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七代目と九代目の正蔵-NHKファミリーヒストリーの録画を見て。

 初回放送は11月27日(金)の夜だったようだが見逃しており、4日金曜日の昼に再放送されたNHKのファミリーヒストリーの録画を見た。

 次のようなタイトルで、当代の正蔵が出演。

「林家正蔵~祖父は伝説の落語家 父・三平の秘めた思い~」

 NHKの該当サイトから引用。
NHKサイトの該当ページ
九代目林家正蔵。祖父・七代目正蔵は、風呂おけ職人から落語家に転じた異色の経歴を持つ。戦前から活躍した伝説の落語家だった。しかし父・三平は、祖父のことを語らず亡くなり、その人生は謎に満ちていた。取材で明らかになる祖父の素顔や思い。そして、父が祖父のことを語らかなった真意。さらに、一家の名字「海老名」の謎。元々、どんな家だったのか。浮かび上がったのは、幕府に仕えたある武士だった。驚きの事実の数々。

 この文章を読んで、ややひっかかかる点がいくつかある。

 風呂おけ職人から落語家に転じたことが、そんなに異色か?
 初代三笑亭可楽が櫛職人だったことを含め、江戸時代には元は職人の落語好きが高じて噺家になる人は、結構いたはず。

 また、七代目正蔵の人生は「謎に満ちていた」とあるが、本当にそうだろうか・・・・・・。

 二年前の祥月命日に、七代目正蔵の記事を書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2013年10月26日のブログ

 この放送で価値があるのは、なんと言っても七代目正蔵の高座『相撲風景』の映像だ。
 音源は結構残っているが、映像は初めて見ることができた。
 戦場の兵士たちのために撮影された映像らしい。

 その他には、なかなか売れない三平が売れるために見習ったのが、三遊亭歌笑とトニー・谷だったということで、最近ではめったにお目にかかることのないスターの名が登場したことは悪くはなかった。
 
 放送を見ながら書いた自分のメモに、次のような言葉が残っている。

 風呂桶屋、神田伯山、神田立花亭、大森竹次郎、今村次郎、海老名家、婿、下谷箪笥町・・・・・・。

 これらの名がどう七代目林家正蔵と関わりを持ったかは、下に引用したWikipedia「林家正蔵」の七代目の部分を読むことでも、だいたいのことは分かる。
Wikipedia「林家正蔵」

7代目

 1894年3月31日東京三の輪生まれ。本名海老名竹三郎。海老名という苗字は母方の実家の名字で海老名家は鉄砲奉行の同心の家と伝わる。
 家業は穴蔵屋であったと長らくされてきたが風呂桶職人で素人の天狗連で新内や落語を語っていた。20歳の時に3代目神田伯山の講談を聴いて落語家になった。はじめ立花亭で下働きを始める。1919年1月に演芸速記記者であった今村次郎の紹介で初代柳家三語楼に入門して玄人となり、柳家三平を名乗る、初高座は立花亭であった、その後内山歌と結婚。
 1924年3月に7代目柳家小三治を襲名して真打昇進。師匠三語楼が東京落語協会(現落語協会)を脱会したため、協会側の4代目柳家小さん一門から「(小三治の)名前を返せ」と詰め寄られ、そうこうしている間に遂に8代目小三治が出現。結局5代目柳亭左楽を仲立ちとして6代目遺族から名跡を譲り受け、1930年2月に7代目正蔵を襲名して事態を収拾。1930年日本芸術協会(現落語芸術協会)初代理事長を務める。1934年に東宝に移籍して東宝名人会の専属になる。

 落し噺、新作を得意とし、時事感覚に長けたギャグの達人であり、実子・初代林家三平の決めゼリフ「どうもすみません」や、額にゲンコツをかざす仕草(9代目もやる)も元来は7代目が高座で客いじりに使用したもの。怪談噺・芝居噺を得意とする歴代正蔵の中にあって、爆笑落語を通した異端児であった。SPレコードも多数残している。

 1949年、興行で青森県に行き、現地の風土病に罹患。それが元で1949年10月26日下谷病院にて死去。享年56。墓所は足立区常福寺。戒名は正恵院釈讃良意居士。

 9代目林家正蔵は孫にあたる。弟子に治助(のちの7代目橘家圓蔵)、柳家富士朗、柳家三太楼(現:紙切り師林家今丸の実父)、7代目春風亭小柳枝、三遊亭市馬(「ロセンの市馬」)等がいた。実子・三平も末期の弟子であるが、育てきる前に7代目が亡くなったことから、7代目圓蔵門下に移籍した。

 しかし、「謎」と言われた七代目正蔵の来歴については、引用したWikipediaと、そう大きくは違わなかった。上方でも大いに活躍したことなどの情報が加わり、写真や関係者へのインタビューなど映像で表現されているとはいえ、それほど新しい情報があったようには思えない。

 観終わって、違和感を覚えた。

 当代正蔵が、「初めて知った」「知らなかった」というような言葉を繰り返していたことだ。

 私の印象は、「え~っ、知らなかったの?」ということ。

 正蔵という大跡を襲名するにあたって、彼なら、それ相応に調べただろうと思う。
 Wikipediaでさえ、紹介したような情報を確認できる。

 あの番組に、初めて知るようなことがそれほどあったのだろうか・・・・・・。
 あるいは、「知らなかったフリ」だったのか。

 番組終盤で、初代三平直筆の『源平盛衰記』の台本が「ねぎし三平堂」に収められてることが紹介されていた。

 観終わって、「ねぎし三平堂の販促番組か!?」、とまで思ってしまった。

 根岸の女将さんは、東京大空襲の語り部として、私は尊敬している。
 しかし、この番組で知る“ヒストリー”は、期待しているほどの発見がなかったように思えてならない。

 繰り返しになるが、七代目正蔵の『相撲風景』の動画は、貴重。
 しかし、七代目の経歴や父三平のことについては、発見と言えるものはなかったように思う。

 期待していただけに、やや残念。
 
Commented by ほめ・く at 2015-12-06 21:33 x
7代目正蔵が歴代から比べると異端だったのは事実でしょう。だから謎でも何でもない。
息子の初代三平は落語が下手だったから、ああした芸に行かざるを得なかったのだと思います。三平の真打披露の時の『湯屋番』なんて聴けたもんじゃない。到底真打の芸ではなかった。むしろ当代の正蔵の方が正統を目指していると思います。しかし残念ながら8代目の域には、遠く及びませんが。
NHKは何だか海老名家に遠慮があるのか、妙に持ち上げるのか気に入りません。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-07 08:42
>ほめ・くさんへ

謎の一つとして、元々山崎姓だった七代目が、なぜ海老名になったかということがあったのですが、それは侍の家系だった母の実家に跡取りがいなかったので海老名の姓を継いだということで、謎というほどでもないんです。
襲名騒ぎを含む祖父のことや、父三平のことは、それほど謎ではないですよね。
正蔵のNHKへの貢献もあるのでしょうが、どうもNHKの海老名家贔屓が目に付いた番組でした。
花緑が出演した五代目小さんの回は、なかなか貴重な情報や映像が多くて結構でしたので、期待しすぎました。
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by kogotokoubei | 2015-12-06 16:39 | 幸兵衛の独り言 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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