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新宿末広亭 8月下席 昼の部・主任&夜の部 8月29日

 久しぶりの寄席。
 原則として土曜の夜は落語会や寄席には行かないのだが、野暮用続きで行く機会のなかった今月は、そうも言っていられない。
 昼の部の主任の柳家小袁治の高座以降、夜の部の正雀がネタ出ししていた『牡丹燈籠・お札はがし』まで。
 *拙ブログの通例で「師匠」は割愛。

 座間で正雀の見事な高座に接し、これまで積極的に聴いてこなかったことを反省した。
2015年8月10日のブログ

 この席では円朝もの中心のネタ出しで演じることを小袁治のブログで知ったので、なんとか野暮用を片付け、小袁治の高座から間に合うように出かけた。
 そういえば、前回の末広亭は5月5日の祝日で、やはり、昼のトリ近くに入場し、歌丸の板付きの高座を聴いてから、夜の真打昇進披露興行を楽しんだのだったなぁ。私が北見マキを見ることのできた最後の寄席でもあった。
2015年5月6日のブログ


 さて、入場した時は正楽の紙切りの後半。
 二階席にも少しお客さんがいた。好きな下手の桟敷に空きを見つけて、とりあえず座席を確保。
 夜の部では二階は閉ざされ、椅子席で七割程度、桟敷が半分位の入りだったろうか。 
 
 なんとか間に合った昼の部のトリの感想から。

柳家小袁治『柳田格之進』(41分 *~16:38) 
 袴で登場。マクラで夜の正雀の高座までお聴きくださいと、この方ならではの気配り。
 この噺で初めて聴く工夫として、柳田が彦根藩を離れる際の、彼を慕う部下との別れの場面があった。短いながら、柳田の人柄を偲ばせる良い演出だったと思う。
 番頭徳兵衛が湯島で柳田と再会するのが、事件のあった翌年ではなく、翌々年の正月としていた。なるほど、だから、柳田が彦根藩に戻ることができて元の部下たちの協力で五十両をつくり、吉原からお絹を請け出したところ、やせ衰え老婆のようになっていた、という時間の経過と辻褄が合う。
 よって、サゲは徳兵衛とお絹が所帯を持つ、というハッピーエンドにはならない。碁盤を斬り、「柳田の堪忍袋というお噺」でサゲた。
 小袁治の見た目は、なかなか侍に似合いである。万屋源兵衛、番頭徳兵衛、そしてお絹もしっかり描かれた好高座だった。
 元が講談ネタで、志ん生が落語として普及させたが、定型のある噺とは言えないネタだと思う。
 だから、噺家さんによって、筋書きや演出は人それぞれでも構わないと思う。
 湯島切り通しでの出会いの日も、小袁治は1月2日としていたが、人によっては1月4日。
 そういう細かな違いもあって筋書きへの影響はないし、噺家さんそれぞれが、柳田という人をどう造形するか、ということで全体の流れも変わって当然だと思う。お絹の吉原での過ごし方、そして、サゲの内容なども人によって違って不思議のない、という珍しい噺ではないだろうか。
 小袁治が、彦根藩での別れの場面を挿入した型で演じたのは、柳田という人物が、下の者には慕われていたが、つい本当のことを言ってしまうので、上にはうけが悪い。しかし、最後にはその誠実さが伝わるのだ、という人物像を強く意識したような気がした。
 それは、現在の落語協会における立ち位置が、なんらかの心理的な影響したのか、と思うのは、少し勘ぐりすぎかな。

 昼の部がはねて、桟敷の空間も広かった。場所を替えて、コンビニで買った弁当で腹ごしらえ。
 夜の部について、出演順に記していこう。印象の良かった高座にをつける。

入船亭ゆう京『二人旅』 (7分 *16:52~)
 開口一番は、扇遊のお弟子さん。昨年4月の扇遊・扇辰の二人会以来。あの時は、『道具屋』を20分以上演っていた。長さには少し閉口したが、その高座には今後に期待していた。しかし、今回は、少し残念。二人が二人とも似た口調、それも、暗いゆるい語り口でそっくりなので、噺のリズムが出ない。精進していただこう。

林家ひろ木『動物園』 (7分)
 本来は彦丸と一蔵の交互出演なのだが、代演でこの人。来春五人が真打昇進すると二ツ目の香盤が一番上になる。すぐ下が、二ツ目に同じ時期に昇進した、この日に仲入り後のくいつきを務める朝也なのだが、比較するのは可愛いそうか。若手が客席に拍手を催促する高座は、感心しない。

笑組 漫才(「かずおの失敗」?) (12分)
 本来はくいつき朝也の後の出番なのだが、浅い時間での登場。
 かずおが仕事に来るのを忘れたという複数の失敗のネタ。話は可笑しかったものの、やはり深い時間で十八番のネタを聴きたかったが、これも寄席だ。
 それにしても、前の日の下手の桟敷に外人さんがたくさんいた、というのは、いったい何だったのだろう。はとバスは、末広亭には寄らないよね(^^)

古今亭菊太楼『幇間腹』 (13分)
 菊志んの代演。二年ぶりに聴くが、以前感じた線の細さのようなものが払拭された印象。幇間の一八も実に楽しく、若旦那とのやりとりも可笑しかった。見た目も語り口もスッキリしていて、どこか扇辰を思わせるような感じもする。今後、少し気にしたい噺家さんだ。

初音家左橋『粗忽の釘』 (11分)
 6月の「しんゆり寄席」での『棒鱈』の高座を思い出す。短い時間でも、しっかりと客席を笑わせた。八五郎が伊勢屋で出会った女房に後ろから忍び足で近づき、八つ口から手を入れておっぱいをツンツンが、なんともセクシーだったなぁ(^^)

美智・美登 奇術 (12分)
 袋と卵、新聞紙の梯子の後、住吉踊りから、と言って「深川節」をご披露。いいねぇ、こういう芸。

林家鉄平『代書屋』 (14分)
 過去の記事で確認すると、一昨年4月に同じ末広亭、小満んが主任の席で『桃太郎』を聴いている。その時もそうだったようだが、この人、自分で笑ってしまう癖があるんだなぁ。
 このネタは結構ニンかもしれない。バンツマなる無筆な依頼人の口から、エクセル、ワード、パワーポイントなんてぇ科白が出るあたりは、なかなか可笑しかった。

鈴々舎馬桜『うなぎや』 (14分)
 馬生が横浜にぎわい座に出演のための代演とのこと。
 前段で、男が仲間から飲ませてやると浅草界隈をひきずり回されて、挙句の果てに隅田川の水を飲まされた、という話を加えてから、職人がいないからタダで飲めるという鰻屋へ二人連れが行く。水槽には、切られ与三郎うなぎや旗本退屈うなぎ、咳をしている「不如帰」の浪子うなぎ、などがいて楽しい。
 こういう噺でしっかり笑わせるあたり、やはりこの人は上手いと思う。
 どうしても、元は立川流であることや、かつて志らくがまくらで名指しで批判していたことなどを思い出してしまうのだが、そんな過去のことはもういいじゃないか、などと思いながら聴いていた。

三増紋之助 曲独楽 (15分)
 本当に“語り”の上手な人だと思う。滅多に演らないと言う「要返し」の引っぱり方など見事。客席を元気にしてくれるという意味でも、落語協会で不可欠な色物さんだと思う。

桂南喬『あわび熨斗』 (14分)
 小里んの代演で、久しぶりに聴くことができた。好きだなぁ、この人の高座。甚兵衛さんが、途中で可愛そうになってきて、客席の同情を誘う(^^)

春風亭一朝『たがや』 (17分)
 仲入りは、この人。桟敷で私の近くにいらっしゃったお客さんから「待ってました!」の声。そのおかげで、マクラにおける歌舞伎の大向こうの話に入りやすかったように思う。九十六間の両国橋での出来事を、見事に高座に描き出した。江戸っ子の科白や仕草も流石。やはり、いいなぁ、この人。

春風亭朝也『新聞記事』 (13分)
 くいつきには、二ツ目からの抜擢でこの人。来年の真打昇進が五人なので、再来年昇進は確実だろう。八五郎を楽しく演じ、客席を沸かせた。役割は十分に果たしたようだ。

ホームラン漫才 (11分)
 下手のたにしが、まず昔のスポンサーの名や製品名が入るテレビドラマの主題歌(たとえば、ナショナルキッド、とんま天狗)を歌って客席を沸かせた後、勘太郎が、藤木隆や山本リンダの真似で、より大きな笑いを誘い出す。この人たち、ハズレがない。

林家時蔵『しわい屋』 (12分)
 初めて、のはず。落語協会が290名、落語芸術協会は140名、立川流60名、円楽一門が50名と、マクラで各協会所属の落語家の人数を並べたのは、何か意図することがあったのか・・・・・・。
 上方では『始末の極意』。一個の梅干で三週間ご飯を食べる方法などから、庭の松の木を握らせての、体を張った始末の伝授を楽しく聴かせた。渋い中に、なんとも言えないお茶目な色合いを含んでいるような、そんな印象。

入船亭扇遊『家見舞』 (14分)
 時蔵と真打昇進の同期生が登場。ちなみに、古今亭志ん輔も同じ昭和60(1985)年9月の昇進だ。志ん輔の日記風ブログでは、時蔵と楽屋で会うと、なんとも嬉しいようなことを書いている。一緒に前座修行をした仲間との交流は、特別なものがあるのだろう。
 兄ぃの新居祝いを出し忘れた二人の楽しい会話が実に結構だった。あの壷を二人合わせて五十銭より内輪の三十銭で手に入れる、という設定って、意外に少ないような気がするなぁ。
 湯銭と言って兄ぃが五十銭くれた時、「おい、これでもう一つ買えるな」とヒソヒソ話で言うのだが、結果論だが、先に兄ぃの新居に来ていれば、持っていた五十銭と合わせて一円で祝い品が買えた、という計算か(^^)

鏡味仙三郎社中 太神楽 (9分)
 三人で登場。芸より、とにかく仙三郎が元気そうで、良かった。

林家正雀『牡丹燈籠~お札はがし~』 (32分 *~21:00)
 一度緞帳が下りたのは、高座に、蝋燭(電気だが)を用意するのと、明かりを落とすため。
 柳家小袁治のブログ「新日刊マックニュース」には、この蝋燭の写真や、楽屋に貼ってあるのだろう、正雀の、円朝もの中心の怪談ネタでの九日間のお題が掲載されている。
柳家小袁治「新日刊マックニュース」
 ネタ表の写真をお借りする。

新宿末広亭 8月下席 昼の部・主任&夜の部 8月29日_e0337777_16122874.jpg

 一日休演があるが、並んだこれらのネタ、結構凄いと思う。
 この内容を、なぜ落語協会のホームページ、あるいは末広亭のホームページで掲載しないのか、実に残念だ。
 さて、本編のこと。初日で語られたはずの二月に亀戸の梅見の後、幇間医者の山本志丈に連れられて、新三郎が柳橋の寮(別荘)でお露と最初の出会いをしたことを地で語ってから、その後のことに。
 新三郎は、お露に会いたくてたまらないのだが、一人で行くのは厚かましいと思い、山本志丈が来るのを待つのだが、なかなか来ない。原作では夢を見る場面があるが、それは割愛して早や時は過ぎて六月も半ば、ようやく志丈がやって来た。しかし、なんとお露が、新三郎に恋焦がれて死に、看病疲れで女中のお米も後を追ったとのこと。
 悲嘆にくれる新三郎さが、お盆七月十三夜の月を見ていると、深夜八つ過ぎに、下駄の音がカランコロンと・・・と怪談話のクライックスにつながっていく。

 昨年の9月に関内での柳家小満んの会以来聴く噺なのだが、その構成や力点は大きく異なる。
2014年9月27日のブログ
 小満んは、独演会での高座でもあり、正雀の本格的な連日の通し口演ではないぶん、その前段の筋書きにも力点を置く。
 たとえば、新三郎とお露の柳橋での初対面の場面。
 お露が女中のお米に言われて、新三郎が厠を出てから柄杓で水をかけてやるのだが、新三郎を見ることができず、水があちこちへ。新三郎が手を動かして、という場面で笑いをとる。
 さて、お露が持っていった手拭いの上から新三郎がお露の手を握り・・・・・・二人は相思相愛であることを確認。
 これは、志ん生の音源にもある演出で、それはそれで結構だった。
 しかし、正雀は発端についてはすでに演じているということと、題の通りに「お札」をはがす場面でま演じたい、という思いがあるからだろう、そういった艶っぽい場面は割愛。
 というか、この人は、真面目なんだろうなぁ。
 志ん生の音源では、笑いがとれる場面でしっかり客席を笑わせるのだが、正雀は、あるいは、師匠の八代目正蔵は、円朝の怪談噺への向き合い方が違うのかもしれない。
 新三郎の世話をしている伴蔵と女房のおみねが、幽霊の女中お米から百両をもらうこと、そして結果として金無垢の海音如来をいただくことで、せっかく幽霊除けに新三郎が貼ったお札をはがし、その結果新三郎が無残な死をとげ、伴蔵とおみねは、伴蔵の故郷である栗橋に引越し、荒物屋を始める、というところまで、しっかり。
 実に格調の高い高座だった。ただし、せっかくネタ出しもしている席、たとえば寛永寺の鐘の音などを含め、下座さんや前座さんの協力も得て、音響効果があったほうが良かったのではなかろうか。
 しかし、そういった仕掛けは一切なしで素噺に執着するのも、正雀の高座ということなのかもしれない。
 最後には、彦六の声色での奴さん、大成駒屋の声色で姉さんの踊りを披露。これは、座間でも見せていただいたが、贅沢な高座だった。


 終演後に外に出ると、そぼ降る雨の中、深夜寄席に並ぶお客さん達。若い人ばかりでもない。こういう場所で並んでいる人達が、本当の落語ファンなのかなぁ、などと思いながら帰路を急いだ。
 帰宅して一杯やると、とてもブログを書く余力なし。
 一夜明け、雨でテニスは中止。
 岩隈が登板しているメジャーリーグを見たりしながらブログを書き始めたが、途中で本を読んだり、なかなか集中できない。
 結局、書き終えたのは、以前から行くと決めていた相模大野のデモに参加した後であった。

 それにしても、正雀の円朝シリーズのネタ出し一覧、なぜ落語協会のホームページで掲載しなかったのか、実に残念だ。
 末広亭のホームページで掲載してもらうにしても、落語協会からの問いかけが必要だろう。
 今年は行けなかったが、鈴本の夏祭り、さん喬・権太楼の会のネタ出しや雲助の主任の席のネタ出し、池袋演芸場の企画ものの案内などと末広亭の違いを感じる。

 ちなみに、池袋演芸場の9月中席は、三遊亭白鳥作『任侠流れの豚次伝』を、いろんな噺家さんが演じる番組が記載されている。
池袋演芸場のサイト 

 これは、落語愛好家にとっては、実に有難い情報である。

 鈴本や池袋の例は、協会というより、噺家と演芸場との緊密な関係があってのことかとは思う。
 では、末広亭は・・・・・・。
 
 数年前、末広亭の席亭は落語芸術協会が主催する寄席の客の入りが少ないことに苦言を呈した。
 さて、それでは、現在の末広亭は、他の定席と比べて、営業努力をしていると言えるのだろうか?
 もちろん、落語協会が、もっと噺家の立場で、寄席の情報を発信すべきことは当たり前だ。
 しかし、寄席によっても、そのホームページに“料簡の違い”が出てきた、そんな気がする。


 本日8月30日、国会前には12万人とのこと。相模原も、三カ所合計だとは思うが1000人は超えたと言っていた。
 この国民の声は確実に実るはず、と思ってデモ後の酒を呑んでいるのであった。


p.s.
後から「新日刊マックニュース」を拝見し、小袁治版『柳田格之進』は、十代目金原亭馬生の型であることを知った。なるほど。
また、『柳田格之進』と『牡丹燈篭~お札はがし~』の共通点を見のがしていた。
それは、お盆七月の月。かたや、万屋であの事件が勃発、こなた、深夜八つ過ぎにカランコロン、である。
Commented by kanekatu at 2015-09-01 10:06
今日はこちらの名前で失礼します。一昔前までは怪談噺を終えた後は寄席の踊りでお客を明るい気分にして帰すと言うのが通例だったようで。さすがは正雀、伝統をキッチリ守っているわけですね。
昨年から今年にかけて色々な人の『お札はがし』を聴きましたが、やはり小満んがベストだと思いました。
安保法案ですが、まだまだ油断は出来ません。
Commented by kogotokoubei at 2015-09-01 12:55
>kanekatuさんへ

正雀の芸、まさに伝統を継承をする正当派、という感がします。
寄席の踊りも、形が決まっているんですよね。
根岸に名を返さなければ九代目正蔵は、この人でしたね。

さて、kanekatuさんも上方落語の会の記事で書かれていましたが、桂りょうばの誕生には、驚きました。
東京での会も結構ありそうですので、そのうちぜひ聴きたいと思っています。

安保法案、最後には正義が勝ちます!
Commented by at 2015-09-03 06:53 x
よく江戸前といいますが、
それを感じさせるのが先代三木助と一朝の「たがや」です。
きっぱりした口調が醸し出すムード。

芝居のような噺ですから主侍は誰、供侍は誰、たがやは誰、
と現代の俳優を配しては、想像して楽しんでいます。
Commented by kogotokoubei at 2015-09-03 08:50
>福さんへ

一朝は、寄席でも落語会でもハズレがないですね。
あの江戸っ子の口調は、現役では追随を許さない、のではないでしょうか。
なるほど、配役を想像する、というのも落語の副次的な楽しみかもしれませんね。
たがやは、だれや・・・・・・なんてね(^^)
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by kogotokoubei | 2015-08-30 20:42 | 落語会 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛