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職人と信仰-「江戸の職人 その『技』と『粋』な暮らし」より。

 早いもので、12月。
 
 先日、「お会式」のことや、落語のネタ『甲府い』『鰍沢』などについて記事を書いた。

 江戸の人々にとって、信仰や祭事は深く生活に根付いたものだったからこそ、落語のネタにも信心深い人々や物語が残ったのだと思う。

 年末の祭事と言えば、酉の市。
 浅草の酉の市は11月なので今年は29日が三の酉だったが、鷲(おおとり)神社の本社とされる埼玉久喜の鷲宮(わしのみや)神社は、12月最初の酉の日、今年は11日に大酉祭が行われる。

 鷲神社は、日本武尊を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰されてきた。
 江戸時代にも、数多くの人が、年末の酉の日にお参りしたことだろう。

 最近読み返した本に、江戸の人々、なかでも職人さんと信仰について書かれた内容があった。

職人と信仰-「江戸の職人 その『技』と『粋』な暮らし」より。_e0337777_10494897.jpg

鈴木章生著「江戸の職人 その『技』と『粋』な暮らし」

 江戸関連本も多い青春出版社のプレイブックス・インテリジェンスシリーズの一冊に、「江戸の職人 その『技』と『粋』な暮らし」がある。
 本書の監修者鈴木章生という人は、本書発行時(2003年1月)は江戸東京博物館の主任だったらしいが、現在は目白大学の教授のようだ。

 第二章「職人と江戸っ子文化」の中で「職人と信仰」について書かれているので、引用したい。

業種ごとの職業神

 職人たちは、古くからそれぞれの業種ごとに、特有の職業神を信仰してきた。多くの場合、とある神が現れてその仕事を手伝ったとか、技術を開発したといった言い伝えにしたがって、職業神が決められていたようである。物を作り出すという仕事に従事する上で、宗教的な支えがあったことは想像に難くない。特に、古代から伝統的な技術を持つ職種にその傾向は強い。
 それぞれの職人たちは、その信仰に則って毎年独自の祭礼などを行っており、それは彼らの大事な年中行事になっていた。また、その信仰は仕事の現場に限らず、それぞれの家庭においても守護神的役割を果たし、職人たちの精神的なよりどころとなっていた。
 たとえば大工、屋根葺(ふき)、石工、左官などの建築関係者たちは、聖徳太子を祀り、毎年二月二十二日に太子講を行っていた。その信仰は、聖徳太子が寺院建立の祖であるとされていたところからきている。昭和の初期頃までは、建築関係の職人の家や店には、必ず太子の掛け軸などが祀られていたという。
 一方、鍛冶、鋳物師、錺職人など金属加工関係者たちは、稲荷を信仰していた。これは、10世紀末、京の三条にいたという鍛冶が刀を打つときに、稲荷神が現れて共に槌を打ったという言い伝えからきている。彼らは十一月八日に稲荷祭を行っており、これを別名、鞴(ふいご)祭といった。ただし、これは職人たちが一同に集まって行うものではなく、各自の家で内々に祀ったものだった。
 また、金属加工関係者の中には、天目一筒命(あめのまひとつのみこと)を信仰する者たちもいた。こちらは、天照大神が天の岩戸に隠れていた間、刀や斧を作っていたという伝承からきている。
 他にも、紺屋は愛染明王(あいぜんみょうおう)を、挽物師(焼き物職人)は水上祖神を信仰したことが知られている。


 仕事によって、それぞれ信仰対象があり、心の拠り所になっていたんだなぁ。

 曲尺(かねじゃく、さしがね)を広めたのが聖徳太子と言われており、大工さんたちの家にあった聖徳太子像は、曲尺を持った姿であったようだ。

 富士講、大山講、えびす講などと同様に太子講もあったのだ。二月二十二日は、聖徳太子の命日。

 今日では大工さんが不足しており引く手あまたのため、その手間賃も増えているようなので、大工さん→聖徳太子ということから一万円札を連想してしまう自分が、なんとも野暮でいけねぇや(^^)

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by kogotokoubei | 2015-12-01 12:49 | 江戸関連 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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