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談志の心身を蝕んだものは何か-立川談四楼著『談志が死んだ』より。


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立川談四楼著『談志が死んだ』(新潮文庫)

 立川談四楼の『談志が死んだ』から、三度目の記事。

 談春の『赤めだか』を書評で褒めたことで、師匠談志から理不尽と思われる叱責を受けた談四楼は、毎晩深酒をするようになった。

 談四楼は、家の近くのかかりつけの医者を訪ねる。
 いっそ倒れて入院という事態にでもなれば楽になるのにとも思ったが、私は因果と丈夫だった。でもさすがに体が音を上げた。胃がシクシク痛むのだ。午前の診療が終わるギリギリに近くの藤畑医院に出かけた。
「続いてるんでしょうね、酒席が。まあ、ほどほどにと言っても聞く人ではないから」
 何年も前、藤畑先生の指導で行ったピロリ菌の除去に私は失敗していた。確か二週間酒をやめ、規則正しい生活をし、その間に薬を飲み続けるというものであったが、三日ともたずに挫折した。
「例の薬、二週間分ください」
「だから、それを決めるのはこっちの仕事だって」
「いや申し訳ない。あれよく効くもんだから」
 いつもの会話を交わすうち、思いついた。
「先生、このあと『マチス』へ行く?」
「そう、いつも通り。軽く食べて家に帰って昼寝」
「ちょっと談志の病状について聞きたいんだけど」
「ああ聞いてる。喉の変調だったよね」
 子供から年寄りまでの患者を抱え、町医者は信じられないほどの激務だが、それでもこの医師は休みが合うと落語会に来てくれる。寝る前の楽しみは一杯飲(や)りながらの落語のCDで、わけても志ん生の熱狂的なファンだ。
 この部分を読んで、私もピロリ菌の除去をしようかと思ったが、禁酒が長く続くと聞いて尻込みしたので、酒のみ同士(意気地なし同士?)として親近感をおぼえた。
 
 さて、気になるのは、かかりつけの町医者藤畑先生との会話。
 喫茶店に毛が生えた規模の「マチス」は、ランチタイムの客が引いたところだった。私は朝食兼昼食を済ませていたので、コーヒーを頼んだ。そしていつも同じ時刻に注文してあるのであろうランチが出来上がった時、藤畑医師がやってきた。
 (中 略)
「食べながら聞いてよ。勘定はオレが持つからさ」
「じゃ、甘えようかな。断わっておくけど、僕は主治医じゃないから推測の域でしかものは言えないよ。もっとも主治医当人には守秘義務があるけどね」
「わかってる。実は師匠がさ・・・・・・」
 誇張せず、過小でもなく、ここ数年の談志の病状と言動をありのままに話した。もちろん、怒鳴りつけられたことは言わなかった。サラダまできれいに平らげ、コーヒーが届いたところで藤畑医師が口を開いた。
「まずは老人性のうつが考えられるね。それもかなり嵩じてる」
 思い当たることがあり、私は言った。
「六十代半ば頃からかな、オレは老人初心者だ、老いにどう立ち向かっていいかわからないって高座でも言うようになって」
「五十代で老いを意識する人は少なく、七十代はもう加速度的に老いを実感してたいて諦めの境地になるんだけど、難しいのは六十代なんですよね。老いを自覚するんですが、それまでクオリティの高いことをやってきた人ほど認めたがらない傾向があるよね」
 談志はまさしくそのタイプだと実感する。捩じ伏せようと老いと戦い、徐々に劣勢となる。そういことだろうか。
「糖尿の気は?」
「あります。弟子に文都というのがいるんですがこれがかなりの糖尿で、二人が会うと数値の言いっこをしてます。さも自慢気に」
「そうか困ったな。糖尿があるのか。そこへもってきてアルコールと睡眠導入剤だろ。これ問題だな。アルコールは相当飲む方?」
「いや、そんなに強くない。酒場は好きですが、量は大していかないです。浴びるほど飲むのは弟子の方です」
 私をチラと見て、藤畑医師は続けた。
「導入剤は?」
「昔っから。私が入門した昭和四十五年にはすでに飲(や)ってました。当時は、あのほら、でかい錠剤の、そう、ハイミナール。通称ハイちゃんてやつ」
「ほう、ハイミナールとは懐かしい名を聞きましたな。でもあれ、危険なんだよ」
「聞いてます。当時、中毒者から死人や廃人がずいぶん出たって」

 前半の“老い”への心の備えに関する藤畑医師の指摘、他人事ではないなぁ。
 まさに、私がその“難しい六十代”だ。

 それほど“クオリティの高い”ことをやってきたとは言えないが、仕事にしてもスポーツにしても、好調だった時期に比べれば格段に質や量、スピードが劣っていることを感じる。
 当たり前なのだが、「なぜ、(以前できたことが)できないんだ・・・・・・」という忸怩たる思いがあるのも、正直なところだ。

 さて、藤畑医師は、次のようなことも談四楼に言っている。
「栄養失調になりますよ、このままじゃ。いやもうなっているかもしれない」
 栄養失調のせいだとさ、という談志の言葉が甦ったが、私は黙っていた。
「だってビールと眠剤だけの暮らしなんでしょ」
「固形物はまず取りませんね。食欲もなく味もしないとかで」
「体力の低下が著しい状態だから、何としても食わねばなりません。しかしそうして摂取したものが糖尿にどう影響するか。加えて眠剤の肝臓への負担があります。今の眠剤は比較的安全ですが、長期間にわたって摂取してますからね。病態は危険水域です。私だったら早めの入院を勧めます」
「当人が嫌がってるんです。たまの高座では声が出ないなりに頑張って。ま、そこは芸人だから。それを見た客も安心するんだけど、家へ帰ってからの落ち込みが激しいん」
「わかります。あそこまで行った人だから。今の自分をそのまま肯定すればいいのに、十全な頃に基準を置くので苦しみ、落ち込むんです。考えると苦しいから、忘我のためにアルコールと眠剤を摂取する・・・・・・」
 なるほど。藤畑医師話は理路整然といしている。


 この会話の中で談四楼の言葉を補足するためには、少し時間を遡る必要がある。

 『赤めだか』に関して談四楼が書いた月刊誌の書評を読んだ談志の最初の叱責は、出かけようとしていた談四楼が、留守電を再生して聞いたものだった。
「とんでもねえこと書きやがって、てねえなんざクビだ失せろとっとと出てけこの大バカヤロー」
 紛れもなく談志だった。このところ談志は喉に変調をきたし、高座を限定している。その温存しているはずの声の調子が並のテンションではなかった。私は戦慄した。談志が激怒している。それはわかったが、一体何をさして怒っているのか。私は性急にリダイヤルボタンを押した。
 二度鳴ったことろで談志が出た。
「少し電話から離れてました・・・・・・」
 名を告げ、そう言うと、留守電の声の調子に戻った。
「てめい談春の本を褒めやがっただろ。でたらめばかり書きゃがってよくもオレの名誉を滅茶苦茶にしてくれたな。おまえは要らねえ出てけクビだ破門だとっとと失せろ。詫びに来たって許さねえから早く出てけってんだ」
 一方的に切れた。
 この後、談志が番組収録中のMXテレビに談四楼は向かった。
 収録後の楽屋(控室?)での出来事。
 下っ腹にグイと力を入れ、気をつけの姿勢で声を振り絞る。
「この度は誠に申し訳ございませんでした」
 そしてカクッと直角に腰を折った。声は震えてなかったと思う。談志はゆっくりと振り返り、言った。
「詫びに来てもダメだと言ったろうが。許さない。帰れ」
 思いのほか小さく低い声だったが、本気で怒っていることがダイレクトに伝わってきた。しかし帰るわけにはいかない。ドアのところまで後ずさりし、出入りの邪魔にならないようドアから少しズレて、かつ談志の視界からはずれた。足を開き、手を後ろへ回し、踏ん張った。帰ってなるものか。
「おいしいね。ノンくんは料理が上手いなえ」
 猫撫で声の主は野末陳平氏だった。談志が持参した則子夫人(おかみさん)の手になる弁当をパクついているのだ。
「味がしないし、まるで食欲がねえんだ。遠慮なしに平らげてくれ」

 これが、後から藤畑医師との会話で思い出す、談志の症状の一つ。

 この後、談四楼は、車で帰る談志を見送った。

 次に談志の病状を物語るのは、なんとか許しを請おうとする談四楼が、スッポンのスープを手土産に訪ねた根津のマンションでの出来事。
 
 いきなり、談志は志の輔のことを悪く言い出す。
 談四楼は、新橋演舞場での志の輔との親子会で、談志が高座で自爆したことを思い出した。
「あいつはダメ。ウソだらけだ」
 あの、その後を願いします。ウソで固めた本を私が褒めたのがいけないのでしょうか。あれ、それだけですか。それだけでは何もわかりませんが、どうやら体調は最悪らしい。談志はつっかい棒をはずされたように座りこんだ。私も座った。この二十年ばかり、胡坐を許される関係であったが、詫びに来ているのだ。正座をした。
 談志は何も言わない。モゾモゾしている。体が痒いようだ。セーターと肌着おもろとも脱いだ。一瞬、目を背けた。痩せた。これが私が知っている、あの談志だろうか。手の届く範囲をボリボリ掻くが、何だろう、白い粉のようなものがポロポロ落ちる。
 皮膚だ。皮膚が乾き、粉状になって落ちてくるのだ。談志が私の目に気づいた。
「栄養失調のせいだとさ」
 だとさ? 談志がこの三日間で初めて親しみのある言葉を吐いたぞ。軟化か。許そうというのか。さて何分ほどだったか、談志は腹と言わず、背中と言わず、手の届く範囲を心ゆくまで掻いた。相当の量の粉を落とし、上半身裸のまま言った。
「一門解散だ」
 ははあ、そっちへ展開しますか。で、またなぜ。

 この顛末は・・・・・・。
 
 その後、一門会の後の打ち上げで飲んでいた談四楼は、トイレに立った時、女房から携帯に何度も着信履歴があったことを知った。

 何か緊急の用だろうか。一門会のある日の帰宅は遅くなるとわかっているはずなのだが。八十を超えた父が群馬にいる。もしや高齢の父の身に何か・・・・・・。
 発信ボタンを押すと、呼び出し音が二度鳴ったところで女房が出た。
「何かあったか?」
「家元から電話があった」
「家元から?何だって?」
「オレが間違ってた。忘れろって」
「忘れろ?それだけか」
「そう、それだけ言って、切れた」

 談志らしいと言えばそうかもしれないが、これでは、弟子はたまったものじゃない。

 しかし、やはり、談志は病人だったのだろう。

 『赤めだか』の単行本発行は、2008年4月。
 談志は、この年の5月に、喉にポリープがある疑いで自宅近くの病院に二週間ほど入院している。
 そして、同じ年の10月、喉頭がんであることを公表した。

 私が、“最初で最後”の談志の高座に接したのは、癌を公表するほぼ一年前の2007年10月、小田急新百合ヶ丘駅近くの麻生市民館での会だった。すでに、喉の調子は良いとは言えなかった。しかし、『田能久』の出来に満足できなかった詫びの気持ちだったのだろう、アメリカン・ジョークで笑わせてくれた。
 談志が亡くなった後、その高座を思い返した記事を書いているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2011年11月24日のブログ

 噺家にとって、声は、そして喉は命だろう。
 私が聴いた時、談志は満71歳。
 果たして、“老い”について諦観できていたのだろうか。
 それとも、かつての自分と比べ、絶望感にさいなまされていたのだろうか。

 死因は喉頭がんとされているが、心身ともに病んでいたことは、本書を読んで察することができる。

 ある特定部位のみに問題があったと言うよりも、長年の生活習慣や芸人ならではの心身の消耗が蓄積し、立川談志という稀代の噺家を蝕んでいた、と言ってよいのだろう。

 談四楼が納得できたように、藤畑医師が指摘するそれぞれー老人性うつ・糖尿病・アルコール・睡眠導入剤の長期服用ーが複合的に影響して、また、それらの悪循環によって談志の病状を深刻化していたように思う。

 本書には、晩年の談志の不可解な言動がいくつか紹介されている。
 
 やはり、それは病気がさせるものだったのだろう。

 老人性うつでは、私の大学時代の恩師で仲人をしていただいたN先生を思い出す。
 まったくそんな病気とは似つかわしくない方だった。しかし、大学を退職され、また、年齢の近いご友人が相次いで亡くなるようなことも影響したのだろう、老人性うつになってしまった。
 
 談志は、そういった心の病気と体の病気が、悪い面で相乗してしまったように思う。

 食べなくてはいけないのに、食べる気になれない。そして、酒と睡眠導入剤・・・・・・。

 
 もうじき11月21日の祥月命日だ。亡くなって丸五年。

 本書を読んで、あらためて、晩年の談志本人と弟子たちの姿に思いが至る。

Commented by saheizi-inokori at 2016-11-12 10:47
何だか身につまされるなあ。いくつか重なるし。
それにしても噺家の師弟関係という絆は強いんですね。
私ならこっちから破門だ。
Commented by kogotokoubei at 2016-11-14 08:55
>佐平次さんへ

このお医者さんの老いに関する年代で違った向き合い方の指摘、私も身につまされました。

「こっちから破門」とは、傑作^^
「雛鍔」の「こっちから出入り止めでぃ」を思い出しました。
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by kogotokoubei | 2016-11-10 20:51 | 落語の本 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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