御行の松に、因果塚は本当にあるのか?
2017年 06月 15日
あの噺はあくまでフィクションで、御行の松の根方に「因果塚」などはないだろう、と思っていたら、なんとなんと・・・・・・。

佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)
佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)から、引用する。
まずは、御行の松について。
御行の松は根岸四ノ九ノ五、荒川区との境に近い御行の松不動堂の境内にあった名松。寛永寺の門跡、輪王寺宮が上野山内を巡拝されるとき、必ずこの松の下で休まれたことからこの名がついた。
この由来については諸説あり、今松は、慈眼法師が若い頃に近くで修業した、と言っていたような気がする。勉強不足で、詳しいことは分からないがご容赦を。
引用を続けよう。
大正十九年、天然記念物に指定された当時は、樹齢約三百五十年、周囲4.09メートル、高さ13.63メートルもあり、枝が傘を広げたように垂れ下がっていた。堂のすぐ前を音無川の清流が流れて、まさに「呉竹の根岸の里」風情だったという。戦争は、いろんなものを焼いてしまったのだ。
ところが、この松は昭和三年に枯死してしまった。昭和五年、傍らに「御行松」と彫った大きな石碑を建てるとともに、記念に幹のいちばん太い部分を保存して石の台座の上に置き、しめなわを張って屋根をかけた。が、この幹も戦災で堂もろとも焼けてしまった。
戦後、今度は土中から根を掘り出し、台座の上に飾った。この根っこは風雨にさらされて年々風化しているが、いまも堂の左手にある。堂の中には、この根の一部で下谷二丁目の桜田幸三郎という七十歳の大工さんが彫った、身の丈およそ40センチの不動尊もまつられている。この本の元となった朝日新聞の連載が始まったのが昭和61(1986)年、私が持っている文庫の発行は平成3(1991)年。
昭和三十一年、二代目の松を移植したが、すぐ枯れた。五十年、三代目を植えた。まだ若木だが、これはすくすく育っている。
三代目でさえも、植えられてすでに四十二年が経過している。
さて、御行の松の歴史はこれ位で、問題の“塚”のこと。
ところで、この三代目、石碑、初代の根っこなどの周りをよくよく探してみたのだが、肝心の因果塚らしいものは見当たらない。戦後、無住になっていた不動堂は、近く(根岸三ノ十二ノ三八)の西蔵院の場外仏道になったが、同寺の住職も、因果塚なんて聞いたことはない、という。ま、考えてみれば人間が狸の子を産むわけがない。どうやら根も葉もないつくり話のようだ。
ところが、である。その因果塚が建立されたのである。
初代の根っこを掘ったり、三代目を植えたりして不動堂の運営に当たっているのは、地元の不動講の人たちだ。三代目を移植して十年目の昭和六十年、講の集まりに志ん生、円生の『お若伊之助』のテープを持ち込んだ人がいた。その席でテープを聞いて、せっかくこういう噺があるんだから、いっそ因果塚をつくっちまおう、ということに衆議一致した。落語好きの人たちが見にきてくれて、ついでにおさい銭をあげてくれれば堂の運営もいくらか楽になる、というわけだ。
五年後の平成二年五月二十八日、不動堂の境内に紅白の幕を張りめぐらし、「狸塚再建披露式」が盛大に行われた。「因果塚」はイメージが暗いというので、「狸塚」にした。「再建」と銘打ったのは、江戸時代にあった塚が長い歳月の間に失われ、それを復活させたという思い入れ。落語を実話扱いした遊び心が、下町っ子らしくて粋なところだ。塚は秩父の赤玉という高さ70センチほどの自然石。そばにみかげ石で彫った夫婦の狸を配した。
実に、い~い話ではないか。
こういう下町っ子の粋なところ、見習わなくちゃねぇ。
度々参考にさせていただく、「落語の舞台を歩く」のサイトから、この塚の写真をお借りした。
「落語の舞台を歩く」サイトの該当ページ

今度近くに行ったら、ぜひ手を合わせようと思う。
御賽銭も忘れずに^^
「お若伊之助」は苦労が多い割にはなかなか報われない噺なので滅多におかけになることはありませんが、何を思ったか今年の春は3度も高座におかけになっていたので、これでまた数年は聴けないかも知れませんね。良いタイミングでした。私は志ん朝のより好きです。
貴重な情報、ありがとうございます。
今松師匠が落語の舞台を実地検証されて、ご自分の足で確認された史実を元に練り直していらっしゃるのは、『嶋鵆沖白浪』や『名人長二』などでも十分に伝わりました。
子規の句、座間でもお聴きしたかったなぁ。
「こごめ大福」、ぜひいただきたいものです。
狸塚、不動講の方の粋な計らいのおかげですね。
志ん朝のこの噺、晩年の朝日名人会は聴いていてつらいものがあるのですが、54歳の時の大須の高座は、マクラも含め実に楽しいのです。
志ん朝は別格として、当代の噺家さんでは、今のところ今松師匠がベストだと思います。
たしかに、労多く報いの少ない噺だと思いますが、また何年か後でも、お聴きしたいと思います。私のこの噺の印象を一変させてくれた高座でしたから。
今後も、気軽にお立ち寄りください。
