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第25回 池袋たまごの会 池袋演芸場 10月23日

 久しぶりの落語は、前から行きたかったのだが縁のなかった、この会。
 
 古今亭志ん輔が、協会を問わず二ツ目の育成の場として開いている会で、場所が変われど「たまごの会」の名で開催されている。
 本家(?)の池上の実相寺では、9月27日(日)に68回目を開催をしている。
 実相寺は日曜開催もありなかなか縁がなかったのだが、今回の池袋は日程的にも巡り合わせが良かった。

 加えて、志ん輔がまくらで、池袋ではこの日が最終回とのことで、ぎりぎり間に合った、ということになる。
 
 次のような構成だった。
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(開口一番 林家たま平 『子ほめ』)
入船亭小辰   『いかけや』
古今亭志ん輔  『火焔太鼓』
柳亭小痴楽   『祇園祭』
(仲入り)
小痴楽&小辰 コント
立川吉幸    『芝浜』
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林家たま平『子ほめ』 (14分 *18:30~)
 初、である。協会のプロフィールによると、二年前4月に正蔵に入門、昨年8月から前座、とのこと。実は、次の小辰が明かすのだが、正蔵の息子さん。私は知らなかった。
 元気なのは結構。ただし、時おり巻き舌になるところは修正したほうが良いだろう。しかし、前座として一年余りにしては、しっかりした高座で、親の血と祖父の血のどちらが今後出てくるか、などという興味もないではない。
 
入船亭小辰『いかけや』 (18分)
 まくらで、たま平のことを明かした。また、この会が協会の壁を乗り越えていて、この日のトリは落語芸術協会の前座が務める、と言ったあたりは、仲間内のご愛敬か。
 まくらでお祭りの夜店の「型抜き」のことを話していたが、へぇ~、小辰の子供の頃にも、まだあれがあったのか。そういったまくらは本編に相応しく良かったので結構期待させたのだが、やや残念。鋳掛け屋が、悪ガキ共が大挙やってくる時に、独り言の小さな声でぼやいているのだが、その同じ調子で子供たちとの会話がすばらく進んだところが噺の盛り上がりを削いでいた印象。子供たちがやって来てからの会話は、もっと大きな声が欲しかった。次のうなぎ屋では、対照的に大きな声でのやりとりとなり、楽しい雰囲気でサゲまで進んだので、前半が少しもったいなかった。

古今亭志ん輔『火焔太鼓』 (31分)
 床屋へ行ったのかな、しっかりと決まった(?)頭髪。
 池袋での会は、この日が最後とのこと。どうも、会場の費用に理由があるらしい。結果として、私はなんとかぎりぎりで間に合ったことになった。小咄と少しふり、昔の商売のことから古本屋のことになり、小さん全集のサインの逸話から小さんを真似てみせたが、これが結構おかしかった。
 本編で特徴的だったのは、火焔太鼓を売った代金三百両を五十両づつ数える場面での演出。今後また変化する可能性もあるので詳しくは書かないが、一つだけ明かすと、百両の場面で鳥が羽ばたくような仕草をするのが、なんとも可笑しかった。もちろん、女房も同じ格好をする。
 このあたりが、師匠の芸の呪縛から解放された、という一つの証左なのかもしれない。ブルブル震わせる顔の芸を含め、志ん輔ならではの演出があって、大いに結構だと思う。出演する二ツ目たちのことを思ってか結構抑え目の高座だったが、噺の勘所はしっかり押さえていたのは、流石。


柳亭小痴楽『祇園祭(祇園会)』 (25分)
 まくらで鯉八、松之丞と年に一回、貧乏海外旅行に行く話。これまで、台湾、タイに行った時の逸話を楽しく聞かせる。来年は正月にベトナムに行くらしい。旅の噺のまくらとして結構だったと思う。
 その8分ほどのマクラがあったので、本編は16分ほど。
 
 私はこの時期にかける噺は、26日のNHK新人落語大賞向けかと思っていたので、どれほど刈り込んでこの噺の楽しさを演じるかと思って聴いていた。

 ずいぶん前にこのネタについて記事を書いたことがある。
2009年7月4日のブログ

 その時の内容と重複するが、本来のあらすじは次の通り。

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(1)江戸っ子三人が連れ立って伊勢参りを済ませた後、京見物にやって来たが、
  京都の夜の街で金を使い過ぎてしまい二人は先に江戸に帰り、京都に叔父の
  いる男だけが残る。
 (かつては、残る江戸っ子を八五郎として、八五郎が病に伏せ、他の二人が先に
  江戸に帰る、という筋書きが主流だったようです)

(2)叔父と茶屋で祇園祭を楽しむ予定だったが、祇園祭の当日、伯父に用事が
  でき、替りに茶屋で一人で楽しむことに。
 (この部分も叔父に替わって一緒に飲むことになったのが叔父の知り合いの京者、
  という設定もあります)

(3)茶屋に居合わせた京者がいつしか京都の自慢話を始めた。「王城の地だから、
  日本一の土地柄だ」と自慢する京者。「ワァー、ハー、ハーッ」という間延び
  した笑いが、短気な江戸っ子をいらつかせる。ついに京者が、江戸を「武蔵の
  国の江戸」ならぬ「むさい国のヘド」と言うに至り、江戸っ子は“切れた”。

(4)江戸っ子は、京都の町の面白くないところをことごとく上げて反論していく。
  そしてこの噺のヤマ場に向かう。、

(5)江戸と京都の祭りのどっちがいいかという話になり、二人は祭り囃子や神輿
  の情景をそれぞれ言い合って譲らない。
  京者が祇園祭の囃子を「テン、テン、テンツク、テテツク、テンテンテン・・・
  ・・・」とやり、対抗して江戸っ子は「なんて間抜けな囃子だい。江戸は威勢
  がいいやい。テンテンテン、テンテンテンツクツ、ドーンドン、ド、ド、ドン、
  テンツクツ、テンツクツ・・・・・・」とやり返す。

(6)二人のお国自慢合戦はまだ続き、京者が
 「御所の砂利を握ってみなはれ、瘧が取れまんがな」と言うと、江戸っ子は、
 「それがどうした!? こっちだって皇居の砂利を握ってみろい・・・・・・」
 「どうなります?」
 「首が取れらぁ!」で、サゲ。
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 小痴楽は、前段の(1)(2)を地で簡単に説明し、料理屋の会話から。これは、妥当だろう。
 聴かせどころは、もちろん、江戸っ子と上方者の自慢合戦であり、舌戦だ。なかでも、口で太鼓や笛を真似る江戸の祭囃子にこの噺の楽しさがあるのは、ご存知の通り。そして、舌戦と祭囃子を、いかに立て板に水で語るかも、大事。
 もちろん、小痴楽も、そのへんは百も承知、二百も合点だろう。
 上方者が江戸っ子を馬鹿にして京都自慢をした後の笑い方「ダーッ、シャッシャッシャ」「ヤー、シャッシャッシャ」は、印象的だ。
 江戸っ子の言い立ても全体的には悪くなかった。
 しかし、この高座からは、もしNHKをこの噺で狙うとするなら、気がかりな点があった。
 江戸っ子が上方者の悪口として「風を喰ろうて屁をこいとる」と言う科白を「屁を喰ろうて風を・・・」と言い間違えて言い直した。さすがに小痴楽は、上方者に「せっかくいいところで言い間違えおって」と語らせ笑いを取っていたが、これはNHKでは笑いをとるどころか、減点を喰らう。
 まだ、この噺が腹の中に、しっかり納まっていない、という印象だ。
 江戸弁の言い立ては、この人の大きな魅力だが、この高座では、ややスピードを制御しきれていないように思った。
 もちろん、二ツ目としては十分に及第点だし、中堅真打としても通る高座だとは思う。
 しかし、NHKの大賞を取るには、まだ足らない、と思う。

 仲入りとなり、喫煙所でご通家と思しきお客さん同士で、小痴楽の高座が、やや強引な部分のあることに触れながら「あれも小痴楽の魅力だから」とおっしゃっていたが、まったく同感だ。

 実際にこの噺でNHKに臨むのかどうかは知らないが、もしそうなら、最後まで磨き上げて、ぜひ健闘を祈りたい。

柳亭小痴楽&入船亭小辰 コント「平成のヒーロー」 (7分)
 意外におもしろかった。下手なテレビの一発芸の漫才よりも、ずっと良かったなぁ(^^)

立川吉幸『芝浜』 (33分 *~20:49)
 本人もまくらで「池袋演芸場は15年前の余一会に前座で出させていただいて以来ですが、今回トリですが、また前座です」と笑わせていた。
 師匠の談幸が立川流を脱退し落語芸術協会に入ったことから、一年期限付きの前座になったことは、志ん輔のブログの紹介を含めで今年2月に記事に書いた。
2015年2月25日のブログ
 元々師匠が本格古典派であり、その弟子なので、高座は実に真面目。
 この噺に関して、昨今、どうも過度に持ち上げる風潮があるのが腑に落ちないが、圓朝作の名作であることは否定しない。
 吉幸の高座について、どう表現すればいいのか考えたが、あえて言えば「教科書のような高座」である。
 三木助--->談志の流れを引く、魚勝が三年目に店を持つ、という筋書き。
 芝の浜に朝日が昇る情景もしっかり描いているので、より三木助版に近いと言えるかもしれない。
 ほとんど、言いよどみや言い間違いがなかったように思う。
 もちろん、まだ若いので深みがあるとは言いにくいが、実にしっかりした高座には驚いた。
 一年限りの前座修行は太鼓などを含む楽屋仕事を覚えるためにも重要だろう。しかし、まくらでは、疱疹ヘルペスができた、と言っていたが、疲れもストレスもないはずがない。
 一年の前座修行の姿を先輩たちがしっかり認めてくれるなら、あえて言うが、来年、真打昇進してまったく不思議はないだけの経歴と技量のある噺家さんである。
 

 ようやく行けた初の「たまごの会」は、池袋では最後の会、ということになった。
 まったくそんなこととは知らず、こちらの思いと都合との巡り合わせでしかない。
 思いもしない縁に驚き、喜ぶ、そんな夜だった。

 一日経ち、ラグビーワールドカップ準決勝のニュージーランド対南アフリカ戦の前に、なんとかこの記事を書き終え、外で一服すると、綺麗な月。

 なぜか世間は、ケルト人の大晦日(10月31日)の悪魔払いの伝統行事に沸いている。

 明日25日は旧暦九月十三日、そう十三夜だ。

 日本人なら、月を静かに愛でたいものだ、と私は思う。

Commented by saheizi-inokori at 2015-10-25 10:43
落語愛を感じますね。
私は横着冷淡だなあ、その点。
Commented by 幾代太夫 at 2015-10-25 12:17 x
私事ですが、偶然たまごの会の前の下席に行っておりました。
終了後に界隈をぶらついておりましたので、幸兵衛さんとニアミスしていたかもしれません…笑

またトリ前の喜多八師の演目は「いかけや」でございました。こちらも偶然ですね笑
Commented by kogotokoubei at 2015-10-25 17:34
>佐平次さんへ

いえいえ、そんなことはありません。
私も、結構冷たいところはありますよ(^^)
ただ、手弁当で若手を支援する志ん輔や、まだまだ足らないながらも頑張っている二ツ目のことを応援したい気持ちはあります。
志ん輔の思いが、どこまで落語協会の幹部に伝わっているのか・・・・・・。
連雀亭もしばらく行っていないので、近いうちに、と思っています。
Commented by kogotokoubei at 2015-10-25 17:39
>幾代太夫さんへ

あら、そうでしたか。
私は6時15分頃に入場したと思います。
小辰の「いかけや」が喜多八に稽古してもらったのかどうかは分かりませんが、喜多八のような味が出るまでは、まだしばらくかかるでしょうし、それも当たり前のことでしょうね。
最後の池袋たまごの会に行けたにが幸運でもありましたが、もっと前に行けば良かったという悔いもないではありません。
しかし、それも“縁”なのでしょうね。
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by kogotokoubei | 2015-10-24 23:28 | 落語会 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛