『へっつい幽霊』のサゲを調べて、「寺」の歴史を学ぶ。
2017年 08月 08日
ところが、小さんのサゲは、「幽霊ですから、アシは出しません」となっていた。
小のぶのように翌日酒盛りの席に再び登場し、「寺を建てて欲しい」でサゲるのは、果たして彼自身の工夫なのかどうか・・・・・・。
小のぶ、マクラで、賭場を開帳することを「寺を建てる」と言った、と丁寧に仕込んであったなぁ。
『看板のピン』などのマクラでもよく聞くが、博打の言葉は寺の言葉が多く使われる。

関山和夫著『落語風俗帳』(白水Uブックス)
小のぶのサゲについての疑問からめくった本がこれ。
落語と仏教や説教との関係に詳しい、関山和夫著『落語風俗帳』から、この噺の部分を引用したい。
小のぶの高座の謎が解けたわけではないが、なかなかためになることが書いてあった。
上方落語の『へっつい幽霊』のサゲに、
「まだ金に未練があるのか」
「せめてテラがほしい」
というのがある。いうまでもなく、テラは寺とテラ銭の掛詞(かけことば)である。こちらの方が私には興味がある。寺の開帳や縁日には、よく博打場が開かれた。博打のことを開帳という。そして博打の場所代を寺銭と呼んだ。
寺は、もと中国では外国の使臣を接待する役所の名だあった。漢語で「寺」というのは役所の意である。後漢の明帝の治世に、インドの僧・迦葉摩騰(かしょうまとう)、竺法蘭(じくほうんらん)の二人が中国に仏教を伝えるためにやって来たとき、はじめ鴻臚寺に置き、翌年白馬寺を建立して住まわせたといわれる。このときから仏教の道場を寺と呼ぶようになった。そして僧の住所(*住居か)をすべて寺というようになった。寺院を坊ともいうが、「坊」というのは区画、区院という意味で多くの僧坊がある区域をいった。日本では後世に坊と房の意味が混同されてしまった。坊主というのは住職の意味であったが、転じて一般に僧侶を意味するようになり、ついに男の子をさしていうようになった。真宗で住職の妻を坊守と呼ぶのも興味深い。寺男・寺子屋・寺侍などの寺をつけた呼称がたくさんあるのも仏教の庶民生活への浸透ぶりを示す。
小のぶのサゲとは違うが、テラにちなんだサゲがあることは分かった。
それにしても、落語のサゲを調べようとして、「寺」の歴史を学ぶことになった。
へぇ、寺は外国の客の接待の場所だったんだ。
迦葉摩騰、竺法蘭なんて難しい名前も初めて知ったなぁ。
後漢時代のインドの僧らしいので、西暦で50年頃から70年頃の時代。
そろそろ、お寺が一年中でもっとも忙しい日が近づいてきた。
宗教法人ならお布施は非課税。
お坊さんが羨ましくなる季節とも言える。
こんなことを書くと、バチが当たるか^^
墓地や幼稚園、不動産業で稼いでいる坊さんは高みの見物かな。
あの世には寺がないので、博打好きの幽霊には不自由なんでしょう。
そうでしたか。
八日の独演会には行けませんでしたが、やはりこの噺がネタ出しされていたようですね。しっかり、浅草で練習をしたというわけでしょう。
東京へは三代目円馬が移したようですが、円馬の功績は小さくないなぁ。
それにしても小のぶ、なんとも言えない魅力のある噺家さんです。
