四代目江戸家猫八の訃報に接して。
2016年 03月 31日
まだ、66歳。
昨年9月12日の、むかし家今松独演会が、私が聴くことのできた最後の高座になってしまった。
今松の会は、前年に続いての出演。
ご本人も、この会に呼ばれるのを、心底喜んでいたことが、思い出される。
2015年9月14日のブログ
2014年11月9日のブログ
昨年、私は次のように感想を書いた。
昨年に続き、膝替りはこの人。
猫の紋の着物で登場し、座布団に座った。かつて、祖父の初代猫八の時代には、もの真似も落語と同様に座って演じた、息子の小猫が洋服で立って演じているので、私は古風な形で、と説明。
その表情が、ますます父親に似てきたなぁ、という印象。猫や犬、鳥などの「音をつかむ」コツを演技を挟んで解説。森の五種類の小鳥の鳴き声を交え、その覚え方のコツ(たとえば、三光鳥は「月、日、星、ホイホイホイ」と鳴くなど)を披露しながらの芸は、すでに父親と並んだか、もしかすると越えているかもしれない、と思わせた。
「お後、今松師匠の大作がございます。準備もできたようですので」と下がった姿が、なんとも粋に感じたのは、私だけではないだろう。
なぜ、座っての芸だったのか・・・・・・。
もしかすると、立っての芸が、すでに辛かったのか、とも思わないでもないが、それは邪推か。
昨年の高座における猫八の姿には、今思うと、与えられた高座を精一杯に努めよう、この時間を大事にしよう、というような思いが伝わってきた。
いつも、そういう姿勢で臨んでいるのかもしれないが、何か、あの一期一会には、特別なものを感じていた。
早い旅立ちで思い出すのは、父、先代の猫八のことだ。
三代目猫八は、80歳で亡くなった。
しかし、他人には見せない、病に苦しんでいた人なのである。
一昨年の8月6日に、三代目猫八は広島で原爆に遭遇し、原爆症であったことなどを書いた。
2014年8月6日のブログ
自分の記事だが、一部を引用したい。
-------------2014年8月6日のブログより---------------
岡田六郎は戦後、原爆症に苦しんだ。そして、原爆投下直後の広島の惨状の記憶が、猫八のトラウマになっていたようだ。
彼が意を決して戦争のこと原爆体験のことを語り出した(正式には「従軍被曝体験記」)のは昭和五十六(1981)年のことであり、『兵隊ぐらしとピカドン』が上梓されたのは昭和五十八年になってからである。
四年前2010年8月のNHKの戦争特集の中で放送された「戦場の漫才師たち~わらわし隊の戦争~」を見て記事を書いたことがあるが、あの映像の中で戦争の悲惨さを語っていた森光子さん、玉川スミさん、喜味こいしさんは、みな旅立った。
2010年8月11日のブログ
先代猫八、かつての岡田六郎兵長も平成十三(2001)年に八十歳の生涯を閉じた。
以前リンク可能だった広島平和記念資料館のサイトの過去の企画展紹介ページに、昭和二十一年頃の猫八が奥さんと一緒に移っている下の写真が掲載されていた。
広島平和祈念資料館のサイトでは、さまざまな被爆者の方の生の声を確認することができる。
「広島平和記念資料館」サイトの該当ページ

八重子夫人と猫八さん 1946年 (昭和21年) 頃ころ
猫八さんは、この頃、髪の毛が抜ぬけ落ち、
白血球は減へり続けていました。
提供/四代目江戸家猫八氏
*広島平和記念資料館のサイトより
明治、大正生れの方から戦争体験をお聴きする機会が次第に失われていく。
先月下旬、広島に原爆を投下したB29爆撃機“エノラ・ゲイ”の12人の搭乗者のうち最後の生存者が亡くなったというニュースを目にした。93歳だったようだから、原爆投下時点で、猫八とほぼ同じ年齢だったことになる。
二十代前半の若者が、一人は空から原爆を投下する役目を持ち、もう一人は投下後の悲惨な光景を目にすることになったわけだ。
-------------------------引用ここまで-----------------------
四代目猫八の死因は胃癌のようだが、原爆症だった父からの遺伝に関係があるのかどうかは、私には分からない。
しかし、自分よりも早くやって来た息子を、父は喜んではいないだろうなぁ。
とはいえ、あちらでは、親子共演で、天国寄席の重要な色物の看板になるに違いない。
物まねの芸は、しっかり、継承されている。
家業とも言える貴重な色物芸の継承者としての四代目の功績は、きわめて大きい。
四代目江戸家猫八の冥福を心より祈る。
自分より若く亡くなる人を悼む気持ちが強くなりました。
息子が立派な芸を身につけているのがせめてもの幸せでしょうか。
私が小中学生の頃、子供番組の司会もされていて「小猫のおにいさん」と呼ばれていたのを覚えています。「ケンちゃんシリーズ」にも出演されていた様な。
タレントとしての活躍は勿論、本業の動物声帯模写でも楽しませて貰いました。又冥土寄席が賑やかになります。合掌
そうですか、座っての高座もあったんですね。
「鈴本」でこんな場面がありました。
猫八の後に出た主任の金馬が『長短』に入るマクラで、
親父の猫八について「長い友人だった」と語ると、今の猫八が高座に飛び出してきました。
金馬「まだ、いやがった!」
場内は大うけでした。
訃報はとても残念です。
四代目は、冥途寄席で顔づけするには、まだ早すぎですね。
たしかに、襲名後しばらくは、子猫の名の印象が強かったのですが、ご子息が子猫になってから、私は猫八で落ち着くようになりました。
祖父から父に伝わる貴重な芸を、しっかりと二人の子にも橋渡ししたことは、現在の大衆芸能を考える上で、歴史的にも大きな功績として語られるべきでしょう。
突然の訃報にビックリです(;_;)。
今年1月2日の浅草演芸ホール初席での小猫さんとの共演が名残りの高座になってしまいました…。
3月25日の新宿末廣亭で妹のまねき猫さんが、“この芸は家族だけで百年以上続いています。別の協会に私より少しだけ有名な兄がいます。私は先代猫八の再婚後の長女で、兄は亡くなった先妻さんの子です。今は息子の小猫も高座に出ていて、もう数十年は続きます”みたいなことを話していましたが、あのとき既に猫八師は亡くなっていたんですね…。
ご冥福をお祈りします。
子猫も、まねき猫も、気丈ですね。
まねき猫の芸もなかなか楽しいですね。
母である父三代目の再婚相手は、四代目の奥さんのお姉さんかと思うので、猫八一門の結束は、そういう面でも強いのでしょう。
