“幻の七代目松鶴”のことー笑福亭松枝著『ためいき坂 くちぶえ坂』より。
2017年 03月 09日
あの一門での襲名ということでは、三喬の大師匠だった、“松鶴”という名にも思いが至る。
上方で「六代目」と言えば、松鶴のこと。
そして、七代目松鶴の名は、松葉が亡くなってから追贈されている。
松葉については以前記事を書いた。
2011年9月22日のブログ
しかし、もっと以前に、七代目松鶴襲名を周囲から期待されていた男がいる。

笑福亭松枝の『ためいき坂 くちぶえ坂』は、拙ブログにいただいかコメントで知った本。1994年に初版が発行され、2011年6月に改訂版発行。
以前この本に基づき書いたいくつかの記事には、今でもアクセスが少なくない。
最初の記事は、2012年6月。ご興味のある方はご覧のほどを。
2012年6月18日のブログ
この本は、序章で、松葉を七代目とすることを一門メンバーに仁鶴が告げる場面から始まる。
副題にある通り「松鶴と弟子たちのドガチャガ」が何とも可笑しかったり、理不尽だったり、そして感動的であったりする。
目次は次の通り。
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「増刷にあたり」
序章 凍てついた時間
第一章 ためいき坂、くちぶえ坂
第二章 「昭和ブルース」
第三章 粉浜村「虎の穴」
第四章 それぞれの彷徨
終章 溶け始めた時間
あとがき
<付録>松鶴一門の推移・一門系図
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今回は、“幻の松鶴”と言われる、先代の枝鶴について、本書より紹介したい。
五代目の枝鶴は、六代目の実子である。
枝鶴という名跡は、いわば出世名であり、六代目も名乗っていたし、初代が四代目松鶴、二代目が五代目松鶴となっている。
「第四章 それぞれの彷徨」より引用する。
「ノラやねん」なかなか豪華な追善興行(こっちの字だと思うんだけどなぁ)・・・になるはずだった。
「まさか」楽屋で居合わせた全員が、我が目我が耳を疑った。
「またか」舌打ちしてうなだれた。
昭和六十二年九月二十二日より二十八日迄、道頓堀・浪花座に於て松鶴の一周忌にちなむ追善興業(ママ)が行われた。米朝、春団治はもとより、東京から小さん、夢楽、志ん朝、談志、円蔵等を招き、香川登志緒、三田純市、新野新他の作家、漫才の大看板等の追想談義、そして昼夜二回都合十四回の興業のトリを、枝鶴、鶴光、福笑、松喬、呂鶴が故松鶴の十八番で括る、それは盛大な物になる筈であった。その初日に枝鶴が姿を現さない。二日目、三日目も。
此の興業は松鶴の追善が名目ではあるが、実子・枝鶴が立派に筆頭弟子として「らくだ」他を演じ切り、内外に向けて将来に於ける彼の「七代目・松鶴」を認めさせる、大目的があった。
この松鶴の実子枝鶴、失踪の前科があったことがこの後の文で分かる。
「ひょっとして、今度も又・・・・・・」疑い恐れては、
「まさか、今度はいくら何でも・・・・・・」危惧を打ち消して来たのである。
失踪劇は格好のマスコミ・ネタになった。程無く、ビートたけし夫人とのスキャンダルも発覚した。
「“枝鶴”襲名の“資格”無し」
「“枝鶴”(四角)四面楚歌」
「“枝鶴”の“視覚”に“死角”有り」
笑うに苦しむ見出しが、スポーツ紙の裏面を飾った。
数日後姿を現し、関係者の口を借り「重責に耐えかね、ノイローゼ気味になり・・・・・・」と弁明し、「再度、復帰を」と願い出たが、松竹芸能は首を縦に振らなかった。当然であろう。“重責”の度、舞台を放棄されたのではたまったものでは無い。仏の顔も三度どころでは既に無かった。枝鶴は自ら、「父の後」を追う道を絶ってしまったのである。
この逸話で、私はNHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」を思い出す。
渡瀬恒彦扮する三代目の徒然亭草若は、主人公の喜代美と出会う三年前の一門会の日、高座の直前に妻の余命を知って動揺し、天狗座での公演に穴を開けてしまた。そのため、天狗芸能会長の逆鱗に触れ、天狗芸能を追放されたのだった。
あのドラマは、上方落語界における逸話などを散りばめていたように思うが、草若が一門会に穴を開けるという筋書きは、この枝鶴のことが下敷きになっていたと察する。
そして、草若が病で定席設立の夢なかばに倒れる設定には、吉朝がモデルかと思わせた。
また、草若の亡くなった妻の志保(藤吉久美子)は、生前夫の囃子方を務めていた、という設定に、枝雀夫人を連想した。
さて、枝鶴について著者松枝は、「彼は此の世界に身を置くべきではなかったと断言する」と言い、その理由をこう書いている。
なぜなら、「誘惑に弱く、美味しい言葉につい酔ってしまう。先を見通し、危険を避ける事が出来ない。「ノイローゼ」とは、最も縁遠い所に居る男である。
そして、枝鶴本人も自分自身を良く知っていた。
「俺は、しんどい事、堅苦しい、むつかしい事が面倒やねん。一生懸命、何かをやれる人間や無いねん・・・・・・。ならば松鶴は根本的にその性格を叩き直すか、少なくとも、勤労と報酬の最低限の法則を教えるべきであった。彼は実に安易に此の世界に入り、仕事、地位を得た。それが何に依ってもたらされたものか、分からぬまま失踪・借金・女との不祥事を繰り返し、松鶴に後始末をさせ、しかも復帰をその都度許された。
そうか、松鶴も、いわゆる親バカだったんだなぁ、と思うが、その背景には少し事情がある。
松鶴(竹内日出男)は枝鶴(竹内日吉)の幼い頃、彼の許を離れ、夫人(衣笠寿栄)と、その子供達と暮らしはじめた。子・枝鶴が最も必要とする時期に、父・松鶴は自分の為のものではなかった。松鶴は、夫人と子供達の為の松鶴であった。やがて父・松鶴は落語の為の松鶴になり、落語家の為の、その愛好者の為の松鶴でありつづけ、そして最後は本人・竹内日出男の為の松鶴になった。もうすこし、松鶴(日出男)が枝鶴(日吉)の為だけに生きる時期が、長くても良かった・・・・・・、そう思える。
“父の後”を追わず、他に生きる道を探していれば或いは・・・・・・。とも思う。
松鶴は三度結婚している。元芸妓の最後の夫人は弟子たちから「あーちゃん」と親しみを込めて呼ばれたが、枝鶴の実の母ではないことは、紹介した文の通り。
この枝鶴は五代目。昭和20年生まれ。
いまだに、消息不明、である。
弟子だった小つるが六代目枝鶴を継いでいる。
彼のホームページには、「枝鶴はどこに居てるねん?!」と、書かれている。
六代目笑福亭枝鶴のホームページ
まだどこかで生きているのか、それとも・・・・・・。
今週土曜日で、あの日から丸六年。
テレビの特集番組で、あの津波で行方不明になった親族をいまだに探し続けている人の姿などを目にした。
同じ行方不明でも、もちろん、その原因も含めて大きな違いがあるのだが、生きているならすでに古希を過ぎた五代目枝鶴。
どこかにいるのが発見(?)されたら、どんな姿であろうが、それは上方落語の関係者にとっては、きっと嬉しいことではあるまいか。
しかし、もし誰かが彼を発見しても、枝鶴は「ノラやねん」と言って、人前に姿を見せることを固辞するのかもしれない。
東西でさまざまな襲名披露がある今年の落語界、“幻の七代目松鶴”が世に復活するには、悪い時機ではないように思うのだが、彼は行方不明者リストの中にとどまったままで時間が過ぎるのかもしれない。
