人気ブログランキング |

噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

7月21日は、志ん生記念日の一つー文春オンライン(『志ん生一代』)より。

 いろんな“記念日”があるものだが、今日7月21日が、古今亭志ん生のある記念日であることを、文春オンラインで知ることになった。

 近藤正高さんという若手のライターの方が、結城昌治の『志ん生一代』から拾った逸話を元にして書いた記事を引用したい。
文春オンラインの該当記事

 いまから70年前のきょう、1947(昭和22)年7月21日、戦時中に満州(現在の中国東北部)に渡っていた落語家の古今亭志ん生(5代目)が、東京・日本橋の寄席・人形町末広に帰国後初めて出演した。

 結城昌治『志ん生一代』によれば、大の酒好きだった志ん生は、この日も朝から飲んでおり、昼席のあと贔屓に呼ばれてまた飲み、夜席のトリに上がるときにはそうとう酔っていたという。それでもこのときの演目「ずっこけ」は酔っ払いの噺とあって、無事に務めた。彼が伝説に残る“失態”をしでかしたのは、このあとの大喜利での席だった。

 大喜利では、客席から帽子やマッチなどを借り、落語家たちがそれらの品をシャレに織り込んで噺をつなげ、最後の演者がサゲをつけるというお題噺が披露された。ところが、志ん生まで番が回ってきたところで、噺が止まってしまう。下を向いたきり顔を上げないので、最初はどうしゃべるか考えているのだろうと皆は思ったが、そのうち軽いいびきが聞こえてきた。何と、志ん生は酔っぱらって、坐ったまま眠ってしまったのだ。客にもやがて気づかれ、笑い声が起こる。共演していた桂文楽(8代目)があわてて「志ん生は満州の疲れがとれておりません。なにとぞご勘弁のほどを――」と頭を下げると、客は文句も言わず、「ゆっくり寝かしてやれよ」という声がいくつもかかったという(結城昌治『志ん生一代(下)』小学館)。

 戦時中、旧満州へ慰問のため三遊亭圓生(6代目)とともに渡った志ん生は、その後、ソ連軍の侵攻で九死に一生を得る。終戦から1年以上経った46年末にようやく引き揚げ船に乗りこみ、この年1月に帰国した(圓生は3月に帰国)。戦前からの貧乏暮らしで働かねば食っていけず、帰国後6日目にして、体がまだふらついたまま新宿末広亭に出演。3月31日には上野鈴本で独演会を開き、昼も夜も大入の客を集めた。帰国後の志ん生は「芸が大きくなった」と言われ、人気も高まっていく。「大きいやかんは沸きが遅い」と大器晩成を自認した志ん生は、57歳にして大輪の花を咲かせたのである。


 志ん生が高座で寝てしまって、前座が起こそうとすると、客席から「寝かせてやれ」と声がかかったという逸話は、少なくない。
 しかし、大喜利の途中と言うのは、他にはないのではなかろうか。

e0337777_11090629.jpg


 この部分、この記事の補足として、『志ん生一代』から、引用する。

 その晩のお題ばなしは志ん生が真ん中で、左右に文楽、馬楽、円太郎、それと志ん朝からもとの芸名むかし家今松に改名した清が坐っていた。即席で落語をつくるといっても、およその定石さえ心得ていればそう難しいことはなかった。
 ところが、円太郎から馬楽まではいつもの通りで快調に運んだが、志ん生のところではなしが止まってしまった。下を向いたきり顔をあげないのである。
 初めは、誰しも出題の品をどう工夫して喋るか考えているのだろうと思っていた。
 そのうち軽い鼾が聞こえてきた。酔っていたので眠くなり、坐ったままで眠ってしまったのだ。
 びっくりしたのは隣にいた清だった。文楽や馬楽も驚いたにちがいない。
 間もなく満員の客にも眠っていることが分かって、あちこちで笑い声がした。
 おそらく満州で苦労した疲れがどっと出たのである。
「志ん生は満州の疲れがとれておりません。なにとぞご勘弁のほどを・・・・・・」
 文楽があわてて頭をさげた。
 それに対して、客は文句を言わなかった。
「ゆっくり寝かしてやれよ」
 という声がいくつも掛かった。
 清は父を抱きかかえて楽屋へ下り、それからお題ばなしのあとをつづけた。


 「満州の疲れがとれておりません」と頭を下げた文楽の言葉は、決して、その場の洒落ではなく、本音の部分があったと思う。

 満州の疲れは、生半可なものではなかったはずであり、文楽はそれを十分に感じていたに違いない。

 『志ん生一代』については、拙ブログを初めて間もない、2008年10月13日に書いた。
2008年10月13日のブログ
 また、2012年には、祥月命日の翌日に、「替わり目」という章を中心に記事を書いた。
2012年9月22日のブログ

 しかし、この記事を読むまで、戦後、人形町末広復帰初日の大喜利での失敗談は、忘れていた。

 それにしても、この記事の写真が、実にいいね。

 りん夫人を中央に、左に志ん生、志ん朝、右に馬生・・・みんなが笑っている。
 馬生の隣は馬生夫人で、膝の上にちょこんと座っているのは、池波志乃に違いない。
 右端は、長女の美津子さんだろう。

 しかし、昭和22年の志ん生の姿に近いのは、2012年の祥月命日の記事で紹介した、昭和24年公開の「銀座カンカン娘」で『替り目』を披露している、もっと痩せた姿に近いと思う。
2012年9月21日のブログ

 志ん生の一般的なイメージは、文春オンラインに掲載されているような、晩年の丸みを帯びた好々爺然とした姿だろう。
 私は、「銀座カンカン娘」で、満州から帰国後二年経っての表情を最初に見て、少なからず衝撃を受けた。

 あんなに、痩せていたんだぁ・・・・・・・。

 志ん生と円生の満州行脚は、志ん生への聞き書き本や『志ん生一代』でも書かれているし、井上ひさしの『円生と志ん生』は舞台にもなっていて、今年も9月にサザンシアターで予定されている。
 私はテレビでではあるが、この舞台を見ている。

 しかし、本や舞台にはならなかった事実や、志ん生と円生が語らなかった、あるいは、語れなかった面も多いに違いない。
 
 人形町末広での大喜利での失態は、もちろん酒を飲んでから高座に上がったことが直接的な原因ではあろうが、文楽が庇った「満州の疲れ」の深さも影響していたと思う。

 五十半ばで、満州で死をも覚悟するような体験をしてきたのだ。

 いろんな逸話、そして記念日を遺した志ん生だが、今後、7月21日は、大喜利で居眠りをした記念日、として覚えておこう。
 それは、「満州の疲れ」という文楽の科白とともに、戦争の記録、記憶と切り離すことができない記念日だと、私は思う。


Commented by saheizi-inokori at 2017-07-21 23:36
大事な宴席で寝てしまう先輩もいました。
難しい話があったのに相手がかえって、まあまあと言ってくれて結果オーライになりました。
Commented by kogotokoubei at 2017-07-22 08:32
>佐平次さんへ

その先輩も、お疲れだったのでしょうね。
まさか、満州疲れではなかったでしょうが^^
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2017-07-21 21:36 | 今日は何の日 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛