柳家喜多八、殿下が貫いた芸人の美学。
2016年 05月 21日
ある程度の心の準備はしていたつもりだが、柳家喜多八の訃報は、あまりにも悲しく重い。
ここ数年、高座で出会う度に、どんどん痩せていくようで、居残り会でも、よく話題になり心配していた。
そして、昨年末からの入院、今年正月鈴本初席の休席で、容態のへ懸念は高まるばかりだった。
その思いは、多くの落語愛好家の方が共有していたことであったのだろう、落語協会ホームページで鈴本初席への喜多八休席の案内の内容が不適切ではないかという主旨の拙ブログの記事へのアクセス数は毎日上位にあり、昨日は、とんでもない数になった。
結局、今年最初に行った落語会、1月14日横浜にぎわい座での睦会における『やかんなめ』が、私にとって最後の高座になってしまった。
2016年1月15日のブログ
自分の記事で恐縮だが、その高座に関する内容を確認したい。
柳家喜多八『やかんなめ』 (25分)
久しぶりに聞く出囃子「梅の栄」とともに緞帳が上がり、高座に喜多八の姿。
痩せた・・・・・・。
まくらで、栄養失調で1月4日まで入院していた、と語る。入院前は40キロそこそこで、それより3キロ体重は戻ったと言っていたが、頬はこけている。髪も、以前は染めていたのかもしれないが、白っぽい。
しかし、声は、いつもの喜多八なのだ。あるいは、かつて聴いた中でも、大きいくらい。
以前演じたネタを調べていたら、「これ、やってなかったんだ」と選んだネタは、十八番の一つ。
侍がお供の可内(べくない)に向かって何度か「笑うな!」と叫ぶ場面で、会場も大いに沸いた。
本編にかかるマクラで「一病息災」の言葉があったが、それは自分自身に言い聞かせていたのかと思わないでもない。
上方では『癪の合い薬(あいぐすり)』の題。
高座は、何ら健康時とは変わらない、いや、それ以上かもしれない。
しかし、まだ体重は戻っていないし、歩けない状態は、健康とは言えない。
喜多八にとっての「合い薬」が見つかり、無事快癒することを祈るばかりだ。
残念ながら、「合い薬」は、見つからなかった、ということか。
ブログを書く前から聴いているが、ブログ開始後の最初の記事は、2008年10月25日の、当時はビクター落語会という名の三田での落語会、文左衛門、白酒との三人の会における、『文七元結』だった。
2008年10月25日のブログ
ビクターを冠した会としては、私が最後に行った会。ご存じのように、その後は三田落語会として存続している。
こんなことを書いていた。
柳家喜多八(15:15-16:05)
喜多八師匠の文七は初めて。この人は、出やマクラの弱々しさに騙されてはいけない、「コントラストの魔術師」といえる噺家である。登場人物の演じ分け、静と動、声の大小、という変化を巧みに芸として活かすテクニシャンである。時節柄少し早いかな、と思うのはこの落語会の事情なのだろう。「コントラストのマジシャン」の今日の芸、特にラストシーンでの鼈甲(べっこう)問屋・近江屋卯兵衛の貫禄ある姿と長兵衛とのコントラストが見事だった。吾妻橋でのくすぐりで「誰か来ねぇかな、来りやぁこんな奴渡しちまうのに」など、師ならではのオリジナリティも秀逸だが、やはり何と言っても「コントラスト」の妙がいいのだ。時間の都合でマクラもそこそこに本編に入り、終了間際の携帯電話の騒音にも惑わぬ熱演。
「コントラストの魔術師」という思いは、今も変わらない。
落語愛好家仲間であり人生の大先輩、喜多八贔屓の佐平次さんと度々行った博品館の独演会を思い出す。
また、鯉昇との二人会で会場を満席にした、ざま昼席落語会での雄姿が偲ばれる。
今年に入ってから、喜多八の出演情報が余りにも多いことに、ある感慨を抱いた方は多いのではなかろうか。
板付き-高座まで歩けない、ということは、きっと会場までも歩くのが困難な状況と察する状態で、最後の最後まで休むことなく現役の噺家として貫き通したのは、まさに殿下と言われた柳家喜多八という芸人の美学そのものであったように思う。
自分のブログをたどりながら、目が潤んでくる。
今日は、これ以上は書けそうにない。
最後まで美学を貫いた柳家喜多八という稀代の噺家のご冥福を、心よりお祈りする。
得難い噺家さんでしたね。
「唖の釣り」は博品館で聴いています。
私は泥棒ネタが他の追随を許さなかったように思います。
「鈴ヶ森」や「もぐら泥」など絶品だったなぁ。
とにかく、残念です。
しかし、高座で倒れてもいい、という覚悟で美学を貫いたのではないかと思います。
私にとっては昨年秋の池袋が最期の高座でした。
あの粋でダンディな高座姿が見られなくなると思うと悲しいです。
「やかんなめ」「筍」「鈴ヶ森」「いかけや」等、忘れられない高座が沢山あります。
古典の名手が一人この世を去ったというのに、世間(マスコミ)の落語への注目は笑点笑点笑点、新メンバーの話題で大盛り上がりです。
それはそれと言ってしまえばそれまでですが、喪失感と相まって益々しらけてしまいます。
「粋でダンディ」、おっしゃる通りです。
泥棒ネタ、廓噺、今では珍しい噺など、いろんな高座を楽しませてもらいました。
あのテレビ番組が好きな方で喜多八を知らない人も多かったのだろうなぁ、などと思うと、それも残念ではあります。
じっくりと過去の自分の記事をたどっております。
私は最後に喜多八の高座に接したのは、鈴本特別興行仲日の長短でした。本当につらそうながらも声にはまだ力があり、次は7月余一会の落語教育委員会を楽しみにしていましたが、もうあのけだるそうに高座に登場する姿が見られないかと思うと残念です。
私にとって最後の高座も、見た目に反するような声の張りに驚きました。
居残り会メンバーもそうなのですが、多くの落語愛好家の方が、喜多八を愛していたことを、コメントなどで再認識しています。
コメントありがとうございます。
日が経つにつれて、その存在の大きさを思い知らされます。
同業の噺家さん達も、相当なショックを受けているようです。
なかなか、あの芸風を継げる人は、出てこないでしょうね。
お久しぶりです。
「柳派の良識」ですか・・・。
協会を問わず、東西を問わず、老若を問わず、という姿勢は、なるほど「良識」の発露だったのかもしれませんね。
持っている数少ない音源で、威勢のいい掛け合いの中での「なにをぅ!」の響きが、実にいいんですよ。
居残り会仲間、皆、落ち込んでいます。
