第41回 三田落語会 昼席 仏教伝道センター 12月19日
2015年 12月 21日
今回は、居残り会メンバーのスケジュールを調整しての、居残り忘年会が日程選定の中心であった。
とはいえ、一朝、扇辰の顔ぶれは、私も含め皆さんお好みである。
少し早めに田町に着き、蕎麦屋で腹ごしらえと思って更科の三田店に行ったのだが、お休み。
お休みでも店にいらっしゃったご主人にお聞きして田町駅ビルの地下飲食街にある蕎麦屋さんで、板わさで菊正の熱燗を楽しんだ後、もりで仕上げて会場へ向かった。
会場は九分ほどの入りだっただろうか。途中途中に空席。
夜の部(兼好・一之輔)のチケットは早々に売り切れていたが、この昼の部はまだチケットが残っていようだ。顔ぶれなのか、三田のお客さんは夜を好むのか。
さて、次のような構成だった。
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(開口一番 入船亭辰のこ『たらちね』)
春風亭一朝 『尻餅(しりもち)』
入船亭扇辰 『薮入り』
(仲入り)
入船亭扇辰 『雪とん』
春風亭一朝 『二番煎じ』+笛
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入船亭辰のこ『たらちね』 (14分 *13:31~)
初である。扇辰の弟子で三年前の入門のようだ。
なかなかの二枚目で、さわやかな印象。芸人らしくはない、とも言えるが、最近はこういう若手の方が主流かもしれない。
はっきりした口跡で、ご通家の多い会場から笑いをとっていた。筋は良さそうだ。
奉公上がりで言葉が丁寧すぎる嫁さんの父が「大和の侍、四条上がる横町に住まいを構え、姓を佐藤、名をけいぞう」という設定は珍しいが、いったい誰の型なのか、勉強不足で不明。そのうち調べてみよう。
春風亭一朝『尻餅』 (24分)
それぞれの席にあったチラシの中に、出演者の過去のこの会での演目が記載された一覧があった。一朝は2009年8月以降16回、32席のネタが並んでいる。暗に過去のネタ以外の演目を要求されているのだろうから、噺家さんにとってはプレッシャーだろう。
臼で餅をつく家が減り、調べたところ東京都内にある臼の数が八百・・・などのまくらから本編へ。
このネタは、八代目三笑亭可楽の音源が好きだ。当代の噺家さんでは、あまり聴くことがない。
長屋二十六軒で唯一餅つきをしていない夫婦。餅をつきたいが、先立つものがない。
亭主が編み出した奇策(?)で、近所にも聞こえるように餅つきをしている芝居をすることになった。
餅をつく臼は何か・・・これが、女房の尻。
亭主、大晦日の夜の街を一回りしてから、餅屋の親方と使用人二人(辰公と金太)の三人役の亭主が、我が家を訪れる(^^)
劇中劇、に近い設定そのものが、落語らしいネタとも言える。
亭主が餅屋に祝儀を出すので、女房に声をかける。「あ(お)~ぅ、おみつ」の「あ」と「お」の間の江戸っ子らしい掛け声が、なんとも楽しい。
この女房もたいしたもので、祝儀に見立てて鼻紙をよこせという亭主に、しっかり二つ三つ勢いよく洟をかんでから「はいよ」と手渡すあたりが、実に可笑しい。
見事だったのは、餅つきの擬音。手と肘を使って、手際よく職人が餅をつく様子を音で浮かび上がらせてくれた。
笛の名手であるだけに、音感も優れているのだなぁ、と感心して聴いていた。
つい女房が臭いのを一発で「くさもち」、亭主が女房の尻をひっかいて「かきもち」なんて地口も、リズムの良い噺の流れで挟まれるから、妙に笑えるのだ。
演者によっては、下品にならないでもない難しいネタ。そこは一朝である、品良く、軽く、楽しく、聴かせてくれた。
文句なく、今年のマイベスト十席候補としたい。
入船亭扇辰『藪入り』 (45分)
「かくばかり 偽り多き世の中で 子の可愛さは誠なりけり」とふって、すぐ本編へ。
私が同期会の余興で20分で披露したが、仲間から「少し、長い」「サゲがよく分からない」なとと苦情を受けたネタだが、扇辰は、たっぷりの長講に仕立てた。
私は三代目金馬を元にしたが、師匠扇橋にこの噺はあったかどうか、勉強不足で不明。
サゲのための仕込みや、その昔の奉公のことを説明するためにやむを得ない点はあるにしても、中盤以降、少し引っ張りすぎた印象。
ただし、父親が、宿りで三年ぶりに帰ってくる亀に食べさせたいものとして、辛したっぷりの納豆・中トロ・軍鶏・汁粉・蕎麦の大もり・うなぎ・つけ台で食べる寿司・揚げたての天ぷら・大福・金つば、などを列挙するあたりは嫌いではない。
江戸から明治、寿司も天ぷらも屋台が本寸法、ということは、落語を通じてでないと伝わらないように思う。握りたて、揚げたてを美味しくいただく、ということは大事なのである。
サゲは工夫していた。「忠のおかげ」の後に、夫婦の会話で亭主が繰り返す「おっかぁ、今何時だ」で女房に「九時だよ」と言わせてから二つ目ともいえるサゲ。
これは、良い工夫だと思う。それにしても、長すぎた。
扇辰は、良くも悪くも“芝居がかった”演出になる。それがはまると、「この人は、とんでもなく上手い!」と思うのだが、くどく思える時も、ある。そのへんは、実に難しいところだ。
入船亭扇辰『雪とん』 (23分)
仲入り後、再登場。
この噺は、2012年2月29日の銀座ブロッサムでの小満んと喬太郎二人会で、小満んで聴いて以来。
2012年03月01日のブログ
実は、あの会の後の居残りで、この日の居残り忘年会を開いたお店に、私は初めて行ったのであったなぁ。あれから、三年半か。
あの時せっかく(?)筋書きを書いたので、その内容をあらためてご紹介。
・ある船宿に、昔世話になった方の子息、若旦那(庄太郎?)が田舎から
江戸を見物に来て二階に泊まっていた
・この若旦那が恋煩いになり、船宿の女将が聞き出した相手は、本町二丁目
の糸屋の 箱入り娘“糸”
・女将が糸屋の女中“おきよ”に訳を打ち明け二両の金をつかませて、若旦那が
今夜四つ時に裏木戸をトントンと叩けば糸の部屋へ女中が案内するという
段取りとなった
・ところが若旦那、雪の降る中を糸屋に向かう途中、白犬とじゃれるなど
道草を喰う
・男っぷりのいい「お祭り佐七」といわれる男が、雪に足をとられ、糸屋の
裏木戸を トントン叩くことになる
*ただし、佐七の名前はサゲ直前まで明かされない
・若旦那と思い込んだ女中が佐七を糸の部屋へ通し、その見た目の良さに糸の
心もなびいて 二人は・・・・・・
*「・・・・・・」の 部分、小満んは、さらっと「粋なことになった」
あるいは「オツなことになった」と言っていたはず。
・遅れて糸屋に付いた若旦那が裏木戸を叩いても何の応答もない
・「家を間違えたか?」と思った田舎の若旦那隣近所の癒えの裏木戸を、
トントン 叩き続けて夜が明ける
・糸屋の裏木戸から女中に見送られて出て来た佐七を見かけた若旦那、佐七の
後を つけると、船宿の女将と言葉を交わして去っていった
・船宿の女将が、「あ~ら、お楽しみでしたね。良かったですね」と若旦那に
言うのだが、
若旦那「いんや、先客がいた」
女将 「えっ、どなたが?」
若旦那「今、おめえさんが話をしていた男だ。誰だ、アレは?」
女将 「あの方は、お祭り好きで、纏を持たせてたら一番のお祭り佐七」
若旦那「なに、お祭り!?道理で、オラがダシ(山車)に使われた」で、サゲ
一席目よりも、ずっとこちらの方に、扇辰らしさが発揮された好高座だったとは思う。
特に、船宿の女将の、田舎の若旦那が恋わずらいだと知る件での顔の表情の変化などは、楽しい。これは、生で聴かなければ分からない。
ただし、お糸と佐七との濡れ場の場面、引用したように小満んは、「粋なこと」(あるいは「おつなこと」)になりまして、とあっさり品よく流したのだが、扇辰は、少し引っ張りすぎた。居残り会でも少し話題になったが、会場の反応を確かめていたのかもしれない。ちょっと、無駄な間があったのが気になる。
また、「おやすみなさいませ」とお糸が佐七の元を離れようとしたところで、佐七が「親指」と「人差し指」だけでお糸の着物の裾をつかんだら、お糸が「あ~れぇ~」と倒れてきたと、ややくどく説明していたが、落語における閨事の表現としては饒舌すぎた。
あの場面は、小満んのようにあっさりと流して欲しいものだ。下品になるぎりぎりのところだったように思う。
扇辰が贔屓の噺家であることには変わりないが、『徂徠豆腐』や『麻のれん』『団子坂奇談』などで発揮される扇辰ならではの持ち味は、この日は今ひとつ不発だった、そんな印象。
芝居心が、やや勝ちすぎたのかなぁ、と思う。
春風亭一朝『二番煎じ』+笛 (34分+12分 *~16:22)
「火事と喧嘩は江戸の華」とふったので、「えっ、火事息子は以前演ってるなぁ」などと思っていたら、この噺。なるほど、まだこのネタが残っていたか。
とにかく楽しく聴かせてくれる。
演者の音曲の素養が、この噺は生きる。
黒川先生の謳の調子の「火の用心」や、伊勢屋の主人の三味線混じりの義太夫風の掛け声、そして、煙管の雨を呼び込むばかりの辰っあんの艶のある声も、堂に入っている。宗助さんの売り声の「火の用心」も笑えるた。
外から番小屋に戻り、煎じ薬という熱燗(?)をやりながら、しし鍋を囲む場面では、終演後の居残り会で、しし鍋を食べたくなった(^^)
「 騒ぐカラスに 石投げつけりゃ それてお寺の鐘がなる 」なんてぇ都々逸も効果的に挟まれた。
欲を言えば、前半の夜回り場面で、もう少し外の寒さを感じさせて欲しかったようにも思うが、それは、わがままかもしれない。
持ち味の音曲の素養をさらりと生かした好高座だったことには違いない。
サゲた後、クリスマスのプレゼント(?)ということで、笛を披露してくれた。
何度か拍手で催促したものの、きっと心の準備と化粧の準備が出来ていなかったのだろう(^^)、三味線太田その嬢は残念ながら姿を見せてはくれなかったが、次の三曲を二人で聴かせてくれたのは、うれしいご褒美。
(1)長唄「連獅子」
(2)祭囃子「鎌倉」~「屋台ばやし』
(3)清元「隅田川」から「空笛」
「久しぶりなので」と謙遜していたが、流石。余芸の域を超えている。
居残り会でI女子から「隅田川」は代表的な能の一つであるとお聞きした。
そうなんだ。まだ、能や狂言を楽しむ境地には至っていないのだなぁ、あっしは。十年後か(^^)
結果として、一朝は八代目可楽の十八番を二つ並べたことになったが、何と言っても一席目の出来が素晴らしかった。
はねてから、お楽しみの居残り忘年会だ。
我らがリーダー佐平次さん、そして、居残り会発足メンバーのYさんも久しぶりに参加。I女史と四人で、少し時間があるので、東銀座までぶるぶらと歩く。
東京タワーのライトアップが、「タワーなら、俺もいるぜ!」と自己主張しているように感じた。
新橋のSLも綺麗な光に包まれ、多くの方がカメラを向けていた。
烏森神社に少し立ち寄り、異国の言葉があちらこちらから聞こえる銀ブラの後、六時十分ほど前に熊本料理のKに到着。
間もなくM女史も駆けつけ、五人で居残り忘年会である。
お約束の馬刺し、刺身の豪華な盛り合わせ、ナマコに焼き鳥、さつま揚げといった美味しい肴に、楽しい話が弾む。
美少年の徳利が、はたして何本空いたのやら。
後半は、本来はお休みのところを開けていただいたご主人もご一緒に、かつて、志ん朝も座ったテーブルで、落語のことやいろいろな話題に花が咲く。
佐平次さんはドイツ語で歌い出し、Yさんは、権太楼の真似で絶好調。
ついに私には落語をやれ、との無茶ぶり!
酒の勢いで『金明竹』の言い立て部分と、先日テニス仲間の合宿で披露した『夜の慣用句』の短縮版をご披露してしまった(^^)
なんとも楽しい居残り忘年会は、来春のある落語会での再会を約してお開き。
帰宅後は風呂に入って爆睡。
翌日曜はテニスの後で、ちょっとした忘年会的な宴会になってしまい、帰宅してブログを書き始めたものの、サッカーの広島対広州戦を眺めながらだったし、バルセロナとリバープレートの試合を観た後には、上の瞼と下の瞼が一緒になりたいと叫んでいるのだった。
ということで、ようやく二日後の記事掲載となってしまった次第。
ブログを書き始めた頃は、いくら飲んでも帰宅後寝る前に書き上げていたことが遠い昔のようだ。
還暦も過ぎた。それも、いたしかたなかろう(なんとも、言うことが爺ぃ臭い)。
サッカーを見て思うことだが、一朝は、バルセロナのイニエスタかブスケツのような存在かと思う。
技ありのパスを前線の弟子たちに送ることもあれば、ここ一番では自ら見事なシュートも決める。
メッシ、ネイマール、スアレスのような存在ではないが、ゲームを作る要諦として不可欠な、それも一流のプレーヤー。
パス、ドリブルの基本技能は、実に高度なレベルにある。
よく言われることだが、弟子一之輔の真打昇進披露興行を境に、この人はその芸を大きくしていると思う。
寄席のいぶし銀から、十分、独演会で客を呼べる一枚看板になった。とはいえ、一朝の魅力は、二人会の方が光るかもしれない。その方が、一朝の良い意味での軽み、江戸落語ならではの歯切れの良さ、弾む調子が、際立つのではなかろうか。
来年も、小満んや一朝の高座には、都合と相談しながらも出来るだけ足を運ぼうと思う。
そして、小痴楽など、若手の会も楽しみだし、やはり寄席も好きだ。
ともかく、来年も落語を楽しむだけの心の余裕は残したいものだ。
そろそろ、今年のマイベスト十席を決めねばならない時期になった。
ここ数年に比べると落語会や寄席に行く回数は減った。それでも、一般(?)の方に比べれば、少ないとは言えない。
今年も、折々に楽しく落語を聴くことができた一年の幸福を噛みしめねばならないのだろう。そんなことを思う、師走である。
また来年、かな。
連れ合いが沸かしておりました故、入らないわけにもいきませんでした(^^)
しかし、佐平次さんも、I女史、M女史も若い!
次の居残りは来年ですかね。
ぜひ、独唱をまたお聞かせください。
お久しぶりです。
あの時間と空間を共有していたのですね。
居残り会でも話題になったのですが、今、一朝は絶好調ですね。
決して派手な高座ではないのですが、芝居噺でも長屋噺でも、侍でも長屋の夫婦でも、この人の高座では生き生きしています。
そして、余芸の領域を超える笛。
小満んとは別な味わいですが、共通しているのは、軽妙洒脱で、演じているご本人が、実に楽しそうであることでしょうか。
今後も気軽にお立ち寄りください。
