糊屋の婆さんー飯島友治『落語聴上手』より。
2016年 06月 08日

久しぶりに、この本を元にした内容。
1991年筑摩書房から発行された『落語聴上手』は、筑摩の『古典落語』シリーズの解説の内容などに、飯島友治さんが顧問を務めていた東大落語研究会のOB(東大落語会)メンバーによる飯島さんへのインタビューの内容を加えて出来た本。
すでに、三代目三遊亭小円朝のことや、彼の十八番の一つ『笠碁』について書かれた内容を紹介した。
飯島さんは、高座での噺家の視線や細かな所作などを大事にし、いわば写実の落語を好む人。
また、「爆笑」より「微笑み」の落語に重きを置いていた人と言えるが、落語家によっては、彼の評論に嫌悪した人がいたことも事実。重箱の隅をつつく、と感じる人もいたのだろう。
すでに紹介した内容についても、落語愛好家の中には、好みの違いもあるだろうし、抵抗感を抱く方がいるかもしれない。
しかし、この本、固いことばかりが並ぶわけではない。
後半は、「落語長屋」のこと、その住人のことなどが書かれており、私は楽しんで読むことができた。
その中から、さまざまな噺に登場する、あの“婆さん”のことを取り上げる。
糊屋の婆さん、金棒引き
長屋住まいのなかで、落語によく登場はしているが、現在ではその実態がわからなくなった人物がいます。
糊屋の婆さんもその一人で、その個性ある生活ぶりをちょっと紹介しましょう。
(殺生禁断の上野不忍池に釣にいく約束をしたのを、与太郎が長屋の入り口で長屋じゅうに聞こえるような大声でしゃべってしまう)
「何をいってやがン。昼約束したのァ内緒だよ。戸がしまっていたって、この長屋でもって寝た家は一軒もない。とりわけ向こうの糊屋の婆ァに聞こえたらどうするよ。あの婆さんのことを世間でなんて言ッてる、おしゃべり婆ァッてえくらいのもんだ、町内じゅう広まっちまわい、ばかッ」(八代目正蔵『唖の釣』)
落語に登場する婆さんといえば「糊屋の」という形容がついた、でしゃばり婆さんに相場がきまっています。
そうそう、糊屋の婆さんと言えば、落語長屋の重要人物である。
ざっとあげてみても、本人が登場しなくても話題になる噺も含め、『三味線栗毛(錦木)』『佃祭』『言い訳座頭』『唐茄子屋政談』『軒付け』『富久』『妾馬』などなど。
噺家によっては、その人なりのクスグリで登場させることもあるねぇ。
さて、その婆さん、いったいどんな人物なのか。
糊屋の婆さんは、落語家の創作した人物ではありません。どの長屋にもいたわけではないが、各町内に一人か二人はいた。とりわけ、花柳界界隈にある長屋には必ずいたもんです。
長屋の住人のなかでも、そのしたたかさにかけては三役級。よい言葉でいえば世話好き、裏返せばおせっかいやき、実は好奇心の塊、金箔付のおしゃべり、とびっきりの金棒引きです。
飯島さん、なかなか楽しげに説明している。
江戸や明治時代に使われていた様々な言葉が現代社会では失われていくが、この「金棒引き」も死語になりつつあるなぁ。
いわば、“ラウドスピーカー”だね。
町内に、今でもいるねぇ、どんな小さなことでも大きくして言いふらすおばさん。
「ちょっと聞いたァ?」と、聞きたくもない人の噂話を触れ回る、回覧板婆ァ。
あれですよ、あれ。
しかし、糊屋の婆さんほど、町内の“ラウドスピーカー”は、苦労していない人が多いはず。
おしゃべりといえば糊屋の婆さんが出てくるほど。亭主はなくしていて、一人暮らしなんでしょうか、その名のとおり、表看板に姫糊を売り歩いていました。
姫糊は、現在の生活のなかでは出番が少なくなりました。今でも後糊つけは行われるので、ビニールのチューブに入ってスーパーの家庭用品棚あたりに並んでいます。
クリーニング屋などないし、洗濯後にアイロンをかけたりもしなかったその昔は、木綿物の洗濯物は、姫糊を薄くといた水につけ形を整えて干すことがどこの家でも行われていた。洗濯の干し板〔張り板〕といって、幅30~55センチ、丈180センチ、厚さ2センチほどの板〔上製は檜、並みは杉板〕に、姫糊をといた水にしたした洗濯物を張り付けて干すこともあった。乾いたあとは、糊がつよいとぴんとはって薄い板のようになる。
江戸っ子はどういうものか、ゴワゴワに糊の利いてピンと張った浴衣をとりわけ好んだようで。
この後に、姫糊は、婆さんの他に、木戸番小屋や荒物屋でも売っていたと説明がある。
姫糊を売る木戸番〔番太または番太郎と称していた〕のところで糊を売っていた町内には、ふつう糊屋の婆さんは住んでいなかったそうで、たとえ住んでいても、婆さんは遠慮して売り歩くことをしなかったらしい。
そのへんは、お互い商売人の仁義を通していたということだ。
この後、『富久』の一節が紹介される。
久さんが自分の住んでいる長屋が火事と聞いて駆けつけ、火元について、「ああ糊屋の婆あだ。爪の先ィ火をとぼして、けちけちしやがって、その火からぽォッ・・・・・・」とつぶやく場面だ。
本書では、しっかり(?)、姫糊の製造法も紹介されている。
余談ですが、姫糊の作り方は、まず米を洗って粉に挽きます。その粉に水を加えて、弱火でよくかきまぜながら煮て作る。米は屑米を使うこともありました。米を柔らかく煮て、突きすぶして作ることもある。当時は防腐剤などなかったので、夏場の売れ残りは加熱して腐敗を防いでいた。
しかし、作り方はいたって簡単だが長屋の狭いところで作るのは大事なので、たいていは仕入れてきて、決まった得意先を売って回っていました。また、糊屋の婆さんが売り歩くのは、晴れた洗濯日和の日に限られていた。雨の日にはたとえ洗濯したところで、お天道様の恵みなしに乾かすことができないので、洗濯する者などいなかったからです。
この後、『佃祭』で、用意した早桶がいらなくなったから、糊屋の婆さんが「お前(まい)さん先がないのだよ。あの早桶を貰って行ったらどうだい」と言われ、「いい加減にしておくれ、縁起でもない」と言い返す一節が紹介され、飯島さん、次のように締めている。
落語ではちょくちょく顔を出す糊屋の婆さん、その堂々たる厚顔無恥な故に愛敬さえ感じさせます。後家をがんばり通して、口の達者さを武器に懸命に生きているところが、同じ長屋の仲間もちょっとからかってみたくなる存在だったんでしょう。その名が出てくるだけで噺らしくなる存在感を備えています。
こうした人物が活躍するところに目をやるのも、落語の味わいの一つですね。
こういった内容を読むと、飯島さんが、単に写実主義に執着する狭量な落語評論家ではないことがわかる。
落語の世界を深く愛していたんだなぁ、と思い、親近感がわいてくるのだ。
糊屋の婆さん、私も好きだなぁ。
なぜなら、ただのおしゃべりじゃないからね。
人情味のある婆さんでもあって、『三味線栗毛(錦木)』では、錦木が風邪をひいて寝込んでいると、おかゆをつくってあげたし、『唐茄子屋政談』でも、同じ誓願寺店に住むあの母と子を思う情けが伝わってきたではないか。
どんな人生を歩んできたかは不明だが、一人でしっかり生き抜いている逞しさも感じる。
おしゃべりだって、いろんなことに関心を持つことで、ボケ防止に努めているのかもしれない^^
それなりの存在感があるから、もし、しばらく顔を見せなければ、長屋の連中が様子を見に行くことだろう。
「それは、長屋だから」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれないが、今の世の中、マンションの隣の人とだって、挨拶も交わさないかもしれないのだよ。
これからの高齢化社会。
もし、独居老人となった場合を考えると、糊屋の婆さんの生き方に学ぶことが、結構多いのではなかろうか。
ずっと「海苔屋」だと思っていました。
私の祖父が、浦安で海苔の番人をしていたという話を聞いていたせいでしょうか。
えっ、YOOさんほどの方でも、「海苔」と勘違いされていたのですか!?
この記事を書いた甲斐がありました。
なるほど、お祖父さんのお仕事のイメージが強かったのですね。
『たらちね』でも、噺家さんによっては、「この長屋で独り者は糊屋の婆さんと八っあんだけ」として登場することもありますね。
主演にはならないけど、落語長屋の住人として不可欠な存在です。
えええっ、ほめ・くさんもですか!?
割愛しましたが、飯島さんの本に、舌きり雀のことも載っているんですよ。
長屋では、住人それぞれが姫糊を作ることは難しかったでしょうが、昭和の時代には、各家庭で糊を作っていましたよね。
我が家でも、そうでした。
それにしても、この記事への反響は、まったく予想をしませんでした。
あらためて、糊屋の婆さんに感謝です^^
私も「海苔屋」だとばかり。よもや「糊屋」とは思いませんでした。
もしかしたら噺家さんでも知らない人がいるんじゃないでしょうか?
最近「糊の効いたシャツ」なんて言葉、聞きませんもんね。
また、落語を聴く楽しみが増えた気がします。
ありがとうございました。
昨日は、帰宅の電車の中、携帯音楽プレーヤーで枝雀の『軒づけ』を聴いていました^^
そうそう、『不動坊』にも名前だけ登場しますね。
意外に長年の落語愛好家の方も「海苔」と思っていらっしゃたようで、記事を書いて良かったかな。
さて、いくら位だったのかなぁ・・・・・・。
いずれにしても、そんな高いものじゃなかったでしょうね。
洗い張り、なんて言葉なども、落語の世界だけに残るのかもしれません。
私が友人との宴会で落語を披露する際、マクラで二つ三つ用語解説をします。そうしないと、疑問を抱えたままでは楽しめないですからね。
江戸も明治も、遠くなりにけり、です。
過分なお褒めをいただき、恐縮です。
私にとっては、「海苔」と思っていらっしゃった落語愛好家の方が多かったことが、意外な発見でした。
他にも、そんな盲点があるかもしれませんね。
そのうち、何か書くかもしれません。
気長にお待ちのほどを願います。
