扇橋『団子坂奇談』の意外な伝承経路-『落語家の居場所』より。
2016年 01月 07日

矢野誠一著『落語家の居場所』
『落語家の居場所』は1997年に日本経済新聞社から単行本が刊行され、2000年に文春文庫の仲間入りした本。
「わが愛する藝人たち」という副題がついている。
この本には、かつて矢野さんが毎日新聞に書いていた「寄席」と題するコラムの一部も収められてる。
その中の91年7月25日のコラムを引用。
入船亭扇橋という落語家は、おかしなはなしを知っていて『茄子娘』だの『鼻きき長兵衛』なんて、ほかに誰も演りてのない演目を思いだしたように高座にかけてくれる。十四日の「第31回紀伊国屋寄席」(紀伊国屋ホール)でも、この季節をあてこんだ怪談『団子坂奇談』を出したが、初めてきく客が多かったのではあるまいか。
このはなし、三遊亭圓生が時どき演っていた『猫怪談』などもはいっている『谷中奇聞』のひとつだそうで、圓生から教わった橘家文蔵が扇橋に伝えたのだという。舞台になっている団子坂や動坂、さらには谷中にかけたあたりは、いまなお東京の面影を残すところだが、そんな土地に対する演者自身の愛着が一入(ひとしお)であることが伝わってくるのが面白い。主人公が、本所の屋敷から団子坂まで花見に出かける行程を、浅草、田原町、稲荷町、上野、不忍池、七軒町、根津と町づくしでいいたてる。浪花節の道中づけや、『曽根崎心中』の「観音廻り」を思わす趣向で、『黄金餅』にも見るようなこうした遊びが、落語にはしばしばある。
それにしても、この『団子坂奇談』のサゲだが、他愛なさすぎて、いっそ爽快である。そういえば『茄子娘』にしても、『鼻きき長兵衛』にしても、決して上等のサゲとはいいかねる。そんな拙劣なサゲを、あえて改良しようとはせず、演者自身がてれてみせることで処理できるあたりに、落語がパーソナルな藝である一面をうかがうことができるのだ。
以前に読んでいるはずなのに、まったく覚えていなかった内容。
この『団子坂奇談』、弟子の扇辰の高座を初めて聴いたのはいつだったかと自分のブログをググったら、2年前の5月、道楽亭さん主催の文左衛門との二人会だった。
記事には、途中までの筋書きも書いているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2013年5月24日のブログ
扇辰は、この噺を師匠が教わったのが文左衛門の師匠文蔵(二代目)であることを知って演ったのか、どうか・・・・・・。
また、文蔵の師匠正蔵は、後に天敵とまで言われた圓生から弟子が稽古してもらうことを許したわけで、その当時は、まだ二人の仲が良かったのだろうと察する。
橘家文蔵の名跡を今年9月に文左衛門が襲名することは昨年発表されていて、落語協会会長の新年の挨拶でもふれている。
落語協会HPの該当記事
二代目橘家文蔵は、昭和14(1939)年8月25日生まれで、平成13( 2001)年9月10日に満62歳で亡くなっている。
昭和14年生まれは、小三治、枝雀と同じ、志ん朝の一つ下。
八代目正蔵門下。
柳朝の弟弟子で栄枝の兄弟子にあたる。
昭和57(1982)年1月に師匠亡き後、桂藤兵衛や正雀を預かっている。
文蔵の生の高座も音源も聴いたことはないが、同業の噺家の中で評価が高かった人と聞く。
文蔵が二ツ目時代の勢蔵時代、東宝名人会の若手勉強会で『竹の水仙』を演じたところ、聴いていた審査員の圓生が、『三井の大黒』を教える代わりに文蔵の『竹の水仙』を教えてくれと頼んだというから、相当の巧者であったことは間違いないだろう。
文蔵が圓生から稽古をつけてもらったネタは『三井の大黒』だけではなかったわけだ。
文左衛門の文蔵襲名は、良いことだと思う。
同時代の人気者たちほど名は売れなかったものの、圓生に稽古をするほどの実力者だった師匠を思い出す契機になることだろう。
文左衛門が『団子坂奇談』を演じるのかどうかは、勉強不足で分からない。
同じ扇橋のネタの伝承に関する逸話として思い出すのは、十八番の一つだった『麻のれん』。
扇橋の本から知ったことだったが、あのネタは、五代目小さんが照蔵時代の先代柳朝に教え、その柳朝から扇橋が稽古してもらったことを、小さんの十三回忌に関する記事の中で書いた。
2014年5月20日のブログ
実に不思議な伝承の道中(?)であると思ったものだ。
外で教わったつもりでいたのに、実は、中から外へ出て戻ってきた、という感じ。
ブーメラン型、とでも言おうか。
あるいは、『持参金』ではないが、ネタは天下の回りものということか。
もし、文左衛門が、師匠から『団子坂奇談』を教わる機会がなく、師匠文蔵が扇橋に稽古し、扇橋が弟子扇辰に伝えた『団子坂奇談』を教わって演じる、などということがあれば、これまたネタがぐるっと回ることになる。
こういうネタの継承にまつわる逸話も、まさに「奇談」と言えるのではなかろうか。
