人気ブログランキング | 話題のタグを見る

河童のことから考える、いろんなこと。



河童のことから考える、いろんなこと。_e0337777_10501336.jpg

*Studio Robinさんからお借りしたフリー素材
Studio Robinさんのサイト

 豪雨の災害情報により、昨夜のNHK木曜時代劇「まんまこと」の第七回「おさかなばなし」の放送は、来週に延期となった。

 鬼怒川の映像には驚くばかりだ。
 しかし、想定できなかったのだろうか。人災の要素は、たぶんにありそうな気がする。
 行方不明の方のご無事をお祈りするばかりだ。

 
 「まんまこと」を見てから書こうと思っていた内容なのだが、復習ではなく予習として(?)、「河童」について書きたい。
 「おさかなばなし」は、河童にまつわる物語なのである。


河童のことから考える、いろんなこと。_e0337777_09403222.png


杉浦日向子監修『お江戸でござる』(新潮文庫)

 何度か紹介している『お江戸でござる』は、平成7(1995)年から平成16(2004)年まで放送された、NHK「コメディーお江戸でござる」を本にしたもので、もちろん杉浦日向子さんの監修。

 単行本は杉浦さんが存命中の平成15(2003)年にワニブックスから発行されていたが、図版を入れ替えて、新潮文庫から杉浦さんが亡くなった翌年、平成18(2006)年に発行。

 この本には、河童は江戸時代に実在していた、と明確に書かれている。
 江戸時代は、全国各地に河童がいて、大名から学者に至るまで、実在を認めていました。
 ということなのだよ。
 どんな姿だったのか、引用を続ける。
 河童にも、いろいろな形のものがいます。四足歩行のものは、イタチとスッポンを合体させたような形で、二足歩行のものは、毛の生えているもの、表面がヌルヌルした鰻の肌のようなものと二種類あります。色は、青黒いものと、褐色のものがいます。共通しているのは、頭にお皿があってくぼんでいる点です。常にお皿に水がないと弱ってしまいます。手が長くて膝の下まであり、髪は赤毛で、ざんばら髪になっています。口が犬のように尖っていて、亀のようにギザギザの細かい歯が並んでいます。足に水掻きがあります。

 上のイラストとは違う姿だが、あまりリアルな絵にすると、ちょっと怖いからね(^^)

 決して、河童は空想上の生きものではなく、江戸時代には実在した・・・ということなのである。
 日本各地に、河童伝説がある。

 たとえば、横浜市神奈川区のサイトには、知る人ぞ知る「滝の川の河童」について、次のように記載されている。
横浜市神奈川区のサイトの該当ページ
民話「滝の川のカッパ」

 区役所の近くを南の方に向かって流れている滝の川。かつて権現山の山上からひとすじの滝が流れ落ち、滝川となってこの川に注いでいました。このため、この川を「滝の川」というようになりました。その滝つぼには、数百年も生きているカッパがいたといわれています。
 滝つぼの主であったカッパは、近くの東海道に出かけては旅人にいたずらをしたり、馬から荷物を奪っては馬子を困らせていました。ある日、神奈川宿に住んでいた剣術使いの浪人がそのカッパをつかまえると、カッパは涙を流しながら「わたしには夫がいましたが、去年、大蛇に決闘を挑まれ、殺されてしまいました。残された二人の子どもを養うために、悪いこととは知りながら人間に迷惑をかけていました」との打ち明け話。「今後二度と悪いことはしないので命だけは助けてください。先ほどの話がうそではない証拠に、命の次に大切なものを今夜差し上げましょう」と手をあわせて懇願するので、浪人も同情して許すことにしました。そしてその夜、浪人宅に昼間約束したカッパの夫のサラが投げ込まれました。
 カッパがくれたのはサラではなくカッパの頭だったという言い伝えもあります。

 他にも、全国各地、中でも九州や沖縄に数多くの河童伝説が伝わっている。

 そして、江戸時代には、河童に限らず、多くの妖(あやかし)が実在した、と言われる。
  
 『まんまこと』の作者畠中恵の大ヒットシリーズ『しゃばけ』に登場する妖たちは、必ずしも空想上のもの、とは言えないかもしれないのだ。

 また、江戸の人々の考え方そのものが、妖怪の存在を認めるものであったことが、『お江戸でござる』の中で各章の最期にある「杉浦日向子の江戸こぼれ話」に記されているので、紹介。
 江戸の狐狸はよく人間に化けて社会にとけこんでいます。人間のほうでもそれを喜んで、狸の和尚さんに揮毫してもらい、それを代々伝えているなどということもあります。とてもつもない美人がいると「あれは狐だ」というなど、その存在を当たり前のように信じているのです。
 落語『狸』シリーズや『王子の狐』などが、まんざら絵空事とは思えないではないか。

 「あれは狐だ」と言いたい美人には、なかなかお目にかからないのは、狐が、人間に化けようとする気持ちが薄らいできたのかもしれない。王子でもえらい目にあったし、人間の方が、ずっと恐ろしいからかなぁ。

 このあと、杉浦さんは、江戸の人々の考えについて次のように説明する。
 江戸の人々は、人間を万物の霊長とは考えていません。動物も人間も一緒で、蚤一匹殺すのにも、「祟られるかもしれない」と思いながらつぶします。命に関する考えが今と違って、「次は自分が虫に生まれてくるかもしれない」と思っているのです。「今つぶしたのが、前のお婆さんだったらどうしよう」などと本気で心配します。江戸っ子が環境について優しいのは、根本にそういう考えがあるからです。
 ものも、粗末に扱えば「百鬼夜行」で夏の夜中に練り歩くと思われています。しゃもじ、枕、破れた行灯などが、ぞろぞろと行進するのです。「きちんと最後まで使いきりましょう」と、子どものうちから教育されます。今の東京だったら、百鬼夜行だらけで人が歩けなくなってしまいます(笑)。

 輪廻転生、と言う言葉を思い出すねぇ。
 私は、前世は羊だったと思う。そうでなければ、未年生まれの牡羊座、ということはなかろう(^^)

 八百万の神という考えは、台所の鍋や釜、しゃもじにも命がある、ということか。

 これって、今の日本人にとって、実に重要な示唆を与えることではなかろうか。
 
 よく言われることだが、物を大事にする、修理をして一つの物を長く使う、という考え方は、江戸時代では当たり前だった。
 それは、江戸時代にあった次のような買ったり売ったり直したり、という幅広い仕事人の名を眺めれば、よく分かる。
 古着屋、鋳掛屋、瀬戸物焼き継ぎ、下駄の歯入れ、古傘買い、羅宇屋、ほうき買い、灰買い、古椀買い、木っ端売り、付け木売り・・・・・・。

 現在は、たしかに修理するより新品を買った方が安い、という経済的な理由もあるだろうが、あまりにも早く物を捨て過ぎると思うなぁ。
 ゴミをたくさん排出する今日の世の中を考えると、リサイクルの仕組みがしっかりしていた江戸時代を大いに見習う必要性を感じる。

 物を大事にするという精神は、本当は3.11以降に我々が取り戻すべき日本人の美徳だったはずなのだ。
 まだ、四年余りしか経っていないし、いまだに避難者の方は約二十万人もいらっしゃる。

 物を大事にすること、そして、相互扶助の精神でお互い助け合うこと。
 本来持っていた日本人の美徳を、取り戻す機会がったのに、喉元過ぎれば、何とやら・・・・・・。

 3.11の後で、若いデザイナーの方が制作した、買い占めに反対する下のポスターが注目され、私もブログで紹介したことがある。

河童のことから考える、いろんなこと。_e0337777_15250958.jpg


 日本人は、良くも悪くも、変わり身が早い。変化への適応性が高い、とも言えるが、変わっちゃいけないものもあるように思う。

 古い物を大事にする文化が根づくには、その根底に、江戸時代の人々には当たり前だった、物にも命があるという考えがなければならない、ということかもしれない。

 そして、古いものより新しいものが良いという現在の風潮は、江戸時代には存在した日本人の大事な逆の哲学を喪失することにもつながる。

 杉浦さんは、こう説明する。
 同じものをいつまでも使い続ける誇りが、江戸にあります。「年季が入っている」「年代物だ」といわれると、褒められたことになります。江戸の人々は古いものほど価値を置きました。人間にしても、一年でも多く生きている人を尊敬します。「一年分の春夏秋冬をよけいに知っているから、自分よりも価値が上なのだろう」と考えるのです。江戸では最新の知識よりも、その人が長年培ってきた経験や技術が尊重されます。
 釣り、盆栽、歌舞音曲、俳句-と江戸の道楽はすべからく「隠居文化」です。若い人は「青二才」「若造」と馬鹿にされます。今だと年を取ったということ自体が馬鹿にされるので、若作りして見せるなど若さに執着しますが、江戸では逆にファッションを渋めにして老けて見えるようにします。頭が禿げたり白髪になったりしても風格がついたと喜びます。老いは誰しも初めての体験です。三十代なら三十代、四十代なら四十代という一度しかない年齢を過ごそう、と江戸の人々は考えます。いつまでも若さにしがみつくのは愚かしいことだと考えるのです。

 
 「隠居文化」って、なかなかいい言葉だなぁ。

 儒教の精神も根底にはあるかもしれないが、目上の人を大切にしていた日本人の心は、いったいどこへ行ったのか・・・・・・。

 河童のことから、やや拡散気味ではあるが、実に大事なことを『お江戸でござる』は教えてくれている。

 河童や狐狸妖怪は江戸時代に実在していた
        ↓
 その背景として、人間が万物の霊長ではない、という考え方が根底にあった
        ↓
 しゃもじなど台所の道具にだって、命が宿っていると考え大事にしていた
        ↓ 
 新しいものより古い物、そして、自分より目上の人を大事にする考えが根強かった

 こんな関係になるだろうか。

 この本からは、目に見える現象の根底にある、考え方、哲学の重要性を教えてくれる。

 江戸の人々が人間が万物の霊長とは考えなかったように、人間としての奢りを捨ててはどうか。
 その考え方が、自然や他の生物への真摯な接し方につながるだろう。
 
 自分が前世で虫だったかもしれないし、来世には蟻になるかもしれない、という発想を持ってはどうか。
 どんな物にも命が宿っている、と考えてみてはどうだろうか。
 そうすれば、物を粗末になんか、できやしない。

 そして、新しいものが古いものより上、という思いを、「本当にそうか?」と問い直す必要があるのではなかろうか。


 最近のニュースで思い浮かべるのが、ホテルオークラが、建て替えのため取り壊されることだ。

 「日本的建築美の創造」をテーマに外装、内装から各種設備まで日本古来の美しい紋様を取り入れ、海外の著名人からも愛されていたホテル。
 海外からも、多くの人が、取り壊しに反対のメッセージを送っていた。
 
 ネットで、取り壊しの理由は、国の東京五輪に向けた虎ノ門再開発を請け負うオークラの株主の森トラストの判断による、という記事を見た。ホテルより貸しビルの方が儲かるので、採算の取れないホテルが全体の再開発計画の犠牲となった形だ。
「ITmediaビジネスONLiNE」の該当記事

 それが事実なら、東京五輪に向けた「開発という名の破壊」の象徴的な出来事だろう。

 私も行ったことはあるが、たしかに古くはなったが、格調高く美しいホテルだと思う。
 「1万8000坪の芸術」と称されることもあり、多くの海外からの宿泊者が写真を撮るホテル。
 世界的なデザイナーや建築家が、取り壊しの暴挙を非難していたが、文化も美学もそっちのけので経済の論理が優先したのだ。

 新しいものの方が古いものより上、という、江戸の人たちとはまったく逆の考えが根底にあるのだろう。
 
 もっと、古い物を大事にし、目上の人を敬うことが、本来の日本人の心を回帰させることになるのではなかろうか。そして、その姿勢は、海外の人々からの尊敬を得ることにもつながる。

 この思いには、還暦を過ぎても何ら周囲から労われることの少ない親爺の僻みも、少し混じっている、かもしれない。しかし、まだまだ若いつもりなので、労われなくてもいいけどね。

 私なんか若造よりも労わられ尊敬されるべきなのは、国会デモや全国で戦争法案反対活動にに参加されている高齢者の方々だろう。

 「戦争は二度と嫌だ」という強い思い、そして、さまざまなご自分の経験を胸に、多くの七十代、八十代の方が、今の人生を精一杯自分らしく生きようとされている。


名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2015-09-11 20:50 | 江戸関連 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛