柳家小満んの会 関内ホール(小ホール) 1月19日
2017年 01月 20日
今回は、終演後の居残り新年会も楽しみに、関内へ。
地下の小ホールへ降りたが、いつものように小満んの奥さんやお嬢さんの姿はなく、有志の方が数名お迎えだった。
ロビーのモニターで開口一番を見ながら近くのコンビニで買ったおにぎりを、ほうばる。
少し腹に入れとかないと、居残りまでもたないのだ^^
モニターでは『饅頭怖い』の後半にかかっていた。知らない前座だ。
サゲ少し前に会場に入りメクリを見ると、柳家寿伴、と実に個性的な字で書かれている。
このメクリ、いつもの柔らかな字ではなく、角張った書き初めの失敗作のようだったなぁ^^
寿伴は、後で調べたら柳家三寿の弟子のようだが、その小さん門下の師匠も聴いたことがない。まだ、知らない噺家さんがたくさんいるねぇ。
その前座さんがサゲたところでほぼ真ん中あたりの席に落ち着く。
いつものように、六割程度の入りかな。
小満んの三席、順に感想など。
柳家小満ん『千早ふる』 (26分 *18:46~)
マクラでは“いろはカルタ”のいくつか(「月夜に釜を抜く」など)と、知ったかぶりの道案内の小咄などをふって本編へ。
ご隠居を訪ねるのは、柳家だから金さんだ。
歌の意味をと問われたご隠居が、最初に業平の歌を切れ切れで詠む部分、後半の「からくれないに」が出てこなかったので、成り行きを少し心配したのであった。
いろいろと噺家さんによって独自の、今風のクスグリを入れたくなる噺だと思うが、そこは小満んであるから、ネタそのものの楽しさを味わわせてくれる。
花魁道中の千早を見て、いい女を見たので竜田川が三日三晩震えが止まらなかったと言うご隠居に、金さんが「マラリアで?」と混ぜっ返す師匠小さん譲りのであろう古風なクスグリも、なんとも可笑しい。
歌の後半部分は、竜田川と千早の物語をなぞるうちに思い出したようで、サゲでは復活。聴いているこっちが、ホッとした。
こういうスリルを味わえるのも、この会ならではか^^
この噺の改作といえば、瀧川鯉昇が代表かと思う。竜田川がモンゴル出身であるなど飛び抜けて可笑しいのだが、それはそれ。本来の型を崩さなくても十分に楽しいことを小満んの高座が示している。
ちなみに、毎回受付でいただく小さな可愛い栞、今回は「百人一首」がお題。
川柳が二つ並んでいて、短いコメントがついていた。
○ふり袖を うごがすたびに 歌がへりこれには、笑った^^
○歌がるた 下女はまたぐらへ 取りためる
えらい違いである。
柳家小満ん『姫かたり』 (20分)
一度下がってから再登場。
この日は旧暦十二月二十二日。噺の舞台は「歳の市」の浅草。師走の十七、十八日の行事だから、まさに旬のネタなのだ。
初めてこの噺を聴いたのは、二年余り前の「雲助五十三次」で、その時の記事には、佐藤光房著『合本 東京落語地図』を参考にして、あらすじも紹介した。
2014年12月2日のブログ
侍と姫を中心とする詐欺軍団に騙られる(たかられる、ではない)医者の名、本では吉田玄竜とあり雲助は吉田玄端(げんずい)としていたが、小満んは高橋玄庵だった。
その藪でありながら高い薬代を請求し、貯めた金で高利貸しをする悪徳医者、いわば算術の玄庵と対照的な仁術の医者として、小満んは浅田宗伯の名をあげた。
浅田は有名な漢方医であり儒学者。徳川将軍家のご典医をつとめ、幕末に天璋院が書いた徳川慶喜の助命を求める書状を西郷隆盛に届けた人として伝わるが、そういう説明は、小満ん割愛。まぁ、本筋ではないからね。
この噺のサゲは、最初に歳の市の呼び声「市ぁ負けた、注連(しめ)か飾りか橙(だいだい)か」を仕込んでおいて、サゲで玄庵には「医者ぁ負けた、姫かかたりか大胆な」と聞こえるところに地口の可笑しみがあるのだが、この売り声の部分で少し言いよどみもあって、本来の可笑しさんを描き切れなかったのは残念。
とはいえ、姫に扮した詐欺軍団の女が美人であることを描写する場面で、小野小町を引き合いにして、「雪にカンナをかけて、トクサで磨いたように白い」とか、「梅香口唇」なんて言葉が登場するあたりが、この人ならでは。そうそう、雲助は、「い~~~ぃ、女」と、やけに長く引っ張っていたっけ^^
もし、そんな女性が、しなだれかかってきたら、玄庵でなくても・・・・・・。残念ながら(幸いにも?)、そんな女性には巡り合ったことがない。
駕籠について、塗り物が施された上等のものは「御乗り物」と言われ、駕籠かきは棒の長さから“六尺”と言われた、などの薀蓄も勉強になる。褌ばかりではないのだねぇ。
悪党軍団が玄庵から口止め料と言って騙った金、雲助は二百両としていたが、小満んでは値が上がった。最初玄庵が三百両を提案(?)したものの、お供の者に一人十両づつを加えて足すこと百両、計四百両と要求し妥結。腰元役や六尺、共の者も含め、結構な人数の騙り集団だ。
売り声とサゲとの関係については、もう少し伏線を張って欲しかったとも思うが、旬のネタを楽しく聴かせてくれた。
ここで、仲入り。
柳家小満ん『質屋庫』 (36分 *~20:21)
仲入り後は、上方ネタ(読み方は、「ひちやぐら」)のこの噺。
私が東京の噺家さんで聴くのは、権太楼、鯉昇についで三人目。
権太楼はブログを始める前に朝日名人会で聴いている。
鯉昇は、座間と日本橋で遭遇。
さて、小満んの高座はどうだったのか。
まず、マクラは湯島天神のことから入り、宮司さんのことで結構笑えるネタがあったが・・・秘密にしよう。
サゲにつながる菅原道真の「東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」をしっかりとふって、右大臣だった道真が左大臣の藤原時平の諫言で大宰府に流されたが、時平は「しへい」と呼ばれていた、と説明し小噺につなぐ。
天神様の賽銭に五百円玉二枚を投じた男に、どうして千円札にしない、と聞くと、天神様は“紙幣”がお嫌いだから、というサゲ。いいねぇ、こういうの。
それらの短いマクラから長講に入った。
小満んらしいとは言えるが、この噺としては、やや大人しい高座という印象。
どうしても比較してしまうのが枝雀の音源、そして随分前のことになるが、鯉昇の日本橋での高座。
2011年9月2日のブログ
とはいえ、小満んは小満ん。枝雀や枝雀を意識していると思しき(枝雀派?)権太楼、鯉昇のような派手さはないが、この難しい噺を楽しく聴かせてくれた。
そう、この噺、次のように場面転換が多く、聴かせどころが盛りだくさんなだけに、結構難しいネタなのだ。
(1)質屋の旦那が、三番蔵に出るという噂の幽霊について、質草に
なっている繻子の“帯”にまつわる、ある夫婦の物語を空想して
長科白で語る場面。
(2)番頭がお化け(と塩辛、と小満んは加えた)が怖いから一人では
蔵の番ができないと言うので、旦那に言われて熊さんを呼びに
行った定吉と熊とのすがらの会話。
この場面では、定吉が立ち聞きした旦那の話を中途半端につない
で熊さんから芋羊羹(上方のオリジナルや鯉昇は栗)を奢らせる。
(3)定吉から旦那が怒っていると早とちりした熊が、酒・たくわん
(小満ん、下駄を割愛したのは時間調整か?)を出来心で樽のまま
いただいたという過去の悪事を、つい白状してしまう場面。
(4)旦那に「熊さんは強いだってね」とおだてられて強がっていた
熊が、相手が“幽霊”と聞いた途端に威勢が衰えていく。
(5)熊と番頭とが幽霊の正体を暴くために離れで寝ずの番をしている
時の、二人の滑稽なやりとり。
(6)丑三つ時になり、三番蔵に質草の幽霊が出てからサゲまで。
これだけの場面転換がある噺なのだ。
小満ん、最初の場面の旦那の長科白は、結構立て板に水だった。十分位はあっただろう。この部分だけでも、聴きごたえがあった。
定吉と熊の掛け合いも可笑しかった。芋羊羹を三個せしめた定吉、そのうち一本は世話になっている向かいの小僧にやると言うと、熊が「人のゼニで義理を果たすな」の科白なども楽しい。
熊が旦那の家に着いてからの早とちりで、つい“樽泥棒”の前科を白状する場面は、枝雀派のような大袈裟な演出ではないものの、例えば熊が繰り返す「悪気があったわけでは・・・」の科白は、聴いていて普通に可笑しい。
寝ずの番での熊と番頭の二人の場面、正直なところ、枝雀派的な爆笑ネタにならないことへの物足らなさを感じてはいたが、これもこの人の味なのだろうと思い直した。
爆笑させるだけが落語ではない、という見本か。
やはり、最初の帯の逸話の作り話が、印象に残るなぁ。
私は、中盤から後半の動きのある場面も楽しいのだが、あの旦那の質草に関わる空想物語の部分が、実はこの噺の要ではないかと思っている。
爆笑派の頭取、枝雀も、そう思っていたふしがある。
『桂枝雀のらくご案内』(ちくま文庫)
文庫タイトル『桂枝雀のらくご案内ー枝雀と61人の仲間』は、昭和59(1984)年に徳間書店で『桂枝雀と61人の仲間』として単行本が発行され、平成8(1996)年にちくま文庫で再刊された。
『質屋庫』の章に、こんなことが書いてある。
しかしよくできた噺ですね。ことに前半の旦那のひとりしゃべり。空想の世界の中の嫁はんの心の動き、そして工面のしかた。「竹の筒」なんていう小道具のうまさ、「不縁になって戻って来た妹」なんていう心にくいまでの人物設定のリアリティ。あれだけでひとつの世界ができてますからね。これから生まれてくる人があの世界を「ええなァ」と感じてくれるかどうか心配なんですが、なんとか伝えたいものです。また、旦那のしゃべりを説明として淡々とはこぶか、噺中劇として気を入れてやるかなのですが、今のところは劇として処理してます。将来はどちらに落ちつくようになるでしょうか・・・・・・。小満んは、淡々とはこんだ、と言えるのだろう。とはいえ、あの“嫁はんの心の動き”は、十分に伝わった。あれだけでひとつの世界が、できていたのだ。
もし、枝雀が古希を迎えていたら・・・きっと小満んのような語り口になったかもしれない、などと思ったりするが・・・・・・。
さて、帰り際に受付を見たら、依然として奥さんとお嬢さんの姿がなかったのは、やや残念ではあった。
そこで、あっ、そうか、と前回の会での小満んの発言を思い出した。
昨年11月の会、本当はこれでおしまいのつもりで、奥さんからもそろそろ終わったらと言われていたが、高校の後輩を中心とする有志が手伝うからと継続することになった、と言っていたなぁ。
2016年11月28日のブログ
ということは、もう奥さんやお嬢さんはお手伝いにいらっしゃらない、ということか。
実態は分からない。
私は、ご都合が良い時だけでもいいので、お二人のご尊顔を拝したいぞ。
さぁ、終演後は、お楽しみの居残り新年会。
顔ぶれは、佐平次さんに久しぶりのYさんと私という居残り会発足メンバー三人に、ほぼ居残り会常連と言えるI女史とM女史という強力(?)な女性陣、そして今回はそのお二人よりも先輩という、さん喬がご贔屓と後で知ったNさんが加わっての六人が、関内で開業四十年を超える、いつものあのお店Dへ。
いつものカウンターではなく、初の座敷(小上がり)。
事前にお願いしていたご主人お任せのお通しが並んでいる。
菜の花のお浸しにホッキ貝の酢の物、湯葉の後には、大好きなクサヤも出てきた。
どの肴も実に結構。初参加のNさんが喜んでいただけたのが、幹事役としては嬉しかった。
落語の話題はもちろん、よもやま話に花が咲く。
NさんはIさんMさん、佐平次さんと落語研究会や暮れの末広亭「さん喬・権太楼二人会」の常連さん。かつて、研究会のチケット獲得のために泊まり込みした決死隊(?)のメンバーのお一人。
実は、佐平次さんは、役割分担や時間割りなどのシナリオを作るなど奮闘されていたのに、当日は風邪でダウンだったのだ^^
会話が弾む中、貝づくしの刺身が大皿で登場した後に、立派なのどぐろの塩焼き、最後は、特大牡蠣のオムレツまで。
素材良し、料理良し、話良しで楽しい宴が続いた四畳半の座敷は、その後、なんと高座に早変わりするのだった。
相撲好きで“プチたにまち”のYさんが、友人たちの前で『阿武松』を演じたことを彼のブログで知っていたので、さわりだけでも演ってよ、と言うと、澱みなくほぼサゲまでを語って拍手喝采。扇辰版を元にしたようだが、なかなかしっかりとネタが入っていて、感心した。好きなことを扱っているから、覚えも早いのだろうなぁ。
その後で、私も、とのご注文。私がYさんに無茶ぶりしたのだから、これは受けないわけにはいかない。
一瞬ネタをどうするか迷ったが、テニス仲間との合宿の宴会で披露した『子別れ』の下(『子は鎹』)に決めた。時間を考え、途中を端折った短縮版でご披露。あの時のように、登場人物が勝手にしゃべり出すという感覚は、残念ながらなかったし、志ん朝版と小三治版、さん喬版がごっちゃになったような感じで、自分としては今一つ。そう何度も落語の神様は助けてくれないのだ。
こんなことなら、もっと、稽古しておくんだった^^
そんなこんなで、千福の熱燗徳利が、さてさて、何本空いたのやら。
最後はご当地の瓶ビールを、ビアソムリエ(?)佐平次さんに注いでいただき、お店のご夫婦も交えて乾杯。
あっと言う間のほぼ二時間半、楽しかったなぁ。
久しぶりの落語と居残り会だもの、もちりん、帰宅は日付変更線を越えたのであった。
なお、次回は3月21日(火)、ネタは『和歌三神』『鶯宿梅』『味噌蔵』と告げられている。初めて聴くネタもあり、これまた楽しみだなぁ。
次回も倉で、くらくらしそうです。