樋口強さんの「いのちの落語」と、柳家喜多八。
2016年 05月 29日
おかげさまで、その後の外来診察でも、きわめて順調と担当医が言っているし、ヒノキ花粉がまだ飛んでいる時期なのに、何年ぶりになるだろうか、鼻で普通に呼吸ができることが嬉しくてならない。
笑いが健康に良いことは、噺家がマクラでよくふるネタでもあるが、笑うことがストレスの解消になったり免疫力が高まることは事実だろうと思う。
私などの経験など足元にも及ばない体験を元に、落語の笑いで健康になることを実証されている方がいらっしゃる。
ご自身の癌との闘病体験を元に、「笑いは最高の抗がん剤」と唱え、毎年がん患者を招いて「いのちの落語」と題する落語会を開いている、社会人落語家の樋口強さんだ。
「樋口強のいのちの落語」というホームページに、樋口さんのプロフィールや、落語会開催の意図などが詳しく紹介されている。
「いのちの落語」公式ホームページ
このホームページの存在は、拙ブログへのコメントをきっかけにメールでの交流を続けている方から以前に教えていただいて知っていた。
そして、柳家喜多八のことをネットの検索で調べているうちに、同ホームページで喜多八に関する、新たな発見があった。
ぜひ、拙ブログで紹介したいと思い、メールで依頼したところ、すぐに、樋口さんの温かい人柄が伝わる丁寧な返信にてご快諾をいただいた。
まず、ホームページから、樋口さんの「ごあいさつ」を引用したい。
ごあいさつ
みなさま、こんにちは。いのちの落語家・樋口強です。お変わりありませんか。
私の「いのちの落語」は、いつもこの言葉で始める
ことにしています。今日が昨日と変わらない、明日も今日と同じ日でありますように…。
これがいのちの原点だと思っております。
突然ですが、あなたは生きて何がしたいですか。
私は43歳のときに「3年生依存率5%」というがんに出会って、それでも生きたい、と切ないまでに思いました。でもその次に、では生きて何がしたいんだろう、と病室のベッドの中で問い続けました。そして、たくさんのことに気づきました。
このホームページには、樋口強がいのちをかけてつかんだ「輝いて生きるたくさんの知恵」が詰まっています。生きることにつらくなったとき、苦しくなったとき、一歩も前へ進めなくなったときにお立ち寄りください。
樋口強が二つ目のいのちを生きる信条は、
①笑いは最高の抗がん剤
②自分の生き方は自分が決める
③「普通のことが普通にできる」が一番
④そして、『生きてるだけで金メダル!!』
ほかにも、元気になれるたくさんの著作があります。
思いっきり泣いて笑える「いのちの落語講演会」で全国各地へ伺います。
いつも扉を開けてお待ちしています。私と一緒に笑ってみませんか。
いのちの落語家 樋口 強
私より少し年上だが同世代の樋口さんが訴える信条の言葉は、強く心に響く。
社会人として、これから、という四十代で発病・・・・・・。
私など並みの人間ならば自暴自棄になるかもしれない状況から、自らを鼓舞して立ち直ってこられた、ご本人しか分からない体験が、言葉の背景にあるのだろう。
喜多八と「いのちの落語」とのつながりを、ホームページの樋口さんの記事で知った。
喜多八は、この落語会に出演していたのである。
樋口さんの特別寄稿の全文をご紹介したい。
特別寄稿 柳家喜多八師匠に捧ぐ-噺家の美学-
「いのちの落語独演会」主宰 樋口強
喜多八さんと出会ったのが今から35年前。
まだ二つ目で「小八さん」と名乗っていた頃だ。
社会人落語の会で楽屋にフラッと顔を出して、私の出番の前に一言、
「聞かせてもらいます」
礼儀正しい人だった。
2001年、私が生きるはずがないというがんに出会って5年が経ったとき、
「がんの仲間を招待して落語会をやりたい」と喜多八さんに話したら、
「アタシも(その高座に)上がらせてよ」
と、特別出演を買って出てくれた。
会場は上野広小路亭。
ここは落語芸術協会が定席として開業した場所で上野鈴本とは目と鼻の先。
落語協会の噺家さんが出演してはいけない高座である。(喜多八さんは落語協会所属)
「気にしなくていいんですよ。アタシでお役に立つんなら」
初回から13年間、毎年しびれるような迫真の高座であった。
博品館(毎回切符が取れないことで有名な喜多八独演会)でも見せたことのない落語の楽しさとすごさを、全国から集うがんの人たちに教えてくれた。
そして、2012年の高座でこう切り出した。
「アタシもね、この度、皆さんのお仲間に加えていただくことになりまして・・・」
会場から拍手が起こった。
喜多八さんがあとになって述懐する。
「がんを告白して拍手されるのはこの会だけだよ。けど温かいね」
一年に一度、東京深川に集う全国のがんの仲間たちが、喜多八さんの至芸に酔いしれ大笑いした。
喜多八さんがこの高座に掛けた噺の数は18席。
初回が『小言念仏』。そして、『粗忽の釘』、『やかんなめ』など大爆笑の得意ネタが続き、『明烏』、『船徳』と絶品芸がかかる。
そして、2013年。この会を卒業する最後のネタに選んだのは、とっておき『鰻の幇間(たいこ)』であった。
会場のがんの仲間たちは、「笑うと元気になれる」と、その高座から生きる希望と勇気をいただいた。
しかし、2013年の春、新幹線で移動中の私の携帯に喜多八さんから電話が入った。
「今年で終わりにさせてほしい」
「わかりました」
多くの会話は必要なかった。
喜多八さんは病気のつらさや苦しさを決して高座には出さなかった。
噺家としての美学を貫き通した人であった。
その柳家喜多八師匠が育ててくれた落語会が、今年も9月に全国からがんの仲間が駆けつけて、東京深川で16回目を迎える。
柳家喜多八師匠のご冥福をお祈りいたします。
最初に読んだ際、目頭が熱くなった。
特に、2012年の会での冒頭の挨拶と、お客様の反応・・・・・・。
他の方のブログなどを拝見すると、2011年、あの震災の頃に手術で二十日間入院し、その年には、再入院もしていたようだ。
それから、五年・・・・・・。
一昨年から昨年にかけて、私や居残り会仲間の人たちの、喜多八の高座の印象は、だいたい似ていた。
驚くくらい痩せていたが、声も良く出ていて、しっかりした高座だったし楽しめた、という内容。
しかし、病魔は休むことなく、喜多八の体を蝕んでいたのだろう。
邪推だが、昨年末から正月にかけての入院は、樋口さんと私が偶然同じ言葉で形容した、「美学」を貫くための最後の“燃料補給(ピットイン)”だったのだろうか。
喜多八の美学、あるいは哲学は、決して独演会やホール落語の高座でのみ発揮されたものではなく、日常の考え方や行為のすべての底流にあったことが、樋口さんの文章でよく分かる。
社会人落語会における“「聞かせてもらいます」”の言葉、そして、「気にしなくていいんですよ。アタシでお役に立つんなら」と、上野広小路亭という落語芸術協会の定席にも関わらず、「いのちの落語会」に出演した行為、それらが、まさに喜多八という噺家の“美学”の現われだと思う。
最後の最後まで噺家として高座にが上がることを貫いたために、喜多八が「いのちの落語」の客席の側で落語を聴き笑うことは、実現しなかったようだ。
しかし、喜多八は、樋口さんが挙げる信条の一つ、「自分の生き方は自分で決める」ことを実践したに違いない。
だから、もし、彼が休養をとっていれば、「いのちの落語」の客席側にいたならば・・・と考えるのは、喜多八にとって実に失礼になるのだろう。
あらためて、柳家喜多八のご冥福をお祈りする。
そして、樋口強さんの「いのちの落語」の活動が、今後も一人でも多くの方の支えになることを、お祈りしたい。
ますます残念です。合掌。
数回だけ聴いた生の高座のカッコよさを反芻しています。
昨年の春、闘病中の友人に落語をすすめて米朝師匠の「落語と私」を送ったら、たいへん喜ばれてベッドでYouTubeの色々な落語を楽しむことが日課になったという嬉しい返事をもらいました。しかし、夏の間に急変して旅立ってしまいました。彼女も一流の美学の持ち主でした。
政治や社会のニュースに情けない気持ちになりながらも、人間の崇高さに思いを馳せたいです。
コメントありがとうございます。
喜多八は、私が聴いた高座では、一度も「いのちの落語」のことを語っていません。
それも、彼の噺家としての美学なのだと思います。
ご友人は残念でしたね。
しかし、落語を知って、それを楽しんでの旅立ちは幸せだったのではないでしょうか。
そうなのです。
ますます、喜多八が好きになる話ですよね。
樋口さんからは、掲載後にもメールで温かい言葉を頂戴しています。きっと、たくさんの方が、喜多八の「いのちの落語」の高座で癒されたのでしょうね。
それが彼の救いにもなっていたことを祈ります。
