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“噺が箱にはいる”ということー三遊亭円生著『寄席育ち』より。

 ある落語愛好家の方から、むかし家今松の『お若伊之助』は、円生版を踏まえていると教えていただいた。
 
“噺が箱にはいる”ということー三遊亭円生著『寄席育ち』より。_e0337777_11125526.jpg

三遊亭圓生著『寄席育ち』(青蛙房)

 そんなこともあって、円生の『寄席育ち』をめくっていた。
 「話しぐせ」という章に、「・・・・・そうしてからに」という口癖を先代(義父)に直されたことや、「尻(けつ)が切れる」(言葉尻がふわふわっと消えてなくなる)のを注意されたことが書かれている。

 その後に、次のような文章が続いていた。

 それから“噺が箱にはいる”ということを言います。あたくしが若い時分、教わったとおり一生懸命に練習して演る。すると、きちィんと一分一厘まちがいなく、言い違いもなく出来るわけです。そのかわり、ひと言何かここへ入れてみようと思っても入れることが出来ない。一つ一つの言葉がきちッとつながっちゃって、何もはいる余裕がないんですね。これを“箱へはいっちまう”といって、伸びる可能性がやや少なくなった状態です。この時も先代(おやじ)に「噺をこわせ、こわせ」と言われる。しかし、こわせってのは、どういうふうにやったらいいんだろうと考えたが、判らない。とにかく言葉が固まっちゃいけないから、もっと自由にしようと思ってやってみたが、なかなか出来ない・・・・・・あんまりきちんと覚えすぎて、自由さってものが少しもないわけです。約五、六年かかりましたね、噺をこわすのに。かちッと固まったものを今度はほごそうとして、出来ないから、新しいものを覚えて、古い噺は演らなくした。それで五、六年たって、やや忘れた時分に古い噺をまた始める。そうすると先(せん)よりは自由になってくる。これは小円蔵あたりから・・・・・・円好の時代までやっていたかもしれません。固まった噺はよして、新しい噺や、いくらかほごれてきた噺をするようにした。それからは噺が固まらないようにという癖がついて、同じに演ろうと思ってもどうしても出来ません。毎回いくらかずつ違う。そのかわり抜こうと思えば抜けるし、入れようと思えば入れられるし、言い方を変えてみることも出来る。もちろん、それがあたりまえのことで、時間の延び縮みが自由に出来なければ商売人じゃアありません。そのかわりあたくしの噺は、疵がずいぶん多い。言い間違いがあったり、はッとつかえたりすることもある。しかし芸はとにかく固まっちゃいけないと思います。芸は少しでも動いている間は伸びる可能性があります。全然動かなくなって、水でいえば溜り水になるのが一番いけません。少しずつでも流れていれば、いくらかでも先に行けるわけですから。

 なかなか深い話だ。

 “箱にはいった”噺は、考えようによっては、実に演りやすい噺で、“箱”ではなく“十八番(おはこ)”に近いかもしれない。

 しかし、成長途上の時に、得意ネタが固まらないように、あえてしばらく置いておく。
 なかなか出来ることではないだろうが、現代の噺家さん達にとっても、含蓄のある忠告だと思う。

 義父であった五代目円生が、六代目にとって実に得難い師匠であったことが、この本を読むと分かる。

 この文章の後も、ご紹介。

 芸はなにによらず、完成してしまうと面白味がなくなるといいます。もう少しで完成するんだが・・・・・・という、そこに興味がある。“未完成の完成”という、これは伊東深水先生からうかがった言葉ですが、あたくしは生涯未完成でありたいと思います。未完成でしかも完成した芸に、人も自分もまだ先の望みのある芸になりたいと思います。

 本書の初版は昭和四十(1965)年。
 明治三十三(1900)年生まれの円生が六十五歳の時。
 
 その頃に「生涯未完成でありたい」と言っていた円生。

 私は、かつて円生が苦手だった。
 一つは、八代目正蔵が好きだったので、その敵(?)が好きになれなかった、ということもある。
 また、その人柄について、あまり好ましくないことも本などで知ることが多かった。

 しかし、今は、そういった先入観を払拭しつつある。
 音源を聴くと、やはり、巧いと思う。

 たとえば、『包丁』。
 談志が談春のこの噺をべた褒めしたようだ。
 私は新文芸坐で聴いている。たしかに、悪くはない。
 しかし、円生の音源とは、比べようがない。
 当り前だが、小唄一つとっても、まったく芸の深さが違う。
 
 あらためて円生という人を見直す文章を読んで、もっとあの人の音源を聴かなきゃ、と思うのであった。
 
Commented by at 2017-06-22 06:41 x
未完成の完成、深い言葉ですね。
あの自信家の談志も圓生には勝てないと吐露しています。
また、違う噺ですが、圓生の弟子たちが、影響力の強い圓生調から逃れられず、批評家に師匠のマネをしているだけ、と酷評されて苦しんだそうです。
Commented by kogotokoubei at 2017-06-22 09:10
>福さんへ

時分に厳しかったから、弟子や他人にも厳しかったのか、と思います。
師匠に似て苦労した弟子の中で象徴的なのは、好生->春風亭一柳なのでしょう。
師匠を真似て、それが“箱”に入ったままであれば成長はない、ということなのでしょうが、それをこわして自分なりの噺に練り直すのも、そう簡単なことではない。
落語という芸の奥深さを感じます。

Commented by at 2017-06-23 06:46 x
仰る通り、好生については吉川潮『千秋楽の酒』の川柳川柳との交友録「池袋二人酒」(これは秀逸、小さな寄席人物伝)に出てまいります。
また、若き日の先代圓楽も「師匠のマネにすぎぬ」と酷評され、自暴自棄になりかけたと書いております。
落語は師匠との関わりで成り立つ芸ですね、それが伝統芸能でしょうか。
Commented by kogotokoubei at 2017-06-23 20:01
>福さんへ

どんな芸でも、初めは真似ることから始まると思います。
問題は、真似からいかに自分自身の芸、作品へと練り上げていくか、ということなのでしょう。
以前は好生や川柳の逸話などから、どうしても円生という人が好きになれなかったのですが、弟子が師匠を選ぶのですから、師匠の側に偏った批判はできないな、と今は思っています。
円生が修業時代にも、それこそ師匠への不満もあったでしょう。
伝統芸能の師弟関係、なかなか深いものがありますね。
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by kogotokoubei | 2017-06-20 12:51 | 落語の本 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛