「あいつらは山の手の井戸だ」の意味、などー飯島友治『落語聴上手』より。
2016年 06月 09日

この本を元にした糊屋の婆さんに関する記事が、予想以上の反響(?)だった。
結構、長年の落語愛好家の方の中にも「海苔」と勘違いされていたようで、記事を書いた意味があったかな、などと思っている。
この本は、飯島友治さんへのインタビューの内容も素材となっているので、題材に関連して飯島さんの思い出話もちりばめられている。
それが、結構読んでいて楽しいし、ためになるのである。
断片的になるが、飯島さんの「昔の思い出」とでもいうべき内容をご紹介したい。
まず、井戸に関する章からの引用。
井戸水は、竿のついた桶や釣瓶で汲み上げて手桶にいれますが、さらにそれを家まで運ばなければならない。水汲みは女手には大変な仕事、嬶ァ天下でなくても長屋の亭主連は、仕事から帰ってきて井戸端で足を洗うついでに〔当時の仕事用の履物は多く草履やわらじ、それに道路はほこりまみれ、足を洗わなかったらとても家には入れない〕水を汲んでいました。
「・・・・・・あんたが帰ってくるのを、あたしゃ・・・まァ、さっきから待ってるんだよ」
「うん・・・そうか・・・やっぱりなにかい?お前(めえ)でも亭主(ていし)が帰(けえ)って来んのが待ち遠しいのかい」
「だって急用があるんだもの」
「はあ?・・・何でィ急用ていのァ?」
「済まないけど水・・・一杯汲んでおくんなさいよ」(六代目馬楽『熊の皮』)
ぼくが住んでいた麹町辺では、ふつうの掘り抜き井戸をつかっていた。しかし高台なので水脈まで深く掘ってあり、深い井戸で有名でした。
結婚前の若い者同士が深い仲になると、「あいつらは山の手の井戸だ」と言いましたよ。「山の手の井戸」は「深い」を連想させる言葉になっていた。
圓生の『妾馬』の初めの部分に、井戸替えの場面が出てきています。
大正の初めごろですが、ぼくが管理していた千駄ヶ谷の長屋でも、年に一度、長屋総出で井戸替えをしていた。
引用した前半は『熊の皮』の導入部で、夫婦の会話が交わされる場面。
人のいい甚兵衛さんだが、記憶力はいいとはいえない。しっかり者の女房が、近所の医者で祝いごとがあってもらった赤飯のお礼の口上を教える場面の“鸚鵡返し”が楽しい。
『鮑のし』と同じような設定だが、女房が甚兵衛さんに水を汲みに行かせ、「立っている者は親でも使え」ということわざがあるから、他にも亭主にいろんな仕事をさせる場面に、この噺ならではの可笑しさがある。
水汲み、やはり、男手を頼りたい力仕事に違いない。
後半の飯島さんの思い出話から発展し、「あいつらは山の手の井戸だ」という、今では想像もつかない言葉を教えてくれる。知らなかったなぁ、この表現は。
こういった比喩を巧みに使った会話、最近は少なくなったと思う。
落語は、江戸や明治の庶民が、洒落た譬えなどを挟んだ楽しい会話をしていたことを伝えてくれる。
それは、寿司屋さんの符牒のような効果もあって、たとえば、紹介した内容であれば、「あいつらは深い仲だ」と言うより、ずっと粋じゃないか。
井戸替えは、その昔、旧暦七月七日、七夕恒例の行事。
圓生の『妾馬』で冒頭に登場する他には、八代目文楽の『つるつる』でサゲで使われている。
次に、江戸時代の長屋の大屋(大家)の主な収入源について書かれている部分からの引用。
お読みになって、尾籠な話というご指摘があるかもしれないが、落語長屋を知るためには欠かせないことであり、経済的な面でも重要なことなので、ご了解のほどを。
大屋は管理する長屋の全住人が排泄する、一か年分の下肥代を一人あたり米一斗の割とし、それを時の相場で貨幣に換算して、契約した農家から十一、十二月に翌年分を前納させた。たとえば、長屋の住人が百人いれば、米十石の代金になる。原則として、十五歳以下では一斗はもらえなかったが〔実際どの提訴もらえたのか文献で出会ったことがないのでわからない〕、大屋のほうでは、いろんな理由をつけて頭数を多くして代金を取ろうとする、お百姓のほうではそれでは割に合わないと、両者で虚々実々の駆け引きが展開されたようです。
肥取りへ 尻が増えたと 大家言い
なんという川柳が残っています。
一人あたり米一斗というのも平均的なもので、農家に近くて職人階級の多い長屋では、一斗を超えるというような例もあったとか。それは、ヒジキに油揚げ、香の物と味噌汁といった商家の食生活に比べ、力仕事をする職人階級の住む長屋の食生活のほうが内容がいいので、下肥の効き目もよかったというわけです。
また、お百姓さんが汲み取りのサービスに持ってくる野菜もばかにならない。暮れの中頃になると毎年契約更新をするが、大屋は、言うこと聞かないと出入り止めだぞなんて脅しつけて、餅米の只取りというような辣腕をふるったそうな。
餅米に なるも店子の おかげなり
というわけです。
今、有機農業とか無農薬などが叫ばれるが、江戸時代は、それが当たり前。
お百姓さんにとって、長屋からいただく“肥料”は、実に重要だった。
高く引き取らせたい大屋と、できるだけ安く引き取りたいお百姓さん。
「尻」の数をめぐる大屋とお百姓さんとの交渉は、きっと白熱したことだろう。
この後に、飯島さんの思い出が続く。
ぼくの家は麹町にありましたが、子供のころ、明治三十年代には、契約していたお百姓さんは永福のほうから来ていた。サービスに唐茄子とか大根、蕪、人参、ごぼう、それに麦焦がしなどを持ってきてくれるのだが、その容れ物には閉口した思い出がある。
馬に引かせた荷馬車に肥桶を積んで契約の家を回るわけで、その肥桶は来るときは空っぽ。その空いている桶へじかに、大根やかぼちゃを入れてきていた。子供ころそれを目撃してショックを受け、母がそのかぼちゃで料理をしてくれたものの、食べる気になれない。で、わけを話すと、母親から目の玉が飛び出るほど大目玉を食いましたよ。お百姓さんが丹精して作ったものに、もったいないことを言うものではありません、と。
思えば、衛生も蜂の頭もない、おおらかな時代でしたな。
以前の噺のクスグリに、「・・・・・・そんなこと言やァがると、長屋三十六軒徒党を組んで、向こう三年の間、糞をたれねえぞ」という脅しに、大家がグウの音もでないなんて場面があったが、いままでの背景がわかると、少しは大家の気持ちを理解していただけるでしょうか。
飯島さんが食べるのを躊躇してお母さんに叱られたという、お百姓さんが持ってくる野菜・・・私も、結構、腰が引けるなぁ。
最後の「長屋三十六軒徒党を組んで」、という脅し、大屋ではなく今の政府に対し、「日本国民一億二千万人徒党を組んで、税金を払わねえぞ」と言ってやりたいが、そうは簡単に連帯はできないねぇ。
紹介した内容からも察することはできるが、飯島さんの実家は、借家(長屋)を保有するような家だったようだ。
だから、大屋と店子に関する内容が、本書の後半は多い。
その中から、最後にもう一つ引用。
長屋の噺では「大屋といえば親も同然、店子といえば子も同然」という言い回しがしょっちゅう出てきて、長屋中が大家族的な絆で結ばれている。
(中 略)
大正ごろまで、長屋の子供たちが、
やかん引っくり返して火事だして、大屋に面目次第もねえ
こんなザレ歌を伝承的に歌っていましたが、この歌のなかには、当時の大屋と店子の間の気分が実によく表現されていると思います。
こうして見てくると、落語の『小言幸兵衛』の大屋は、その性格からだけで小うるさくしているのではなしに、社会の仕組みのなかで、精一杯生きているのが見えてきます。
賢明な方は、私が飯島さんの本をダシにして、自分の小言を美化しようとしているという魂胆が、バレたかな^^
数多の昭和の名人たちの全集で、飯島さんの名は有名だろう。
しかし、飯島さんの詳しいプロフィールなどは本にもネットにも見当たらない。
だから、何がきっかけで落語評論や落語集の編集者としての道を進むようになったのか、東大落語研究会との縁は何だったのか、など詳しくは知らない。
すでに書いたが、その評論の内容などで、一部の噺家には嫌われていたらしい。
しかし、この本を読むことで、今後は飯島友治という名から、明治生まれの、落語を深く愛していた品のいい“旦那”の姿を想像することができそうだ。
アメリカ人は、いまだに下肥を使っているそうです。道端の経営学という本でちらりと読みました。世の中は、案外に変わっていないのかもしれません。
コメントありがとうございます。
殿様ネタのマクラではありませんが、下肥を使った野菜の方が旨いということは、世界共通なのでしょうね。
落語のことを中心に、いろんなことを書いているブログですが、今後も気軽にお立ち寄りください。
わたしは、まさか、経営学の本で現代の下肥についての知識を得るとは思いませんでした。読書は脱線が楽しいですね。
また覗かせてください。わたしも時代小説は好きなのですが、落語については全くの野蛮人。未開なのです。文明開化を目指して頑張ります。
「道端の経営学 戦略は弱者に学べ」という本ですね。
レビューなどを拝見すると、結構面白そうなので、読んでみようと思います。
時代小説がお好きなら、すぐに落語の世界にも苦も無く入っていけると思います。
今後も気軽にお立ち寄りください。
