「鴻池の犬」ではなく、「鴻池は犬」・・・・・・。
2015年 09月 17日
鴻池祥肇(よしただ)という男が、良くも悪くも、今の日本では実に有名になっている。
いわゆる戦争法案を論議するはずの参院平和安全法制特別委員会の委員長として、ここ最近はつとに有名になった。
彼は、鴻池善右衛門の鴻池財閥とはまったく関係なく、鴻池組の方に関係している。
大伯父の鴻池忠治郎が鴻池組や鴻池運輸の創業者。侠客としても知られた人だ。
鴻池祥肇には、この大伯父の血は流れていないのか・・・・・・。
彼は昭和15年生まれで、日本青年会議所の会頭を経て国会議員になった人。
公式ホームページのプロフィールから、彼の「座右の銘」を紹介しよう。
鴻池祥肇公式HPの該当ページ
座右の銘
信無くば立たず
政治に最も大切なものは国民との信頼関係である
政治家は一本のろうそくたれ
政治家は自分の身を燃やし燃え尽きるまで、身を削りながら世のすみずみまでを照らし出し、よりよき社会を造るべく働くものである
かつて女性問題でも話題を提供したが、郵政民営化では、当初反対していながら、その後「民意」を考慮して賛成に寝返った。
さて、彼は「国民との信頼関係」を大事にするのであれば、今すべきことは何か、じっくり考えて欲しいものだが、どうも「座右の銘」は空手形、いや、大嘘だ。
「民意」は、どこにあるのか、分からないらしい。
同じような年齢、あるいはもっと目上の人たちが国会前に詰めかけている現実こそ、「民意」の表出である。
上方落語に『鴻池の犬』という噺がある。東京では『大どこの犬』として演じられる。
元ネタは、次のような内容。
ある商家の軒先に黒、白、ぶちの3匹の犬が捨てられていた。ある日、男が商家を訪ね、その中の黒犬を欲しいと申し出る。 断られた男が後日持参したのは、鰹節、酒、反物などの数々。 それらの土産は犬に相応しくないと断る主人だが、男は自分が鴻池善右衛門の使いであると告げる。鴻池家で飼っていた黒犬が死に、その犬をかわいがっていた子供が落胆しているとのこと。商家の黒犬が亡くなった犬にそっくりなので、ぜひとも欲しいと言う。主人も事情を聞いて依頼に応じ、黒は鴻池家にもらわれた。
贅沢な暮らしをし、近所のボスとなった黒犬。ある日、見慣れない痩せ細った犬が近所の犬にいじめられ、鴻池の家の前まで逃げて来た。黒犬がその痩せ犬の生い立ちを聞けば、三匹の兄弟で捨てられていたが、兄弟のうち黒犬はお金持ちの家にもらわれたが、ぶちは車にはねられて亡くなったとのこと。黒は、その犬が兄弟の白だと分かり、再会を喜び彼の面倒をみるようになる。
サゲの地口は、今では分かりにくいかもしれない。
鴻池祥肇という男。
この人は、いわば恵まれた家に生まれた、「黒犬」のようなものではなかろうか。
同じような年代の方が、雨に濡れながらも国会前に詰めかけている。
もし、「座右の銘」にあるように、「国民との信頼関係」を大事にするのなら、国会前の人たちに対して別れた兄弟のような思いで、鴻池の黒犬がぶちにそうしたように、迎えることができるのではないのか。
しかし、安倍内閣の「犬」でしかないなら、「鴻池は犬」と言わざるを得ない。
大伯父の侠客としての血が流れているのなら、弱き者を助ける義侠心を見せて欲しいが、どうも、そんな気概はないようだ。
「鴻池は犬」なら、座右の銘に「政治に最も大切なものは国民との信頼関係である」などとは、書かないで欲しいものだ。
公式ホームページに、次の「好きな言葉」が載っている。
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きてゆくということは
その借りを返してゆくこと
(永 六輔)
今回は、委員長役を譲った「ヒゲ」に、借りをつくったのか。
我が家にも犬が二匹、いや、二人いる。
彼等は、大事な家族だ。
たとえば桂枝雀の「鴻池の犬」を聴くと、ぶちが亡くなるのは辛いが、黒と白の兄弟再会場面には、胸が熱くなる。
しかし、「鴻池は犬」の場合の「犬」は、言うまでもなく蔑称であり、ボスに従順な子分のことで、可愛いくもなんともない。
松戸での紀州犬の事件には心が痛んだが、自民党の飼い犬は、主人に噛みつくことはないだろう。
来年の参院選の後に、彼は議員としては「いぬ」存在である。
苦労知らずの坊ちゃんが、周囲からおだたられてそのまま七十過ぎになった、そんな印象を受けます。
青年会議所っていう組織、私はまったく好きになれないんですよ。
真っ当な若い創業者や経営者は、ロビー活動などしている暇もなければ、群れることを好まないではないか、と思うんです。
古希を過ぎた、甘ちゃんですね。
