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噺の話

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落語の本の「注」で学ぶ。


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『古典落語 正蔵・三木助集』(飯島友治編・ちくま文庫)

 末広亭から帰ってから、『古典落語 正蔵・三木助集』をめくった。

 記事でも、茶楽の高座『芝浜』に関し、本書の「注」から「盤台の糸底」と「ばにゅう」を引用した。

 『芝浜』には、「寄場(よせば)」について次のような注もあった。

寄場
寛政二年(1790)老中松平定信が、火付盗賊改役の長谷川平蔵に命じて、石川島と佃島の間の砂浜を埋立てて「人足寄場」を作り、無宿者や刑余者で引取人のない者、また軽犯者を収容した。そして、これらの連中の更生策として、いろいろと手に職を覚えさせる方針であったが、後には油絞りなど、重労働を課すようになった。当時、寄場へ収容されることは、俗に佃島送り・石川島送り・略して島送りなどと呼ばれた。また、この連中、柿色水玉模様の着物を着せられたので、世人は俗に「水玉人足」とも呼んでいた。

 池波正太郎の鬼平ファンは先刻ご承知かと思うが、落語好き、歴史好きには、なかなか楽しい注だ。

 他にも、正蔵の『こんにゃく問答』には、こんな注がある。

三界
仏教用語、欲界・色界・無色界を指す。欲界とは一切の衆生が生死輪廻する淫欲と食欲を持つ者が住む所。色界は淫欲と食欲を解脱〔離れる〕した者が住む所。無色界はすべての物質を超越した世界。なお、志ん生の演じる『風呂敷』に「女は三階に家なし」とクスグルのは、この三界〔三階〕であるが、要は安住の場所がないの意である。

 紹介されている志ん生の『風呂敷』は、秀逸なクスグリの宝庫とも言える。
 「女、三界に家なし」のついて補足すると、女性は子どものときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がないという意味なのだが、現代では、まったく通じないだろう^^
 そんなこと言ったら、女性蔑視と非難されるのがオチ。

 ちなみに、無色界の最高の位を「有頂天」と言うんだよね。

 正蔵の『首提灯』には、ある人物の説明がある。

白井権八
鳥取城主の家臣の倅。寛政十二年(1672)同藩の侍を殺しで江戸へ逃げて来て、諸大名の所へ転々と侍奉公。延宝六年(1678)自首して磔になるまでの三年間に、斬取り強盗で百三十余人を殺した。その間、吉原三浦屋の遊女小紫と相愛の仲となる。権八の刑死(二十五歳)後、小紫は、東昌寺の住職が建てた墓前で自殺。さらに後年、好事家が造ったのが、有名な目黒の「白井権八・小紫の比翼塚」である。なお、歌舞伎に鈴ヶ森で幡随院長兵衛との出会いの場があるが、権八が江戸へ来たのは、長兵衛の死後二十五年目である。

 勉強になるのよ、落語は。

 『首提灯』で思い出した。

 志ん朝の大須のこの噺のマクラを書き起こしたが、志ん朝が、落語の言葉が伝わらない、と嘆いていたっけ。
 あらためて、少し紹介。
2016年3月26日のブログ

粗忽なんて言葉も分からないですね。粗忽ってのは、何なんですか、ってね。お若い方の中で、今日お見えになってらっしゃる方で、ご存じない方もいるかもしれません。シーンとしたところを見ると、ご存じないかもしれない。そそっかしい人のことを言うんですよ、粗忽と、粗忽者なんてぇこと言うの聞いたことない、聞いたことありません、なんと言うんでね、はっきり断られっちゃう
 で、こうなるとこっちも面白いなぁと思っていろんなことを聞くんですよ。雪隠って知ってる、とかね、ハバカリってなんだか分かる、とか。そやって聞いてたんですよ。そしたら、やっぱり私たちの噺のほうは昔の住居が出てきますから、行灯って知ってるってたら、知らない人のほうが多いですよ、若い子で、行灯。「行灯知ってる」「知りません」「なんだと思う」「食べ物ですか」・・・よく聞いたらね、天丼だとかカツ丼だとか、そういう類(たぐい)だと思ってるらしいんです。その想像も素晴らしいんです。っていうのは結局、なんかあんかけのなんかどんぶり物じゃないか、とそれがあんどん。はぁ、いいなぁと思ってね、嬉しくなりましたね、えぇ。よく時代劇なんかでもって灯りがつくでしょう、家(うち)ん中で、あれが行灯よ、あぁそうですか。敷居は知ってるったら、敷居は知ってますね、鴨居は、ったら鴨居は分からない。鴨居が分からないから、長押(なげし)はよけい分からない。というようなことになってる、ねぇ。
 これは、急にこういう話になっちゃって、私もこれから先のことでもって、皆さま方にお願いがあるんですが。おうちのお子さんにねぇ、やっぱりたとえ嫌がっても、教えた方がいいですよ、日本のことですから。外国のことじゃないんですから。

 そうなのですよ、外国のことじゃない、我が日本のことなのです。

 しかし、その国の親方、「云々」がデンデンじゃ、デンデン駄目でしょ!

Commented by at 2017-02-03 06:56 x
志ん朝のマクラ、面白いですね。語る顔つきが浮かぶようです。
かくいう私も蔵に目塗りをする(『家事息子』『ねずみ穴』)って何?と首を傾げたことがありました。
落語の一徳は昔の風物を現在まで伝えてくれるところにあります。

Commented by kogotokoubei at 2017-02-03 08:59
>福さんへ

落語は、好奇心がある人にとっては、実に楽しい歴史の教材だと思います。
また、生き方、世の中の見方、哲学ということでは、八代目正蔵が、我々噺家は都々逸で勉強する、なんてマクラで言っていますが、それもまた真でしょう。
『首提灯』は大須の三年目、平成4(1992)年54歳の時で、実に楽しい高座です。
大須のマクラ、また何か、と思っているのですが、結構大変なんです^^
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by kogotokoubei | 2017-02-02 12:54 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛