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香具師や事八日のこと、などー矢野誠一著『落語長屋の商売往来』より。



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矢野誠一著『落語長屋の商売往来』(文春文庫)

 前回の記事で「鋳掛屋」について矢野誠一さんの『落語長屋の商売往来』から引用したが、今回は本書の「香具師」から紹介したい。
 関連する落語のネタは、『一眼国』。かつての名人では、何と言っても八代目正蔵。現役では入船亭扇辰が十八番としている。

 冒頭部分を引用。
 香具師と書いて「やし」と読む。『岩波漢語辞典』の、「香」の項目に、「あゆ」の香魚、香港とならんで「難読」の扱いになっているから、読めなくても別段恥にはならない。
 縁日や祭礼など、人手の多いところで見世物などを興行し、また粗製の商品などを売ることを業とするもの。と、たいていの字引に出ている。「てきや」とおなじだから、柴又生まれの車寅次郎氏の職業となる。
 もっともおなじ香具師でも、風船、飴などを扱うコミセ、口上つきで商売する寅さん型のサンズン、植木専門のハボクなど縁日商人を総称していうコロビと、もっぱら見世物興行を業とするタカモノシにわけられている。わけられるきっかけとなったのが、
  従来香具師ト唱へ来候名目自レ今被廃止候事
  但銘々商売ノ儀ハ可レ為勝手
 という1872年(明治5)七月八日の太政官布告とされている。
 つまり、香具師の名称を廃止する布告が出たにもかかわらず、その実体は変ることなく存続し、むしろ露天商などにはおびただしい数の素人衆がはいってくるなどあって、同業者による組合の設立、鑑札制度の問題などもからんで、コロビとタカモノシに分離する成行となった。

 「香具師」という言葉の由来については、以前に『話藝-その系譜と展開』(三一書房、昭和52年初版発行)の中の小沢昭一さんの「香具師の芸」から紹介したことがある。
2015年8月23日のブログ
 小沢さんの文章の一部を再掲する。
 「香具」っていうのを売っていた人がいたわけ。香具っていうのは、白檀とか伽羅とかっていう匂いもの、またその道具だけれども、これはお化粧品の一種というふうな考えがあるんですね。いま薬局行くと、お化粧品と薬品と同時に売っているんですが、あれは非常に古式ゆかしいことなんで、つまり、薬草、そういう薬と匂い袋などの香具、そういうものは同じ商売なんです。

 「香具」という字については、これで分かるのだが、読み方の由来にはいろんな説がある中、小沢さんは「薬師(やくし)」が元になったのだろうという郡司正勝さんの説を支持していた。

 その香具師の中にも、商う物によって、コミセ、サンズン、コロビ、タカモノシといった呼称があるのは、知らなかったなぁ。

 この後、『一眼国』のあらすじの紹介があった後で、かつての風習のことが書かれていた。
 一つ目小僧という妖怪伝承が日本独特のものなのか、くわしいことは知らないが、関東地方には二月と十二月の事八日、つまりお事始めとかお事納めの夜、この妖怪が家々にやってくるとして、庭先に目籠をかかげて退散を願う風習がつい最近まで残されていた。また、この日家の外に履物を出しておくと、疫病にとりつかれるという言い伝えもある。
 一つ目小僧が、かつては神であったと推論した柳田國男は、「妖怪はいわば公認せられざる神である」といっているのだが、いずれにせよこの「公認せられざる神」さまたちは、こと見世物界にあっては、輝ける大スターなのである。

 事八日における、妖怪からの魔除けの行事については、まったく知らなかった。

 事八日は、針供養の日としても伝わっている。
 すべからく、旧暦での行事。

 本書では、矢野さんがNHKの仕事での取材の思い出が語られている。執筆時(1993年)から二十年ほど前とのことなので、昭和40年代後半、ということか。

 二十年ほど前、NHKテレビの仕事で、秩父の夜祭りを彩る見世物小屋のいろいろを取材したのだが、これは面白かった。異形に対する関心に支えられた伝統的な因果物が、テレビ時代の今日なお根強い人気を有しているのだ。鶏の生き血を吸う狼少女とか、蛇娘なんてのが、オートバイの曲乗りや、サーカスに劣らず喜ばれているのである。もちろんほとんどがいかさまで、表向きは人間の言葉を解さないことになっている蛇娘が、化粧をしていないときは、女性週刊誌をめくりながら島倉千代子かなんか口ずさんだりしてるのだ。ちゃんとしたマイホームさえかまえ、幼稚園に通う孫のいる狼少女もい珍しくないときいた。

 『一眼国』や『蝦蟇の油』のマクラを思い浮かべる。
 例えば、「世にも珍しい怪物だァ、眼が三つで歯が二本」という口上で、小屋の中に入ると、下駄が置いてあったり、「六尺の大鼬(いたち)だ、六尺の大鼬」に誘われて見てみると、六尺の板に血痕がついていたり・・・・・・。

 オートバイの曲乗りなどより見世物小屋が人気、というのは、秩父という土地柄か^^

 そう言えば、小学校の頃、年に一~二度、サーカスの子が短期間転校してきたことがあったなぁ。
 せっかく仲良くなったと思った頃に、また転校。
 そのサーカスを観に行ったこともあった。

 引用を続ける。
 見世物小屋では、その日の興行を終えると、表にテント地の布をカーテン状にしめる。このカーテンを「ゴイ幕」と呼んでいるのだが、連帯意識が人一倍強いあの社会では、開演、終演はもとより、呼び込みの開始から、準備のためのゴイ幕をあける時間まで、各小屋一斉が原則だ。客足が落ちて、しまいにしようというときも指令によって一軒残らずざっと呼び込みの口上をやめる。このとき特別にひとだかりのしているところに限り、もう一口上余分につけていいことになっている。興行地における仮設小屋の材料、建設、期間中の調度一切から、ゴイ幕開閉の時間指令まで、すべて歩方(ぶかた)と呼ばれる興行社の手をわずらわすしくみだ。私たちが取材した時分、秩父の夜祭りに出る見世物を仕切っていたのは、高崎のほうも興行社だった。なにかとうるさい世界でもあるし、それでなくともこの種の取材では事前に挨拶に行くのが礼儀というものだ。そんなわけで、秩父の仮設事務所で炬燵にあたっている香具師の親分、でなかった興行社の社長さんのとことまで挨拶にうかがった。
 この世界では小屋掛けの一座のことを荷物と称しているのだが、この荷物が期間中安心して商売ができるように、いかに我々が努力してるか、細かいことだがと、酒屋や八百屋、それに風呂屋の手配の実例まであげて、この社長さん滔々と説明してくれた。荷物と歩方の信頼関係は、むかしながらの義理人情が支えているので、これは日本の誇る家族制度に根ざすものだと説く、いささか気負った演説口調になんともいえない愛嬌があった。そのかわりに荷物が約束をすっぽかすようなことがあったら、以後秩父の土地は一歩たりとも踏ませないなんて、ちょっぴり怖い啖呵もきった。
 このときスタッフが、「NHK」と局名のはいった電子ライターを手土産に持参したのだが、これがすっかり社長のお気に召してしまった。あくる日から、子分、ではない、平社員を引き連れての見まわりの際など、これ見よがしに局名をちらつかせながら煙草に火をつける。無邪気にすぎて、ほほえましく可愛くて、悪い光景じゃなかった。

 荷物と歩方、か。
 それぞれの商売に、興味深い符牒があるものだ。
 むかしながらの義理人情、とともに、そういう符牒も忘れ去られていくのだろうなぁ。

 香具師の親分、でなかった興行社の社長は、NHKのライターを水戸黄門の印籠のような気持ちで使っていたのかな。

 今では、見ることのできない見世物小屋、子どもの頃、お祭りの時に出ていたのに観なかったのが、悔やまれる。やはり、怖かったのかなぁ。
 
 それに反して、サーカスやオートバイの曲乗りを見た記憶ははっきりしている。
 そっちを選んだのだねぇ、きっと。

 12日の日曜は、今では新暦で行われる初午。
 落語なら『明烏』が旬のネタか。

 きっと、食べ物を中心とする屋台のコミセが並ぶのだろう。
 見世物小屋はもちろん、寅さんのようなサンズンには出合えないのだろうなぁ。

 あっ、明日は新暦ながら二月八日か。
 籠を外に出しておかなきゃ、旧暦を忘れた一つ目小僧が事八日と勘違いしてやって来るかもしれない。
 
 でも、もし来るなら、会いたいものだ。
 そして、捕まえて、見世物小屋へ・・・と思っても、肝腎の小屋がないじゃないか。
 せいぜい、何かと用を言いつけて、こき使うか。
 それじゃ・・・『化け物使い』だ。

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by kogotokoubei | 2017-02-07 21:36 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛