「手を取って 共に登らん 花の山」-円歌の訃報で思い出す言葉。
2017年 04月 26日
落語協会のHPによれば、今日がお通夜、明日が告別式のようだ。喪主は奥さん。
落語協会HPの訃報
拙ブログの「三遊亭小円歌が、二代目立花家橘之助を襲名」という記事へのアクセスが急増しているのは、師匠の訃報と無関係ではないだろう。
実は、日曜から昨日まで、二泊三日で北海道の両親の家に、十三年ぶりに帰っていた。記事の間隔が空いたのは、そのせいなので、ご容赦のほどを。
九十五歳の父は、昨年転んだ際に古傷の膝の皿を痛め車椅子ではあったが、内臓には悪いところはなく、一緒に酒も飲めた。
九十歳の母も、歩くと腰が痛いとは言うが、いたって元気。
その母の喜寿の祝い以来の帰郷だった。
近くに住む兄二人や、兄の子どもと孫たち(両親にとっては曾孫)も集まっての宴会は、大いに盛り上がった。
さて、そうそう円歌のこと。
私が訃報に接してすぐに思い出した彼の言葉がある。
それは、春風亭一之輔の真打昇進披露興行における口上でも述べられた言葉だ。
私は、大千秋楽の前日、5年前5月19日に聞いた。
2012年5月19日のブログ
かつての名人たちは、それぞれ個性的な口上の言葉を持っていた。
円歌の「手を取って 共に登らん 花の山」は、真打になってからあらためて始まる落語家としての人生は、奥さんとの二人三脚である、ということを言いたかったのだろう。
きっと、会場の片隅にいた一之輔の奥さんにも聞いてもらいたかったであろうこの言葉は、私の胸に深く沁み込んだ。きっと同じような感慨を抱いたお客さんも多かったと思う。
真打昇進披露の口上において、あれほど厳粛な一瞬を今まで感じたことはない。
円歌の傑作『中沢家の人々』は、内容は老人たちの行動や言葉の滑稽さで笑いを取るものだが、親子の愛情が底流に流れている前提があるからこそ、いつ聴いても楽しめる普遍性を持つネタになったのだと思う。
円歌は、奥さんと一緒に、手を取り合って花の山に登ることができたのだろう。
実は、北海道の両親が、周囲の草木やツツジなどの花が眺められるお寺に墓を用意してあると聞いた後で円歌の訃報に接したため、あの言葉がすぐに頭に浮かんだのだった。
「北の湘南」と言われる地域ではあるが、桜はまだ咲いていなかった。
しかし、庭のツツジが綺麗だった。
町(市)の花にもなっている。
私のガラケーでは上手く撮れなかったので市のホームページから拝借。
北海道伊達市のHPの該当ページ
老いた両親は、しっかり手を取り合って人生の花の山を登ってきたように思う。
円歌の言葉をしみじみ思い出す、北への旅だった。
代表作として『授業中』『中沢家の人々』をあげているメディアが多かったのですが、私は『坊主の遊び』と『西行』がベストと思っています。
ご指摘の披露口上では「手に取って・・・」を決めゼリフにして、いつも心のこもった口上を述べていたのが印象的でした。
初代三平と二人だけが、二ツ目で鈴本のトリをとったのでしたね。
評論家の石井徹也さんが、ブログで、面白いだけではなく、「うまい噺家」だったと書かれていましたが、同感です。
新作はいわば準古典と言えるものでしょうが、他の方が演じることのできない「純」古典でもありました。
また一人、昭和の名人が去りました。
さて、平成の名人と言われるのは、いったい誰なのでしょう。