんと、対照的な六さんを描くのには、その丁寧さが生きたと思う。
二席目人情噺では、冒頭の演出としてのくどさが、全体のリズムを悪くした、そんな私の印象だ。
飲んだくれの熊と三年後の熊の対比を描きたかったのかもしれないが・・・・・・。
繰り返しになるが、新治は、さん喬を立てるための二席の高座だったように思う。
その、さん喬は、柳家を代表する滑稽噺と人情噺の長講を演じてくれた。
それは、それで、実に有り難いこと。
やはり、さん喬落語、私は『棒鱈』や、この日の『ちりとてちん』のような滑稽噺が好きだなぁ。
とにもかくにも、東西の芸達者による四席と、久し振りのジキジキを、充分に楽しんだ会だった。
外は、少し寒くなったとはいえ、晴天。
久しぶりの落語会の余韻に浸りながら、ゆっくりと成瀬の駅に向かった。
>金さんの姿、そしてその姿に微笑む旦那。
このような無作為の抑制された演技ができることがさん喬の芸です。
おでこの皺と目と口のラインが一つになって・・・
>柳家の格、品を
先代小さん、まだ生きていますね。
なぜか今はさん喬をあまり聴きたくないのです。
さん喬自身も柳家の滑稽噺が好きと言っていますが、私もさん喬は人情噺の長講よりも、こういう噺の方が登場人物も本人も生き生きしているように思います。
五代目小さんの偉大さは、弟子の高座を聴いてあらためて感じます。