映画「ひろしま」にノーギャラで出演された月丘夢路さんのご冥福を祈る。
2017年 05月 08日
朝日新聞の該当記事
大正11年生まれ、94歳での旅立ち。
先日帰郷して会ってきた北海道の父と同じ戌年の生まれだ。
宝塚出身で、数多くの映画に出演された。
原爆に関する映画に出演されたことでも知られている。
昭和25(1950)年の「長崎の鐘」は、戦後最初に原爆をテーマとした日本映画だ。当時の長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井隆の随筆に基づいている。永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながらも被爆者の救護活動に当たる姿などが描かれている。
GHQの検閲もあり原爆を直接批判する映画には出来なかったので、永井の半生を描く映画となっており、月丘さんは永井の妻役を演じた。
そして、出身地でもある広島に関する映画、その名も映画「ひろしま」に、ノーギャラで主演された。

(写真はWikipedia「ひろしま」より)
Wikipedia「ひろしま」
同映画は、日教組プロにより昭和28(1953)年に製作され、昭和30(1955)年に第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した。
この映画は、後に新藤兼人監督・脚本で映画化された『原爆の子』と同じ長田新編纂による文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店、1951年)を原作としている。
八万人の広島市民がエキストラで出演している、市民参加の反戦映画と言えるだろう。
上映にあたっては、GHQへの忖度などから批判的な意見も出たようだ。
しかし、フランクリン・ルーズベルトの妻、エレノア・ルーズベルトが高く評価したり、ベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞したことが、この映画の価値の証左である。
月丘さんが、この映画について語っているYoutubeを見つけたので、掲載する。
松竹専属だったが何度も嘆願して出演した映画だったことや、現地で目にしたアメリカの映画人や歌手のように、富を得た者が何等かの形で社会に還元することの大切さなどが語られている。
残念ながら、この二つの映画を見ていない。
「長崎の鐘」、「ひろしま」をぜひ見たい。
月丘さんの追悼の意味でも、ぜひ地上波でもBSでもCSでもいいので、放送して欲しいと思う。
月丘夢路さんのご冥福を、心よりお祈りする。
