『悋気の火の玉』で思う、いろいろー池内紀著『はなしの名人-東京落語地誌』より。
2016年 06月 24日
池内紀著『はなしの名人-東京落語地誌』(角川選書)
今回も、池内紀さんの『はなしの名人-東京落語地誌』を取り上げる。
『悋気の火の玉』の章から。
この章は、池内さんが、この噺の舞台の一つである大音寺で、実際に人魂を見たことから始まっている。
本当に、少し怖いこともあり(^^)、その後から、ご紹介。
元となる音源は、もちろん八代目桂文楽である。
「・・・・・・エー。花川戸に立花屋さんという鼻緒問屋がございました。あるとき、仲間の寄り合いでございます。そのくずれ、いまでいう二次会」
どうだ、これから吉原へくりこむつもりだが、いかないかい。オイ、立花屋、おまえさんもおいでよ。
悪友にさそわれて吉原にいって遊んでみたら、おもしろい。ドンドン、ジャンジャン、ガンガン、抜けるような騒ぎをした。根が商人であって、ソロバンをはじいて考えた。こんなことをしていた日には、いくら身上(しんしょう)があってもたまらない。もっと安く楽しめる方法はないものか。そうだ、身請けしよう。本人に話をして親元身請けというものにした。「根岸の里へ船板塀に江市屋格子、庭をひろくとって立派なご別宅をかまえました・・・・・・」
鼻緒問屋の店構え。これはもう判で捺したようにきまっていた。間口は狭いが奥が深い。天井から色とりどりの鼻緒が束になってぶらさがっている。だからしぜんと腰をかがめ、上目づかいにすすまなくてはならない。鼻緒だけではない、爪革や麻裏草履、店によっては傘も扱っていて、蛇の目や番傘が並んでいた。
壁にそってスラリと棚があり、下駄の見本が飾られている。薩摩下駄、駒下駄、吾妻下駄、日光下駄、それにポックリや雪駄。明治の中頃まで、駒下駄は畳つきののめりが好まれた。前がくってある下駄で、のちに一般化する両ぐりのものは、、いかつい感じで、やぼったく思えたらしい。地味なつくりだが、そのじつ、すこぶる上等品というのが履き手の自慢だった。落語「鰻の幇間」の一八は、客にカモにされ、あり金すっかりなくしたあげく、すごすごと鰻屋を出ていくとき、最後っぺのようにタンカをきった。
「オイ、履きものだよ、下足(げど)だよ。冗談いっちゃいけねえ、こんな小ぎたねェ下駄履くかよ、芸人だ、けさ買った五円の下駄だよ」
桐糸柾、本南部の表つき、鼻緒は白、またはネズミのなめし、茶の鹿革(こかわ)、あるいは繻珍(しゅちん)の腹革。こういったのが粋筋の好みだった。
同じ文楽の別の十八番にまで、下駄つながりで飛んでいくところが、実に楽しい。
それにしても、下駄の種類がたくさん登場するねぇ。
池内さんは、本業がドイツ文学者のはずだが、履物評論家でもあるのか^^
「繻珍」・・・私が持っている三省堂「新明解国語辞典」(小型版、1991年10月の第四刷)によると、こうなっている。
シュチン しゅすの地に模様を織り出した織物。「<繻珍」は、借字。では、「しゅす」はどうかと言うと。
繻子 縦糸・(横糸)を浮き出すようにして織った、つやが有ってなめらかな感じの織物。サテン。
ということで、サテンの地に模様を織り出した織物が、繻珍。
これ以上は、ご自分でお調べのほどを。
ちなみに、私が最初に「繻珍」という言葉に出会ったのは、樋口一葉の『たけくらべ』だ。
ご興味のある方は、青空文庫で第十一章をご覧のほどを。
青空文庫の樋口一葉著『たけくらべ』
珍しい言葉ほど、最初の出会いなどを覚えているものだ。
だから、この部分を読んで、『たけくらべ』を思い出した。
下駄屋さん、懐かしい。
子供の頃、北海道の田舎町でさえ、近所に下駄屋さんがあった。
あの頃の靴屋さんということになるだろうから、当たり前と言えば、当たり前か。
本書からの引用を続ける。
「悋気の火の玉」には四つの地名が出てくる。花川戸と吉原と根岸、それに大音寺前。花川戸の旦那が吉原のい女をひかして根岸に妾宅をかまえた。これは前半である。後半はもっぱら大音寺の門前。
どうして主人公を花川戸の鼻緒問屋にしたのだろう。むろん、花川戸に鼻緒問屋があったからだ。スラリと軒を並べていた。花川戸が下駄と鼻緒の街だったことは、都立産業会館裏の花川戸公園に「履物問屋街発祥碑」があることからもあきらかだ。「先人の偉業」を顕彰して、浅草履物会協同組合がこれを建てた。
検索していただければ、「履物問屋街発祥碑」の写真などをご覧いただけると思う。
なるほど、鼻緒問屋は、花川戸じゃなくてはならないのだ。
妾宅が根岸、というのは、落語好きの方に違和感はないだろう。
では、なぜ、妾と本妻の火の玉が出合うのが大音寺前なのか。
池内さんの散策も踏まえた裏付けが、書かれている。
実は、私が「繻珍」で思い出した、あの本のことを池内さんも引用しているので、ドキッとしたのだ。
大音寺は樋口一葉の『たけくらべ』の冒頭に出てくる。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」のすぐあと、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯がうつり、あけくれなしに遊び客のクルマがいきかうところー。
「大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気に町と住みたる人の申(もうし)き」
その『たけくらべ』では、下駄が重要な役目をはたした。雨の日に信如(しんにょ)は母のいいつけで用たしにいく。片手に届けものの小包み、もう一方の手に番傘。足は「鼠小倉の緒のすがりし朴木歯の下駄」。お歯ぐろ溝の角を曲がったところで、鼻緒が切れた。傘を大黒屋の門に立てかけ、紙のこよりで応急処置をしようとするのだが、うまくいかない。美登利が障子のガラスごしに見て、針箱の引き出しからちりめんの切れはしをつかんで走り出る。
「それと見るより美登利の顔は赤うなりて、どのような大事にでも逢いしように、胸の動悸の早ううつを、人の見るかと背後(うしろ)を見られて、恐る恐る門の傍で寄れば、信如もふつと振返りて、これも無言に脇を流るる冷汗、跣足(はだし)になりて逃げ出したき思ひなり」
ほのかな恋の物語。遠眼鏡で幼い日々をのぞいたような、あのだれにでもある遠い日の甘ずっぱい思い出。
信如の下駄と鼻緒は、花川戸の鼻緒問屋の旦那と、まんざらかかわりがなくもない。しかし、成熟寸前の少年・少女の「たけくらべ」と、少々成熟しすぎた本妻・別妻の意地くらべとでは、やはり、どうも、ちがいすぎるようだ。問題の鍵は、やはり大音寺にあるのだろう。
文章が、なんとも上手いなぁ。
大音寺、そして下駄から、『たけくらべ』につなげるあたりが、池内さんならではである。
『たけくらべ』で、この後に美登利と信如が、どうなったのか・・・は、実際に読んでいただきましょう。
さて“意地くらべ”の『悋気の火の玉』における、池内さんの大音寺の実地検証が続く。
本堂にすすんでいく途中、左手にニューと立っている、大きなまっ黒の石に気がついた。角の一方が削(そ)いだように欠け、基底に近いところも欠け落ちていて、奇妙なバランスで立っている。となりあった二面に文字が刻まれており、正面はおそろしく太い字体で「南無阿弥陀仏」、左面の細字は闇に沈んで読みとれない。ライターをつけて、おもうさま上にかざした。小さな炎のなかに、端麗な細字がクッキリと浮き出した。「為安政横死墓」。右肩に安政二年十月二日の日付。
西暦でいうと1855年である。秋十月のこの日、江戸は大地震にみまわれた。世に安政大地震といわれるもので、倒壊、焼失家屋一万四千戸。死者四千余。いたるところで火事がおこり、浅草から千足にかけてもまた壊滅。吉原田んぼは死者で埋まった。
落語は意味深い地誌をきっちりおさえている。ここは死者たちのいつも立ちもどるところなのだ。悋気のあげくの人魂もまた、落ち合うところは大音寺でなくてはならない。「悋気の火の玉」の舞台は慎重に選ばれ、意味深く語りつがれてきた。ここにはいまもなお、夜ごとにものさびしげな人魂があらわれ、人知れず消えていく。
なるほど、火の玉は、大音寺に向かわなければならないわけだ。
意外に、この噺を生で聴くことは少なく、2012年5月に池袋で三笑亭笑三で聴いただけだと思う。
2012年5月3日のブログ
『悋気の独楽』は、結構多くの噺家さん、特に若手から中堅が演じるが、こっちの噺は、やはりそれ相応の人生の経験(?)がないと、難しいということだろうか。
小満んは、ネタに持っているのかなぁ。
ぜひ聴きたいものだ。
私は池内さんの下駄の解説から、樋口一葉の『たけくらべ』を思い出し、その後読み進むうちに、大音寺という舞台と下駄の結びつきで、池内さんが『たけくらべ』を引用された部分を読んで、その偶然に驚きもし、嬉しくもあった。
こういう僥倖に出会うことも、本を読む楽しさであるのだろう。
(ハンドルネームを幾代太夫→うめに変えました)
(また備忘録としてブログをスタートをしました。改めてよろしくお願いします。)
先日円楽師の不倫釈明会見がマスコミで話題となりました。
私は違和感を感じました。落語には「悋気の火の玉」等々、妾が登場する素晴らしい噺がいくつもあります。それらを演じる噺家が不倫問題で話題になるなんて、ましてや涙を流して釈明するなんてと。
勿論不倫は行為として褒められたものではありませんが、なんか粋じゃないですよね〜
円楽師の大師匠は亡くなる直前まで「ガールフレンド」がいたらしいですけど(笑)
「悋気の火の玉」先代の三升家小勝師がよく演じてました。
ここ数年では三笑亭笑三師と三遊亭小遊三師で聴いたことがあります。
小遊三師、登場人物がみんな可愛らしくて、聴いてて楽しくなってきます。
ブログ開始、おめでとうございます。
今後は、落語ブログ仲間として、あらためてよろしくお願いします。
あの噺家のことについては、コメントする気にもなりません。
かつての芸人さん噺家さんとは、器の大きさが違いすぎます。
芸に艶を出すなんてこともありえないでしょう。
まぁ、他に聴くべき人が、若手を含めたくさんいるので、テレビで人気になり法外なギャラを稼いでいる腹黒のことは忘れましょう。
へぇ、正蔵ですかぁ。
たしかに、今や根岸と言えば自分たちのホームですね.
彼には、高座よりも落語協会副会長としての仕事に期待しているのですが、やっぱり「お尻をふくかいちょう」かな^^