まだ聴いたことのない、夢の噺-『落語通談』より。
2015年 12月 23日

先日、春風亭一朝の『尻餅』を楽しんだ後、野村無名庵の『落語通談』を開いてみた。
『落語通談』は昭和18年に高松書房より単行本が発行され、中公文庫で昭和57年に再刊された本。
この時期の旬な噺について興味深い内容があったので、引用したい。
年の暮人生
「元旦や今年もあるぞ大晦日」と、それは誰しもちゃんと心得てはいるのであるが、さていよいよとなるとその問題に臨んで、不心得の者は狼狽せざるを得ず、「春うわ気、夏は陽気で秋ふさぎ、冬は陰気で暮はまごつき」というマクラの狂歌同様の始末となる。
この年くれを扱ったものには「掛取万歳」「三百餅」「言訳座頭」「睨み返し」「晦日の五円」等いろいろある中に、おかしいのは「尻餅」などだろう。
この後に「尻餅」の概要を説明した後に、実に興味深い噺のことが書かれている。
これも貧乏のいたすところ、アアどうか仕合わせになりたいと、働く事も考えず、徒に一足飛びの僥倖を願う虫のいい人間もなきにしもあらず、思えば人の望みは限りのないものだが、そこを目がけて夢屋という珍商売が出来、客の望みに任せて何でも思った通りの夢を見させる。芝居の夢、角力の夢、遊興の夢、何でもお好み次第に夢を見られるので、評判になって大繁昌。
へぇ、夢屋か、楽しそうな噺だ。
さて、どんな内容なのか。
ところへやって来たのが、自分の貧乏から世の中をひがんでいる男、おれァいくら稼いでも足りねえのが忌々しくてならねえ。おまけに世間の金持ちが、どいつもこいつも自分たちばかり栄耀をして、威張っているのが癪にさわってならねえ、おれが金持ちになったら、どんどん施しを出して困る者を潤してやりったいと思うんだから、、「せめて夢だけでもいい。金持ちになったところを見せてくれ」という注文。
この男の気持ち、分かるではないか。
しかし、落語は修身とは違うので、そんな立派な筋書きとなならないのだ。
「へェよろしゅうございます。どうぞこちらへ」と寝台へ案内。いい心持ちにとろとろしたかと思うと、「ちょいとお前さん。起きておくれ」と女房の声。「お隣の犬が裏の松の木の根っこを掘って、ワンワン吠えるから行って見たら大変だよ」という知らせに、ドレドレと覗けばこはいかに、深く掘った穴の中には、金貨銀貨紙幣がシコタマ見える。びっくりしてサア事だと向こう鉢巻になり、女房と協力で掘れば掘るほどザクザクと無限に出る。
まるで、花咲か爺さんではないか(^^)
その後、どうなったのか、というと。
たちまち家の中は財宝の山。「アア驚いた。一遍に大金持ちになっちまったが、サアこうなったらもう裏店にはいられない。表通りへ立派な普請をして、方々へ別荘も拵えよう。着物を誂えて物見遊山。あれを食べてこれをして」と、自由主義、個人主義の行われていた時代の浅ましさは、すぐこんな心持ちになるのが一般の凡人であったから、夫婦が有頂天で喜ぶ最中、ぞろぞろと引っ切りなしに訪問の客、これが何々孤児院、養老院、救済園、博愛会、慈善療院等々、あとからあとから寄付金の勧誘ばかり。宝くじが当たったり、膨大な遺産を相続したりすると、いっきに知らない親戚が増える、というやつですな。
この男、いったいどうしたのか。
奴さんおれが金持ちになったら困る者に施しを出して、などといった理想はたちまち豹変し、「御免蒙りましょう、冗談じゃあねえ。お前さん達の言う事を、いちいち取り合っていちゃあ際限がねえから、一切お断りだ。うるせえな帰れ帰れ」と片っ端から撃退。
(中 略)
「モシモシ、モシモシ、お時間でございます」と、夢屋の番頭に起こされる。「アッ、何だ夢だったか。アア夢なら慈善をしてやりゃあよかった」と、これがサゲ。境遇によって心持ちの変る人情の機微を痛切にえぐって世間の裏面を諷刺し、とりようによっては立派な教訓にもなっている。
なお、同じ夢を扱ったものには、この「夢分限」の外に、「夢金」「鼠穴」「乞食の夢」「天狗山」「大黒屋」などがある。
落語から道徳的なことを学ぼうとするのは、本来の落語の楽しみ方ではなかろうが、談志家元ではないが、「人間の業」が、この「夢分限」には描かれていると言えるだろう。
金持ちになったとたん、施しをするという慈善の志を忘れ、すべてを我が物にしたい、という人間の本性を、「夢分限」に見ることができる。
そう、権力の座に長く居座る者が、つい、その座を離れがたくなるのと、似ている。
無名庵があげる「夢分限」も「乞食の夢」「大黒屋」も、、まだ聴いたことがない。
ぜひ、誰かに掘り起こしてもらいたい。
実は、以前紹介した本書にある「落語名題総覧」の496席に、この「夢分限」が含まれていないのだ。
2015年03月17日のブログ
きっと、野村無名庵は、夢でこの噺を聴いた、ということにしておこう。
「夢屋」の元になった「夢分限」のあらすじを落語事典から引用致します。ご参考までに。
・金が入って来すぎて、その処分に困った旦那が、番頭に十万円ばかり背負わせて、どこかで使ってこいと出した。ところがどこへ行っても金が有り余っていて、寄席へ行っても木戸銭をくれるし、スリだというので捕まえてみれば金を盗んだのではなく、たもとに投げ込んだのだというあんばい。番頭も間に入ったことから、被害者から投げ入れた金を処分しろと迫られ、おもわず悲鳴をあげると「商人の番頭が帳場で居眠りをするのさえみっともないのに、大きな声を出す奴があるか」としかられる。「ああ、夢でしたか。あんなに金の処分に困ったのは初めてです。」「どのくらいあったんだ。」「それが見当がつきません。」「そりゃお前、夢を見りゃあ制限(ほうず)のないもんだ。」
あっ、そうでしたか。
なるほど「夢屋」の方がお題として相応しいですね。
青蛙房の「落語事典」は所有していないのですよ。
いつか古書店で買おうと思いながら買いそびれてしまっている本の一冊です。
「制限(ほうず)」ですか・・・分限も含め難しい言葉だなぁ。
無名庵の名題総覧には「夢屋」もないんですよね。
ご丁寧なコメント、誠にありがとうございます。
勉強になりました。
夢なのかもしれませんが。
八代目桂文治(根岸の文治)が手掛けていたようですので、もしかしたら、夢ではなく、実際にお聴きになっているかもしれませんよ。
生ではなくラジオかもしれませんね。
まだまだ知らない噺があり、聴いていない噺家さんがたくさんいます。
