桂春団治と吉本せい(2)
2017年 10月 08日
矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)
矢野誠一さんのこの本から、大正十年に、初めて南地花月に春団治が出演した時のことの、続き。
その少し前、春団治が、ある寄席を本拠として自らの一門である浪花派を立ち上げたものの一年ほどしか続かず借金を残して旅興行に出たが、放蕩の結果、借金まみれで窮地に追い込まれていたことは、前回紹介した通り。
吉本せいは、春団治がそうなることを読み切っており、まさに、その時期が到来したところで、吉本専属の話を持ちかけた。
まず高額な月給を提示。
そして、借金の肩代わりを申し出た。
芸人への月給制は、当時は珍しいことだったが、吉本せいは、どうしても花月に出て欲しい芸人を、高い月給で勧誘した。
たとえば、春団治の前に、三升家紋右衛門を月給五百円で専属にした。
富士正晴の『桂春団治』では、吉本の月給七百円のことは書かれていたが、借金の肩代りのことは、あくまで空想するにとどまり、金額なども記されていなかった。
矢野さんは、その肩代わりの金額を明らかにしている。
しかし、富士正晴の作品の価値が下がることはない。
矢野さんは、この本を書くための取材で、『桂春団治』を持ち歩いていた。また、矢野さんの本では、同書から数多く引用があり、まるで、二冊の本を楽しめて徳した感じがする。
では、矢野さんの本から、引用。
前貸金二万円、それに月給七百円、これが桂春団治が吉本興行部に身を投ずるにあたっての条件であった。三升家紋右衛門を二百円上まわる七百円という月給もさることながら、二万円の前貸金というには破天荒な金額であった。春団治が、浪花派でこしらえた借金の肩がわりだが、これだけの大金をいかに春団治といえどもおいそれと返金できるはずもなく、いわばこの二百円は春団治をしばりつけておくための身代金であった。
桂春団治と、吉本せいのあいだをとりもった人物がいたとして、その人物が、
(栗岡百貫ではあるまいかという感じを持っている)
と、富士正晴は『桂春団治』に書いている。「並々ならぬ業師」だといわれる栗岡百貫なる人物は、
(南に事務所兼住所をもち、若い者を数人ごろごろさせ、三百代言のようなことや、金融の世話のようなことに関係していて、後に出て来る吉本興行部の紅梅亭乗っ取りにも、裏でゆっくり工作したようにも見える一種の怪物)
で、春団治の、
(大口の借金が栗岡百貫の手を通じてなされており、それがかねがね、吉本に線が通じていたのではないかというふうに、これは空想だが、思われてならない)
と、いうのである。
富士正晴の「空想」は、空想として、かなりいい線をついているように思われる。
私も、富士正晴の「空想」は、当たる確率が高いように思う。
引用を続ける。
びっくりするくらい短い期間に、吉本吉兵衛が沢山の寄席を手中にしていくには、かなり危ない橋も渡ったものに相違なく、その過程でうさんくさい人物や、いうところの怪物が介在してきたのは充分考えられることである。そうした人物との交際が、決してきらいではなかったように思われる吉本せいが、なんとしても手に入れたい桂春団治を引き抜くために、それを利用しなかったわけがない。だいいち、大阪の演藝界を席巻していた桂春団治という超大物が、いかに急激に勢力をのばしつつあったとはいえ、この世界ではまだかけ出しの吉本せい個人のちからで、どうにかなるというものではあるまい。まして春団治の目から見たら、そこらの小僧っ子にすぎなかった林正之助のはたらきなど、取るに足らないものであったと考えるほうが自然だろう。
当時の“超大物”春団治と、新興勢力吉本の関係を考えると、やはり、何らかの仲介者の存在は疑いようがないだろう。
そういう力も利用し、ついに春団治の看板を南地花月に掲げることができた吉本せい。
その後のこと。
春団治を得てからの吉本花月連の勢いは、まさに一気呵成であった。大正十一年(1922)八月には、ついに三友派の牙城法善寺裏の紅梅亭が傘下に身を投じ、大阪の寄席はほとんど花月一色にぬりつぶされたことは前章で記した。この年九月一日からの「花月連・三友派合同連名」というのが『大坂百年史』に載っていて、得意の演目なども記されているのだが、まさに壮観というほかにない。
直営席亭、提携演藝場が、大阪十八、堺一、京都五、神戸一、三宮一、名古屋一、東京一の計二十八軒。連名にある落語家七十三名、色物十四名と二十組、ほかに東京交代連として八名の名があがっている。まさに吉本は大阪の演藝を支配したといっていい。この連名で見ると桂春団治は正式に「2代」と記してあり、得意の演目として『いらち車』と『金の大黒』が載っている。
こうした一覧表を見てすぐ気がつくことだが、この時代の大阪の寄席演藝はまだまだ落語が主体であった。
春団治を得、順風満帆だった、吉本せいと吉本興行部。
しかし、この二人の間には、その後に有名な事件が起こる。
最終回では、その件について書くつもり。