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縄文時代からの歴史のある健康食、それが蕎麦。


 ラーメン屋さんに星が付いた(?)ことをきっかけに、蕎麦のことを書き始めた。

 私は、ラーメンも嫌いではないし、関西での学生時代は、うどんばかり食べていた。
 
 しかし、蕎麦だって好きだし、五十を過ぎてからは、蕎麦を食べる機会が増えてきたように思う。

 蕎麦を食べることの理屈の後付けのようでもあるが、食文化としての蕎麦について、ある本から紹介したい。

縄文時代からの歴史のある健康食、それが蕎麦。_e0337777_13541282.jpg

永山久夫著『大江戸食べもの歳時記』(新潮文庫)

 食文化史研究家で、数多くの著書がある永山久夫の本から、蕎麦の歴史と、素晴らしい健康食であることをご紹介したい。
 『大江戸食べもの歳時記』は、五年前にグラフ社で単行本が発行され、二年前平成25年に新潮文庫の一冊になった。

 では、本書の蕎麦の章から引用。

そばは不老長寿の食

血管を丈夫にする、そばのルチン

「そば好きは、長生き」ということわざがある。確かに、そばには長生きに役に立つ物質が豊富に含まれている。
 いかにもうまそうに、かっこよく食べているのは、若い人よりも年齢を刻んだいい表情のご年輩の方が多い。
 老化は血管からはじまるとよくいわれるが、そばには血管を丈夫にするルチンが多く、一食ごとに、血管をしなやかに若返らせてくれるのかもしれない。
 そば栽培の歴史は、稲作文化よりも古く、いまから五千年ほど前の縄文時代にはすでにつくられていたことが、種子の出土によって判明している。
 原産地は、シベリアのバイカル湖周辺とみられていたが、最近の遺伝子の研究によって、中国の雲南省の近辺であることが、確認されている。

 ルチンですよ、ルチン!

 蕎麦は、稲作より古い歴史があるのだ。
 もう少し、そばの歴史のお勉強。
そば切りの出現は江戸の初期

 そばは、稲作に不向きなやせ地や、冷涼な高原などでもつくることが可能な上に、種子を蒔いてから六十~八十日ほどで収穫できるところから、凶作対策用の作物としても、古代以来重視されてきた。
 平安時代の医術書である『医心方』では、そばは「よく五臓の汚れを洗い流す」薬だとしている。当時は、そば粉を用いて、そばがきやそば団子、あるいは、米と同じように、粒のまま炊いたりして食用にしていた。
 現在と同じように、ひも状に切って食べる「そば切り」が出現するのは、江戸時代のごく初期である慶長(1596~1615)の頃とみられている。いまから四百年ほど前で、慶長八年には、徳川家康が、江戸に幕府を開いている。

 徳川幕府と「そば切り」は、ほぼ同じ位の歴史を持つ、ということだねぇ。

 そばの食べ方は、いろいろ変わってきた。
 初期のそばは、そば粉100%の「生そば」だから切れやすく、蒸籠で蒸して食べていた。現在でも、せいろ、または竹製のざるに盛りつけ、汁をつけて食べるそばを「もり」というのは、当時の名残りである。
 元禄の前の寛文年間(1661~73)になると、そば粉八に対して、小麦粉二をつなぎに配合した、いわゆる「二八そば」も登場。さらに、江戸中期以降になると、どんぶりに盛った上に天ぷらやかまぼこ、鴨肉、ねぎなどをのせた種物が人気を呼ぶ。
 赤ワインや緑茶などのポリフェノールが体の酸化を防ぐ働きで注目されているが、そばのルチンも協力な抗酸化成分である。
 そばが高血圧の予防によいことは古くから知られていたが、その成分もルチン。ルチンは水溶性で、ゆでたときに湯の中に出てしまう。そば屋さんが、そば湯を出してくれるのも、長生きに役立つことを経験的に知っていたのではないだろうか。


 花巻としっぽくができる二八蕎麦屋が登場する落語『時そば』の舞台は、少なくとも江戸中期以降、ということだね。
 とは言っても、あの噺も多くの東京落語がそうであるように、上方の『時うどん』が元であって、三代目小さんが、うどんをそばに替えて東京に移したものだけど。

 何と言ってもルチンですよ、ルチン。

 ルチンは、そば以外にはアスパラガスやブルーベリーなどのベリー類などにも含まているらしい。
 
 とはいえ、「ルチンは美味いなぁ」なんて思いながら食べるわけではない(^^)
 やはり、その美味さ、香り、のど越しの良さ、酒との相性の良さや締めとしての程よさ、などを楽しみたいねぇ。

 日本人の代表的な麺は・・・やはり、蕎麦です!
Commented by saheizi-inokori at 2015-12-12 10:44
蕎麦湯にルチンが溶け込んでいるのではないでしょうか。
いつもそう思いながらたくさん飲みます。
Commented by ほめ・く at 2015-12-12 10:59
子どもの頃から今に至るまで蕎麦食いで、それも”もりそば”1本です。”ざるそば”はトッピングの海苔が食感を悪くするのでダメです。同じ理由でツユの薬味は使いません。蕎麦は茹で加減が大事なので、家では自分で茹でます。
でも最高は”そばがき”で、作り立てを肴にして呑む日本酒は堪りません。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-12 18:23
>佐平次さんへ

おっしゃる通り、蕎麦湯はルチンの海(?)です!
ラーメンのスープの残りは塩分の塊。
「和食」が脚光を浴びていますが、今ひとつ蕎麦が取り上げられていないのが、不満です。

Commented by kogotokoubei at 2015-12-12 18:26
>ほめ・くさんへ

さすが、落語愛好家の先輩たちは、本寸法の蕎麦っ食いですね!
薬味なしのツユなんてぇのも、江戸っ子の蕎麦ですね。
そばがきを肴に一杯、ですか。
涎が出てきた(^^)
Commented by at 2015-12-12 21:03
まだ学生のころ(そういう時代が確かに私にもありました← ホントかい!)、バイト代が入ると、蕎麦屋でカツ丼をかっこんだものでした。蕎麦に、いや傍にもり1枚をいとおしむようにすする老紳士がいました。あれは酒の反動だったかもしれませんが、よく足りるなと思う反面、とても格好よかった記憶があります。
Commented by kousagi at 2015-12-12 23:44
関東に住んでから蕎麦にハマり、先日紹介された日向子さんの本の元本「ソバ屋に憩う」の序文の「もう十分おとななのですから」を唱えて、好きな蕎麦屋に出かけます。

上方では吉朝さんが蕎麦っ食いで、追善落語会の折に尼崎のご自宅近くの「ゆたか庵」にうかがって師匠を偲びましたが、そのお店も最近閉じてしまったとか。時の移ろいを感じます。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-13 09:03
>福さんへ

老紳士が「もり」をいとおしみながらすする、という光景、私もどこかで目にしていると思います。
きっと、日本の蕎麦屋では日常風景だったのかもしれませんね。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-13 09:10
>kousagiさんへ

日向子さんとソ連の最初の本は読んでいないのですが、このコメントを拝見し、まえがきが気になるなぁ(^^)
吉朝さん、蕎麦っ食いでしたか。
蕎麦のルチンだけでは病に勝てなかったのですね・・・・・・。
昭和の面影が残ったお店は、どんどん消えてなくなりますねぇ。
今のうちにそういう空間を訪ねたいものです。


Commented by kousagi at 2015-12-13 23:05
小言幸兵衛さま、

いえ、「ソバ屋に憩う」のまえがきは、こちらで紹介しておられた文庫版のと同じなのでご安心を。

その昔、このまえがきに感激して「一人でふらりと蕎麦屋」が似合う女性になりたかったのですが、お酒が少ししか飲めないのでサマにならず残念です。

今日は関内で小三治師匠の「うどん屋」を聞いて、蕎麦を食べて帰りました。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-14 08:43
>kousagiさんへ

あっ、そうでしたか。勘違いしておりました。
酒が飲めなくても、居酒屋のあの空気が好きな女性、そして蕎麦が好きな“大人の”女性なら、日向子さんに近づく権利はあるでしょう(^^)

小三治の「うどん屋」ですか。
私は、仲間うちの余興で、小三治版を元にこの噺を演じ、予想以上に好評だったことを思い出します。
何と言っても、うどん屋と酔っ払いとの会話がいいんですよね。
うどん屋をやりこめた後で、うどん屋が謝ると、悪いのはおれだよ、と反省モードになる酔っ払いが、何とも言えず好きです。
「さて、このたびは」なんてぇ言葉は、生半可の学問じゃ言えません!
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by kogotokoubei | 2015-12-11 21:18 | 蕎麦のこと | Trackback | Comments(10)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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