国立演芸場 12月上席 12月8日
2015年 12月 09日
今まであまり聴く機会がなかったが、今後はもっと聴こうと思っていた茶楽が主任の国立の上席。立川談幸の名があったことも動機の一つ。
混んでいることを覚悟し、やむを得ず半蔵門駅と演芸場の間にある初めての蕎麦屋で昼食。メニューを見てどんなものか気になった“鳥の唐揚げ親子丼”と半分の蕎麦のセット。ご飯の上に小さい断片の唐揚げがたくさん乗って、温泉卵付き。こういうことだったか。ちょっと、予想とは違ったが、蕎麦は悪くなかった。
開演の一時少し前に着いた。
すでに開口一番で三遊亭遊松が『初天神』を演じている。
一番後ろの席で聴いていたが、結構しっかりと語っている。
6月の「しんゆり寄席」で初めて聴いて感心したが、師匠遊三が75歳でも入門させただけのことはある、将来性を感じる人だ。
2015年6月28日のブログ
その後、しんゆり寄席は都合が合わずに行けていない。これも、縁だよね。
会場は七分近く埋まっており、後で分かるが団体さんが中央前方を占めており、よく笑ってくれることにも、遊松は助けられていた。
遊松のサゲを待って、前の方の席へ移動。
その後の内容を出演順に感想とともに記す。
神田蘭 講談『桂昌院』 (14分 *13:01~)
開口一番の後の二ツ目の出番は、講談の神田蘭、神田真紅、そして落語の桂宮治の日替わりで、この日はこの人。初。講談そのものが久しぶりだ。
家光の側室で綱吉の母であるお玉さんこと桂昌院の物語。
それほどの美人でもない、どちらかというと不細工だったらしい京都の八百屋の娘お玉の出世物語。蘭は「玉の輿(たまのこし)」の語源にもなっていると紹介。
実は知らなかった。言われた通り帰宅後Wikipediaで調べたら、なるほどそのようだ。
勉強になりました(^^)
*p.s.「玉の輿」由来の件、笑組・ゆたかさんからコメントをいただき、桂昌院(お玉)を起源とする説は、あくまで風説とのこと。ゆたかさん、ありがとう!
丸一小助・小時 太神楽 (14分)
初めてだ。
若い二人の太神楽というのは、珍しいかもしれない。バチを二度落とした小助の、その後の芸を見ているのがスリリングだった(^^)
桂米福『時そば』 (20分)
初だ。まくらのセレモニーホールでの落語会、というのはネタかな。涙ながらに噺家を紹介する司会者って、いるかね。
本編は全体的には本来の筋通りの高座で、ネタそのものの楽しさで会場を沸かせていた。
団体さんかと思うが、実によく笑ってくれる。
二日目の蕎麦屋の名が「孫屋」というのは、鯉昇版が元か。
蕎麦を啜る音は、もうちょっと丁寧なほうが良いように思ったが、それは好みの問題もあるか。
米丸門下でも、こういう噺家さんがいるんだねぇ。
松旭斎小天華 奇術 (13分)
ロープとスカーフを中心の十八番の芸に、お土産のロープのネタのご教授。
あのネタ、いつかやってみよう(^^)
桂伸治『片棒』 (27分)
仲入りはこの人。
池袋や上野広小路亭でお客さんがたった一人だった時のことや、驚く客の行動ベスト(ワースト?)3などのマクラが約7分あってから本編のまくらにつないだので、本編は約20分、ということになる。
長男金次郎のバブルな葬儀、次男銀太郎の賑やかな葬儀、そして三男銅蔵のケチケチ葬儀を、楽しく演じてくれた。
なかでも、聴かせどころの次男。木遣り・手古舞・山車・けち兵衛人形・御輿といった賑やかな葬列を、高座でしっかりと表現してくれた。
香盤的には十一代目の文治を継いで不思議はなかった人。あらためてこの人の力量を再確認した高座。
仲入りで、Iさんの姿を確認。
これまでほぼ皆勤の小満んの会、先月はいらっしゃらなかった。
しばらくブログを休んでいたが、無事復活され、ほぼ毎日この席に来られていたようので、きっといらっしゃるだろうとは思っていた。
見た目は、お痩せになったようでもなかったし、ご快復めでたしである。
神田紅 講談『義士伝 両国橋の出会い』 (20分)
仲入り後は、この方。初だ。
講釈師は40年でやっと一人前と言われているが、ご自分は二代目神田山陽に入門して38年、とのこと。「入門したのが二歳の時」、で会場を笑わせる。
この季節は義士伝で、と大高源吾と宝井其角との両国橋のでの出会いの一席。
大高源吾は俳人としても有名で、「子葉」という俳名をもつ。
討入りの前夜、煤払竹売りに変装した源吾が、両国橋のたもとで懇意にしていた宝井其角と出会う。
別れの挨拶をした時、其角は源吾に対し、「歳の瀬や 水の流れと 人の身は」と詠んでお後をと言うと源吾は「あした 待たるる その宝船」と返した。
其角は、源吾の句の意味がすぐには分からなかったが、松浦候にこの話を伝えたことなどから、ついに、この句が明日の討ち入りを暗示するものと分かり・・・・・・といった筋書き。
明るすぎる、という印象もないではないが、なかなかに聴かせた。
講談、今後はもっと聴こう、と思わないでもない(どっちや!?)。
立川談幸『替り目』 (15分)
お目当ての一人。酔っ払いの可笑しな姿を語るまくらでは、「苦虫上戸」が、なんとも笑わせた。いるよねぇ、ああいう人。
千鳥足の酔っ払いが端唄「梅にも春の色添えて 若水汲みか車(井戸)」の「車」を歌ったところで、「へい!」と俥屋が返事とする導入部は、初めて聴いたと思う。なかなか粋なプロローグだと思った。
談志のこの噺を聴いたことがないので分からないが、志ん生の音源に近い筋書き。しかし、途中でサゲる志ん生の、別名『元帳』ではなく、サゲまでしっかり。
三十八粒残っていた納豆も、鮭も女房が「いただきました!」とのことで、近所のおでん屋に酒の肴を買いに女房が行ったと思い、本人の前では言えない「うちの女房は弁天様だ、ありがとよ」と口にしたところで女房がまだ居たことに気が付く場面では、会場からも大きな笑いが起こった。
楽しいくすぐりもあって、酔っ払いの主人が「つまみ出せ!」と言うのに、女房がすかさず「あんたを?」が可笑しかった。
以前聴いた印象では、上手いけど固いなぁ、という思いが強かった。しかし、この高座には、肩の力がほどよく抜けた感覚があり、ご本人も楽しく演じているように思えたし、聴く側も大いに楽しめた。
芸協入りして少し時間も経ち、久しぶりの寄席の空気を、ご本人も満喫している、そんな印象だ。
宮田章司 売り声 (13分)
実は初である。ようやくお聴きすることができた。
「松戸の皆さんは、どちらに?」と声をかけ、中央部分の大勢の方が手を上げていた。ご自分も松戸近くにお住まいらしい。
すぐに舞台から会場に降りてこられ、リクエストに応えて、次のような売り声を地声で披露。
さお竹屋・金魚・あさり/しじみ・豆腐屋(みそ豆)・朝顔の苗、そして貴重だったのは「吉原細見売り」だった。
83歳とのこと。まだまだ、頑張っていただきたい。こういう方こそ、「重要無形文化財(人間国宝)」に値するような気もするなぁ。
三笑亭茶楽『文七元結』 (32分 *~16:13)
お目当てだったトリ。
短いまくらから「本所達磨横丁~」の言葉で、気分は高揚した。
一日しか来れない席で、まさか、このネタに出会えるとは僥倖である。
佐野槌の番頭が長兵衛に羽織を貸すというのは、誰の型だろうか。師匠の八代目可楽はこの噺を持っていなかったと思う。可楽没後に兄弟子の夢楽の預かりとなっていたから夢楽に稽古してもらったのかな。
長兵衛の女房をやや鉄砲に造形したのは悪くないし、佐野槌の女将の威厳ある姿や、鼈甲問屋近江屋卯兵衛の貫禄には、流石と思わせた。
長兵衛が文七に五十両を恵む場面も、くどすぎず、結構。
サゲ前は時計を見てから判断した短縮版なのだろうか、近江屋が長兵衛と親戚づきあいをしたい、といった科白を割愛。
期待が高すぎるのかもしれないが、何度かあった言いよどみでややリズムが悪かったことが、残念だ。
昭和17年生まれで73歳だが、もっと若く見える。
今後、いぶし銀という言葉が相応しくなりそうな、そんな噺家さん。
終演後には外に団体さんが固まっていた。これから、どこかで夕食なのだろうか。
茶楽は、ぜひ今後も聴き続けたい人。
談幸も心身ともに充実しているように思えた。
そして、中堅の噺家さんや色物を含め、芸協の寄席、最近は全体として充実しているように思う。
落語協会の定席にも、そろそろ行かなきゃ、と思いながら帰路の電車の中で手帳を眺めていた。
う~ん、年内、いろいろと野暮用が多い。さて、あと何席聴けることか。
お終いの親戚づきあい云々はカットした方がすっきりすると思いました。
桂昌院を語源とする説は
あくまで風説、都市伝説的な
ことのようですよ。
身分の低い女性が
玉の輿に乗るほど出世する
という意味がたまたま
桂昌院の身の上に合って
更に『玉』という名前まで
一致した偶然中の偶然、
というのが事実のようです。
いずれにしても…
『天に選び抜かれた人』
ということに違いありませんが。
あ、天より先に
春日局に選ばれたわけですが。
なんとか「文七」に年内に出会えました。
近江屋の「親戚づきあい」は、たしかに必然ではないと思います。
しかし、私にとってこの噺は志ん朝の音源が耳に残っており、不要と指摘されても、欲しい科白なのですよ(^^)
あら、池袋にご出演というのに、ご丁寧なコメントありがとうございます。
なるほど、あくまで風説なんですね。
「春日局は、実は家光の母であった」、ということと同じ位の信憑度かな(^^)
なかなか笑組さんの漫才を見にうかがえないでご容赦のほどを!
おそれいります。
学者の先生でなく芸人が言う分には
面白いし、問題無いと思います。
水戸黄門だって水戸から出なかった
らしいですしね!
でも大奥関係で言うと…
七代家継が月光院と間部詮房の子。
っていう都市伝説は
なんとなく信じております…
客は1人ではなかったですが。
「お寝ない!」と亭主が駄々をこねるところで笑いました。
談志の弟子なのに、師匠のアクの強さは微塵も無い・・・
そうか、今は芸協なんですね。
立川流の行く末いかに、なんてこともかすかに思いました。
いろいろ野暮用続きで返事が遅れ、申し訳ありません。
さまざまな「都市伝説」がありますね(^^)
葉室麟の小説では、桂昌院わがまま(官位を欲しがった)が赤穂浪士の討ち入りに微妙につながっていることが、書いていますね。
お玉ちゃん、結構な玉です!
立川流は、一門として、もはや実態はないと思います。
それぞれの師弟関係があるのみ、ということでしょう。
談幸が楽しそうに寄席の高座に上がるのを見ると、各地飛び回って独演会で稼ぐ人気者とは別な形で立川流を継承しようとする健気さのようなものを感じます。
弟子の二人も、前座修行に励んでいるようで、応援したくなります。
