人気ブログランキング |

噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

江戸時代の「厄払い」のこと、など。


 「恵方巻き」という、まったく伝統とは無縁な現代の疑似年中行事が終って、ほっとしている。
 恵方に相応しい言葉は「恵方参り」であり、これは落語の『御慶』のサゲにも登場する。
 先月の小満んの会での『御慶』は、実に結構だった。

 何度か書いているが、節分の伝統的行事は「厄払い」「厄落し」であり、その一環としての「豆まき」である。


e0337777_12023670.jpg

宮田登著『江戸歳時記』(吉川弘文館)

 宮田登著『江戸歳時記』は、吉川弘文館から発行された「<江戸>選書」の一冊で、初版は昭和56年発行。私は神保町で買った初版を読んでいるが、2007年に復刊されている。

 「江戸歳時の世界」の章から、厄払いに関する部分をご紹介。

 実は必ずしも大晦日や節分の日だけに厄払いがあったわけではなかった、などについて。

立春と節分

 旧暦が中心だった時代には、暦の上でまだ新年にならないうちに、立春が来てしまうことがあったが、これはどうも改まった感覚が生まれにくかったのではなかろうか。
 元旦と立春の間は、かなり近いのがふつうで、時に一致する年があった。
 (中 略)
 節分の豆撒きと十二月の追儺の儀礼とが混同しはじめたのは、江戸時代にはいってからのこととされている。
 柊の枝に鰯の頭をさして焼き、それを門口に置くのは邪霊を防ぐための呪術であり、邪霊の化身というべき鬼が追われる。室町時代の『徒然草』の中で、大つごもりの夜に松明をともして人々が夜半すぎまで各家の戸口をたたきまわったことを印象深いこととして記しているが、この夜はまた追儺の行なわれている夜でもあった。さらに節分の豆撒きがくわわることがあると、いっそう賑やかになったのである。
 小豆や大豆が厄除けの呪力をもつという考え方は古くからあったが、災厄を一身に背負う厄払いという職能が出現したのは、江戸や京・大坂という大都市であった。喜田川守貞の『守貞漫稿』には、厄払いが文化元年以来、大晦日、節分、正月六日、十四日にまわってくるようになったと書いている。元来は、節分の夜の厄払いの行事と結びついていたものである。厄年の者が、節分の夜に神社へ厄落しに参拝するというのを、身代わりになって厄を一身に背負う代償として銭十二文をもらった。
 これは願人坊主が、身代わりに代参して、報酬を得るのと同じ発想であり、都市社会であるからこそ成り立つ商売でもあった。

厄払い・厄落し

 「御厄払いましょ、厄落とし、御厄払いましょ、厄落とし」のよび声が、夕暮どきに町のいずところもなく聞えてくる。年越しで厄を払うのか、ごくあたり前の心情であるが、江戸では、さらにこれを三回にわたって厄を払っておこうとする、何度払っても落しきれない厄の蓄積が、厄払いの民俗を複雑にしているのであろう。

 あら、江戸時代には、なんと四日も厄払いの日があったのだ。

 当時の江戸庶民に蓄積されたと思っていた厄を、「恵方巻き」を食べて払っていたわけではない。
 しかし、払うべき厄は、現代人の方が少ない、とは言えないだろう。
 今の日本も、払わなくてはならない厄がたんまりと蓄積しているような気がするなぁ。

 さて、立春の今日、旧暦では十二月二十六日。
 今年の旧暦元旦は2月8日だ。
 ニュースでは、「春節」休暇による大陸からの「爆買い」ツアーの話題が流れている。

 立春と旧暦の元旦が一致することも巡り合わせでありえる。
 1954年と1992年がそうだったし、次は2038年。

 江戸時代、文化年間にあった四度もあった厄払い日。
 せっかくなので(?)、矢野誠一さんの『新版・落語手帖』から、厄払いの口上をご紹介。読むだけでも、少しは厄が落ちることを願って(^^)
矢野誠一著『新版・落語手帖』

ああら、めでたいなめでたいな、今晩今宵のご祝儀に、目出たきことにて払おうなら、まず一夜あければ元朝の、門に松竹しめ飾り、床にだいだい鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年、東方朔は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大介百六ッ、この三長年が集まりて、酒盛りいたす折りからに、悪魔外道がとんで出て、さまたげなさんとするところを、この厄払いがかいつまみ、西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山のほうへサラリ、サラリ」

 落語『厄払い』では、与太郎さんがこの口上を覚えることができず苦労する。
これ、与太さんじゃなくても、覚えるのは大変だ(^^)

 厄、と言えば、私は昨年が還暦の本厄だった。

 その昔、還暦で迎えて、こんな句を詠んだ人がいた。

 春立つや 愚の上に又 愚にかへる

 小林一茶の句だ。

 一茶は、藤沢周平が『一茶』で著したごとく、決して平穏な人生を送った人ではない。

 遺産相続をめぐる骨肉の争いなど、その二万句を超える作品の印象からまったく想像できない多難な日々を送った人のようだ。

 紹介した句は、実に身につまされる。

 六十年も生きてきて、なんと愚かしいことばかりやってきたか、と私も思うばかり。

 かと言って、あの時にタイムマシーンで戻ることができたところで、同じ愚行をしていただろう、とも思う。

 立春の夜、そんなことを思いながら飲む酒は、少しほろ苦い。
Commented by 山茶花 at 2016-02-05 00:37 x
節分の恵方巻、生前の米朝さんも首を傾げておられました。「あんなもん、昔はあららへんかった」と。確か落語「厄払い」の枕での事だったと思います。「昔は『お化け』いうて、お婆さんが桃割れ結うて若い娘の格好をしたりしたもんやけど、今や花街だけでしかないなぁ」と。

「大阪船場商人の風習」だという人もありますが、庶民の風俗・風習は殆ど落語に描かれています。「正月丁稚」しかり「厄払い」しかり、「風の神送り」しかり。私が小さい頃には恵方巻の習慣は大阪でもその周辺でもありません。上方落語に唯一巻き寿司を丸かじりするシーンが出てくるのは、真夏の噺「遊山船」です。屋形船でお大尽が遊んでいる時に、舞妓(当時の舞妓は今の小5~中2程度)に巻き寿司を切らずに食べさせるという趣向をさせている所です。それを橋の上から見ている喜六と清八。

上方落語によく「のり屋のおばん」というのが出てきますが、恵方巻は海苔屋の陰謀です。大阪の昔からの風習でも何でもない。兵庫出身の母も知らなかったし、父に至っては高校まで九州に住んでいたので、結婚して大阪に住んでもそんな事は知らず。この習慣は関西でもせいぜい30数年の歴史しかありません。

ただ節分には珍しい巻き寿司が売られるので、買ってきて適当な大きさに切って食べています。無言でなんて食べません。それよりも私は鰯が大事で、塩鰯のお腹に明太子が入った物もこの時期しか買えないので買ってきて焼いています。

恵方巻は、海苔屋のおばんの陰謀ですね。
Commented by at 2016-02-05 07:00 x
一茶の句、身にしみました。

自己弁護ですが、愚に愚を重ねてきた、と振り返られることが少しばかり聡明になった証拠、と思うようにしております。
Commented by kogotokoubei at 2016-02-05 08:58
>山茶花さんへ

恵方巻き、大阪の海苔屋に加え酢の商人たちも、陰謀にはかかわっているようです(^^)
今は、コンビニやら何やらが徒党を組んでますね。
学生時代に関西にいて、まったく経験しませんでしたし、同期会で地元出身の仲間に聞いても、誰も知りませんでした。

『遊山船』は、上方落語の中でも、大好きなネタの一つです。
たしかに、お大尽が舞妓をいじめますね。

落語で学ぶなんてことは考えるな、とマクラでふる噺家もいますが、いえいえ、落語は得難い情報の宝庫ですよね。
Commented by kogotokoubei at 2016-02-05 08:59
>福さんへ

まったく同感です!

福さんも、ほぼ同じ世代なのでしょうね。
今後も、よろしくお付き合いください。
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2016-02-04 20:23 | 江戸関連 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛