噺の話

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吉本吉兵衛と、「わろてんか」の北村藤吉の違い。

 自分で、“怒涛の一週間”と呼んでいる日々が、なんとか無事に終わった。
 
 ということで、久々のブログは、つい、先ほどしばらくぶりに見てしまった「わろてんか」のこと。

 ある人物を「モチーフ」とした「フィクション」とことわっているとはいえ、どうしても「モチーフ」となっている人物と、ドラマの人物との違いに、首を傾げざるを得ない。

 吉本吉兵衛(泰三)を「モチーフ」とする北村藤吉の描き方には、その脚色の逸脱ぶりが、気に障る。

 今日の「わろてんか」では、吉本せいを「モチーフ」とする、藤岡てんを嫁にもらいたいため、藤岡家の家族の前で、芸道の遊びはこれきりやめると宣言し、最後の芸として太神楽の升の傘回しを披露した。

 違うのだよ、吉本吉兵衛が好きで、自分でも演じた芸は。
 そして、その芸の違いは、その人物の個性の違いでもあるのだ。

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矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 たびたび紹介している、矢野誠一さんの『女興行師 吉本せい』から引用する。

 昭和37年に歿した大阪の漫談家花月亭九里丸は、東京に出てくると神田伯山、徳川夢声との三人看板で売れた人だが、芸のほうははなはだしく言語不明瞭であまり面白くなかった。終生、吉本興業の禄をはんだことを誇りにしていて、上方演芸の研究家としても確固たる足跡を残している。その編著『大坂を土台とした寄席楽屋事典』(渡辺力蔵刊)で、吉本吉兵衛のことを、
<だらしない極道者ではない>
 としながら、こう書いている。
<好きな道としてその頃大流行の剣舞を旦那芸として覚えたのが病みつきとなって、その芸を大勢の人達に見せたさに、女賊島津お政本人出演のざんげ芝居の大夫元になって、地方巡業をして、泰三自身が幕間に出て、黒の紋付小倉の袴、白鉢巻に白だすき、長い刀を腰にぶち込んで、詩吟につれて、鞭声粛粛夜渡河、暁見千兵擁大牙で飛んだり跳ねたり。少年団結白虎隊、国歩艱難戍堡塞で女の子に手を叩かせたりしてゐたのはよかったが、興行にはズブの素人の悲しさ、狡猾な地方興行師の悪辣なわなに陥されて散々の大失敗。これがため家業の荒物問屋が二度までも差押えの憂き目を見た>
 ここには、大店の若旦那のひとつのタイプがうかがえる。落語家に、縮緬の座布団を贈ったり、高座着をこしらえてやったりしているうちはよかったが、好きが昂じて自分も舞台にといった旦那衆は、よくある型で、その時分は少なくなかったのである。

 このように、実際の吉本吉兵衛は、あくまで、当時の若旦那の遊びとして、自らは詩吟をバックに剣舞を演じ、趣味が昂じて一座を持って失敗した男だ。

「わろてんか」の藤吉のように、芸人に憧れて、一芸人として旅興行に付いて行ったような人物ではないし、自ら演じた芸は、藤吉の傘回しと吉兵衛の剣舞では、あまりにも違う。

 吉本せいの実家の大阪の米穀商、藤岡てんの実家の京都の薬問屋、吉本吉兵衛の実家の荒物問屋と北村藤吉の実家の米穀商、といった設定の違いは許せるが、重要な登場人物は、「モチーフ」とする人物の個性、持ち味を生かして欲しいものだ。

 そろそろ、あのドラマからは退散の時期が近いが、もう少しだけ我慢(?)するつもりだ。
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by kogotokoubei | 2017-10-21 10:32 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛