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噺の話

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三代目の初高座や稽古のこと、など-『志ん朝と上方』より。

 三代目に関する記事が続くが、それだけ大きな存在であったので、ご容赦のほどを。

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岡本和明著『志ん朝と上方』(アスペクト)
 岡本和明著『志ん朝と上方』は、2008年にアスペクトから発行された。

 この本からは、主に六代目松鶴と志ん朝との交流について以前記事を書いた。
2011年9月5日のブログ
2012年6月18日のブログ

 この本は、志ん朝にゆかりのある上方の噺家さんへのインタビューが集められたものだが、その最初が三代目だ。

 聞き書きの内容は、もちろん志ん朝に関わることが多いが、その噺家さん自身のことも結構含まれていて興味深い。

 志ん朝、そして六代目松鶴と同じように、落語の名人を父にもつ三代目への聞き書きを、一部引用したい。

-志ん朝師匠は、志ん生師匠に咄家になるように言われたけれど、最初のうちは咄家になる気がなかったと言いますが、師匠の場合は?
春團治 咄家になるつもりはなかったし、うちは親父も咄家にするつもりがなかった。そやから、高校(浪華商業)を卒業してから一年間、サラリーマンをやってたんです。
-どんな所ですか?
春團治 自動車部品の会社。で、ちょっと上の人間と揉めて、辞めて、家で遊んでた。その頃、大阪には寄席がないからね、親父は一座を組んで地方巡業でまわってました。ある時、
「家でぼやっとしててもしゃあないから、荷物持ちでついてこい」
 と言われまして・・・・・・。
-それが咄家になる第一歩というわけですね。
春團治 でも、修業するつもりはないから、荷物持って向こうに乗り込んだら何もすることはない。そやから、寄席に座って親父の高座を見ててん。親父は『寄合酒』一本やから、そのうちに噺が頭に入ってしもうて・・・・・・。で、九州で前座が倒れて、その穴埋めに出たのが僕の初高座やからね。
「俺がやるわ」
 って言うたら、親父が、
「お前、やれるんか?」
「頭に入ってる」
「ほな、いっぺん、聞いたろうか」
 それで旅館で聞いてもろうて。“小春”で出たんや。
-出し物は何だったんですか?
春團治 『寄合酒』です。覚えてるから。他のネタ、知りまへん(笑)。何も教えてもらってへんから。ところが、一席終わったんだけど、立てなくて・・・・・・。
-原因は?
春團治 足がシビレた(笑)。しゃべるのに精一杯やったからね。で、緞帳をおろしてもろて、這うて袖へ入ってった。そやから、弟子には芸より先に座らすことばかりやらせましたね。
 そやからうちの弟子をずらーっと並んで座らせといて、僕が用事を言いつけると、先を争うて、
「はい、私が行きますっ」
 って、みんな立ちたいから(笑)。自分がそういう失敗をしてますからね、咄家がなんぼ噺ぃやるたって、座れなんだらあかんということで、僕は座る行儀だけは厳しくしましたね。
-初舞台、お客さんの受けはいかがでした?
春團治 わりによう受けてね。だから<これはえらいええ商売やなあ。これでギャラもらえるんやから>って、思うてね。・・・・・・まあ、今からすると安いギャラなんやけど。
 今、やっぱり思うね。初舞台とかネタ卸しとかそういう時のほうが客受けするね。ちょっと落ち着いて、安心してくるとアカンね。気の緩みが出てくるから。

 いわば、“プー太郎”状態だった中での、父の荷物持ちが、噺家となるきっかけとなったわけだ。

 「門前の小僧、習わぬ経を読む」をもじるのなら、「落語家の荷物持ち、習わぬネタを語る」ということか。

 晩年、『寄合酒』を演じたかどうか、勉強不足で知らないのだが、きっと、その噺にこそ、二代目の名残りを感じることができただろう。

 その父、二代目春團治から、果たして三代目は何を稽古してもらったのか。
 自分の稽古のことなども含めて引用。

-師匠の教え方はものすごくていねいだとか。『お玉牛』なんか、牛が寝そべってるのをなぜるところなんか、師匠が寝そべって・・・・・・「なでてみい・・・・・・」。
春團治 (笑)。そうすると牛の大きさがわかるんや。
-みんなになぜさせるんですか?
春團治 それは、その人間によってです。いつまでやってもあかん奴はやりますけど(笑)。稽古に関しては僕の弟子に言うのは、
「その人、売れてるさかいというてその人に習うたってあかんよ。その人が売れてるのは、その人の任に合うた間が受けてるんやから。だから稽古してもらうんやったら、受けてる人やない。売れてなくてもかめへんから、きっちり教えてくれる人に習え。そして、その中のものを自分のものにせぇへんことには語れへん」
 って言うんです。
-師匠は誰に稽古をつけてもらいました?
春團治 僕は親父に稽古してもろうたことないものね。
-それはまた、どうしてですか?
春團治 笑うてしまうから。そやから、文團治師匠(四代目)とか、圓都師匠とか、花橘師匠(二代目)。あとは、米朝君とか友だちの所に教えてもらいに行ってた。

 名前の挙がった噺家さんの中で、四代目文團治は、戦後の上方落語復興において、重要な役割を果たした人と言われる。一時引退していたが、戦後の上方落語界のために橘ノ圓都らと共に復帰し、長老として存在感を示した人らしい。上方落語協会の発足時には、顧問を務めた。
 膨大な持ちネタを誇ったと言われ、歴代の桂春團治に『鋳掛屋』を伝えた人であり、三代目に『高尾』を稽古したのもこの人。
 四天王が育った背景には、こういう先輩噺家さん達の存在があったことも、忘れてはならないだろう。

 三代目ご自身の稽古のことで登場するネタ『お玉牛』で思い出すのは、2010年のNHK新人演芸大賞だ。
 桂まん我が、三代目に稽古してもらったこの噺で勝負したのである。
2010年11月6日のブログ
 結果は一之輔が『初天神』で優勝したのだが、私の評価は、両者拮抗していた。

 果たして、まん我は、“三代目の牛”をなでさせてもらったのか、どうか(^^)

 三代目が父から稽古してもらわなかった理由が「笑うてしまうから」というのが、なんとも微笑ましい。

 あまりにも有名な初代、そしてまだ生の高座の印象が鮮明な三代目に比べ、今日の落語愛好家が、二代目春團治のことをイメージするのは結構難しいと思う。
 実は、二代目も上方落語界にとって実に重要な人物であったし、爆笑派として名人と言ってよい噺家さんだったようだが、二代目のことは、別途書くつもり。

 昭和22年、その二代目である父の荷物持ちをしていた巡業先で初高座を経験してから、ほぼ70年に渡り上方落語界を支え続けた三代目桂春團治。

 私にとって、その存在の大きさ、重さが、日を追って増すばかりなのである。

 初高座の『寄合酒』も、『お玉牛』も、生で聴くことができなかったことが、残念でならない。


Commented by 山茶花 at 2016-01-19 21:44 x
今日は関西も寒いです。雪もぱらつきました。十日戎の頃から関西はぐっと冷えるので「えべっさん寒波」と言われるほど。お陰で西宮神社の冷凍大マグロが溶けません。

志ん朝さんとの対談で「噺家は座れないと」と言われていたそうですが、それは晩年もそうだった様です。足が悪くなっても口はしっかりしていたので、お弟子さんの春之輔さん達が「先に座布団に座ってもらって幕を上げます」と言っても、春団治師の美学があって「出囃子と共に出て頭を下げて、終わったら頭を下げて下げ囃子で下りる」と断ったとNHKの追悼番組(関西ローカル分で「高尾」が流れた)でも言われていました。

春之輔さんによると「師匠は落語以外に趣味を持たない人だった」という事です。

そういえば、お正月の「初笑い東西寄席」で金馬師が見台を使っておられたので「あれ、足がお悪いのか?」と思ったらやはりそうでしたね。江戸では使いませんから、講釈の釈台を使われたのでしょうか。金馬さんは、春団治師よりも1歳年上だったんですね。

春団治師は、孫弟子の花団治(先代春蝶さんの弟子)さん襲名披露には出られなかったそうですが、6/21に大阪住吉区で行われた「花団治襲名記念落語会」に現春蝶さんがサプライズゲストで呼んでおられたとか。番組で写真が披露されていました。病院を抜けて出てこられたとか。

志ん朝さんが大阪がお好きだった事はよく存じています。南光さんと故七代目松鶴(松葉)さんが司会をされていた「痛快エブリディ」の「男がしゃべりでどこが悪いねん」というコーナーでは準レギュラーでしたから。

千日前にあった上方という旅館が落語家や歌舞伎役者の定宿で、志ん朝さんもこちらへ泊まっておられたそうです。現在はテナントビルになっていて、トリイホールという小さなホールがありますが、ここは米朝さんが監修をされたので、落語や講釈、講演にピッタリの小屋です。
Commented by kogotokoubei at 2016-01-20 08:57
>山茶花さんへ

貴重な情報、ありがとうございます。

いわゆる「板付き」を断ったのは、三代目の“美学”ですね。

引用した内容は、残念ながら志ん朝との対談ではなく、本書作者が聞き手です。
もし、対談が残っているなら、実に興味深いですね。
志ん朝は、特に六代目に可愛がってもらったようですね。
きっと、千日前あたりでも、よく六代目と旨い酒を楽しんでいたのでしょう。

先代春蝶は、昭和では珍しくなった、やや破滅型の芸人さんだったと仄聞します。
ご子息の当代については、映像でしか高座を知りませんが、なかなかの芸達者と見受けます。

三代目の“美学”が、一人でも多くの弟子や上方の噺家さんに受け継がれることを祈ります。
Commented by 創塁パパ at 2016-01-23 13:14 x
師匠の「たまちゃん」最高でした。関西担当でよかったです。
一生忘れません(涙)
Commented by kogotokoubei at 2016-01-23 19:44
>創塁パパさんへ

私も、生で出会えた高座は、忘れません。
関西担当の時、出張続きで大変でしたでしょうが、生の上方落語をたくさん楽しめたことは、羨ましいかぎりです。
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by kogotokoubei | 2016-01-18 20:36 | 落語家 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛