ある本を読んで、行けなかった落語会を思い出したー森まゆみ著『明治東京畸人傳』。
2017年 05月 20日

森まゆみ著『明治東京畸人傳』(新潮文庫)
その本は森まゆみさんの『明治東京畸人傳』。
平成八年単行本、平成十一年の文庫化。森さんの住んでいる‘谷根千’近辺に縁のある人々について書かれた本。
積ん読の中の一冊だった。
読み始めて思い出した、行けなかった落語会というのは、4月29日に国立演芸場で開催された、むかし家今松独演会。
森さんの本を、最初に「円朝・谷根千めぐり」の章から読み始めたのだが、こんな文章に遭遇。
『怪談牡丹燈籠』の舞台について書かれた後の部分。
新幡随院の向い側に大円寺という日蓮宗の寺があり、ここでは毎年十月十五日菊まつりが開かれている。境内に笠森稲荷があり、永井荷風による笠森お仙の碑、笹川臨風による鈴木春信の碑があることでも知られる。
「藤川庄三郎、彼(か)の大西徳蔵という車屋に供させて、人力でどっとと降(くだ)る中を谷中の笠森稲荷の手前の横町を曲がって、上にも笠森稲荷というのがありますが、下のほうがなにか瘡毒の願いが効くとか申して女郎衆やなにかがよくお参りにまいって、泥でこしらえたる団子を上げます。あの横町をまっすぐに行き右へ登ると七面坂、左が蛍沢、宗林寺という法華寺があります。その狭い横町をずうっと抜けると田んぼに出て、むこうがずっと駒込のほうの山の手に続き、かすかにまだ藪蕎麦の燈火が残っている。田んぼ道で車の輪がはまってなかなか引きません」
これは明治四、五年まだ開けない時分の話を断わった語りおろし『松と藤芸妓の替紋』の一節だが当時の情景をほうふつさせる。
ここまで読んで、「ありゃ、今松が独演会でネタ出ししていた、珍しい噺じゃないか!?」と心の中で叫んだのであった。
居残り会仲間のIさんから、実に良い高座だったとメールを頂戴したことも思い出し、悔しさが込み上げてきた。
この後には、その悔しさを倍加させる文章が続いている。
人力車、フランケット、素敵(ステッキ)、ざんぎり頭などが登場するところが新奇だが、戊辰戦争で生き別れになった会津藩士の兄と妹、元旗本ながら車夫に身を落とした兄と横浜でラシャメンになった妹、二組の運命というところも時代である。
まさに、実に私にとって興味深い時代背景と舞台設定。
あの落語会は行けないことが事前にはっきりしていたので、円朝の原作を読むこともなかったが、そういう噺でしたか・・・・・・。
この本を読んで、未練がましく行けなかった会のことを思い出した次第である。
師走の末広亭で短縮版でいいので演ってくれないかなぁ。
無理だろうなぁ。
あらら、私と同じ“積ん読”の仲間でしたか。
古書店で迷わず買った記憶があるのですが、その時は他に読みたい本があったのでしょう、そのままになっていたのを数日前に発見^^
読み始めると、いいんですよ。
