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志ん朝が、二代目橘家文蔵から教わったネタのことなど。

 昨日10月1日の祥月命日を一日過ぎたが、古今亭志ん朝にちなむことを、ある本からの引用を中心に書きたい。

 志ん朝ご本人のことというより、今まさに襲名披露興行中の三代目橘家文蔵が語る志ん朝のこと、および彼の師匠先代の文蔵のことが中心。

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河出書房新社サイトの該当ページ
Amazonの本書のページ

 KAWADE夢ムック・文藝別冊の「永久保存版 古今亭志ん朝」のことは、発行されてしばらくして記事に書いた。
2014年10月28日のブログ

 あらためて、目次をご紹介。
未公開音源より初公開(聞き手 清水一朗)
志ん朝芸談
 -落語のこと、三木のり平のこと、親父のこと

古今亭志ん朝 生涯最後の対談 未収録部分を初公開
古今亭志ん朝x林家こぶ平(現・正蔵)
 親父は親父、芸は一代

古今亭志ん朝コレクション
【志ん朝の談話】
一つ屋根の下に
赤の他人三家族が住んだ
少年時代


【志ん朝インタビュー】
仲入り前に

対談
山本進x清水一朗
 若き日の古今亭志ん朝

インタビュー(聞き手 石井徹也)
噺家が見た
古今亭志ん朝

 古今亭志ん橋・三遊亭好楽・春風亭一朝・柳家小満ん・五街道雲助

インタビュー
二ツ目勉強会と古今亭志ん朝
 柳家三三・桃月庵白酒・入船亭扇辰・橘家文左衛門

対談
古今亭志ん朝x早川東三
 独語と落語とコンサイス

エッセイ
立川談志 志ん朝へ
中条省平 『仮性文藝時評』より
八木忠栄 『ぼくらの落語ある記』より

古今亭志ん朝
演目一覧


石井徹也 志ん朝の演目

古今亭志ん朝略歴

 「二ツ目勉強会と古今亭志ん朝」の章、当時の文左衛門のインタビューからご紹介。

文左衛門 志ん朝師匠とうちの師匠(故・橘家文蔵)は仲が良かったから、僕も前座の頃から志ん朝師匠には、よくかわいがってもらいました。
 志ん朝師匠は前座の頃の最初二年くらい、先代(八代目)の林家正蔵師匠のとこへ一日おきに出入りされてたみたいで、そのときにうちの師匠や先代の(五代目春風亭)柳朝師匠と仲良くなった。「ときには取っ組み合いの喧嘩もした」と、うちの師匠も言ってました。うちの師匠が二年ぐらい先輩ですけど、志ん朝師匠は御曹司なんで「朝さん、朝さん」と呼んでましたね。

 この後、志ん朝と文蔵の二人の仲の良さを物語る逸話が、弟子文左衛門によって語られる。

 志ん朝師匠はうちの師匠と噺の交換もされていたみたいです。僕が二ツ目で『蒟蒻問答』を教わったとき、「これは朝さんから教わったんだ」と師匠は言ってました。逆に『粗忽の釘』は「柳朝師匠から教わったのを朝さんに教えた」とも聞きました。志ん朝師匠は「お前の師匠はねェ、林家(八代目林家正蔵)に稽古してもらうだろ。帰り、上野駅まで歩くんだけど、その間ブツブツ演るともうできてる。本当に覚えるのが早ぇんだ。だからこっちが忘れることがあっても、あいつに聞けばすぐ教えてくれるからいいお前の師匠は便利だよ」ともおっしゃってました(笑)。

 以前二代目文蔵について書いた記事で、円生譲りの『団子坂奇談』を入船亭扇橋に伝えたのが二代目文蔵であることや、柳家喬太郎は文蔵の高座の袖で『竹の水仙』を聴いて覚え、了解をいただき自分のネタとしてたということを紹介した。
2016年7月30日のブログ

 志ん朝とはネタの交換をし合う仲だったんだねぇ。

 志ん朝が「便利」と表現したが、その典型とも思われる逸話を弟子が披露している。

 そういえば、朝、師匠のところに僕がいたら、電話がかかってきたことがあります。「志ん朝だけど、勢(文蔵師匠)ちゃんいる?」「はい。師匠、志ん朝師匠からです」「何?」「今度新しく弟子が来たから『寿限無』を教えたいんだけど、俺忘れちゃったから、勢ちゃん、すまないけど教えてくれ」「いいよ、いつ?」「今」「ええっ!?朝さん何、今なの?」「うん、電話で教えてちょうだい!」。仕方なく、師匠がずっと電話で『寿限無』を演って(笑)。たまに「朝さん聴いてる、ちゃんと?」「あ、聴いてる聴いてる」。なんてやってるから、傍で見てておかしくておかしくて。

 文蔵の前の名が勢蔵だったから「勢ちゃん」ということだろう。

 それにしても、志ん朝が文蔵に助けを求めたネタが『寿限無』で、すぐに電話で一席語らせるとは・・・・・・。

 その文蔵と志ん朝は、ほぼ同じ時期に旅立っている。
 
 当時の文左衛門の回想。

 志ん朝師匠と最後に話をしたのは、うちの師匠が亡くなった直後です。いろんなところから電話があると思って自宅に帰らず、師匠のうちにいたんです。そうしたら、通夜の前の日に志ん朝師匠から電話がかかってきました。病院のロビーからで、もう弱々しい声で「志ん朝だけど、勢ちゃんが死んだんだって」「はい」「ああ、そうかぁ。うーん、いや俺もねぇ、もうそろそろ・・・・・・」なんてぼそぼそしゃべって、「いやもうね、ヤバいんだよ、そのうち行くからよ」とガチャッと切られた。うちの師匠は九月十一日に亡くなって、志ん朝師匠もそのあとすぐ亡くなったのが十月一日ですから、ひと月足らずですよね。


 志ん朝と文蔵の交流は、相当深いものがあったのだろう。
 
 いくら「便利」とはいえ、電話でネタを教わろうとする者、そしてその願いを受けて教える側、これは普通の関係とは言えない。

 この本には、当代文蔵自身と志ん朝の思い出も興味深いことが語られている。
 しかし、今回は、あくまで同時代を生きた志ん朝と二代目文蔵とのことにとどめたい。

 あれから、十五年だ。

Commented by YOO at 2016-10-03 00:04 x
志ん朝が弟子に教えるために「からぬけ」を文蔵にさらってもらったという話や、小朝が入門当時、噺を全部一から直されたという話もどこかで読みました。わたしは文蔵は一度も聞いた事が無いのですが、地味でもみんなに信頼された貴重な噺家さんだったのでしょうね。
先日鈴本の文蔵襲名披露に行ってきましたが、強面の新文蔵の恥ずかしそうな、うれしそうな表情が可愛かったです。
Commented by kogotokoubei at 2016-10-03 12:18
>YOOさんへ

知れば知るほど、先代文蔵という噺家さんの存在が大きく感じられます。

鈴本、行かれましたか。
写真撮影タイムがあったそうですね^^
末広亭に行きたいのですが、いろいろ野暮用続きで難しいかもしれません。
池袋かなぁ・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2016-10-02 21:41 | 落語家 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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