符牒について-『浮世断語』より。
2015年 08月 16日
三遊亭金馬 『浮世断語』
私は、噺家が書いた本の中で、三代目三遊亭金馬の『浮世断語』が、もっとも優れた本だと思っている。
この本は、ある本を読んで、次に読む本が決まらない少しの間にめくる本の一つ。
だから、座右の書、の一冊といえるのかもしれない。
安倍首相の談話ではないが、どうも政治家には特有の言葉、表現、いわば「符牒」があるように思う。
そんなことを思って、この本の「符牒」について書かれた章を読み返してみた次第。
「符牒の語源」の章の冒頭から引用。
何商売にも隠し言葉、隠語、俗に符牒というものがある。この符牒にも通り符牒と内符牒とがあって、通り符牒は同商売であればどこへ行っても通用するが、内符牒というのはその家だけの符牒だから、同商売でもほかの家の者がきいたのではわからない。
なるほど・・・・・・。
では、「積極的平和主義」というへんてこな言葉は通り符牒なのか、内符牒なのだろうか、なんて思ってしまう。
すべての符牒に上品なものは少ない。
われわれ咄家も昔はずいぶん符牒を使ったものだ。見習から前座になるまで、この楽屋符牒を覚えるのに苦労したものだ。またこの符牒を全部知っていないと一人前の前座といえなかったが、この頃では楽屋でもあまり使わなくなった。現在の若い咄家はほとんど使わないといっていい。実に結構なことである。
あらためて記録に残しておくほどのものでもないが、言葉を商売としている咄家で、その語源を調べてもるのも面白いと思った。
私は、実に貴重な記録として残してくれたと思う符牒を、少しだけご紹介。
「今夜はスイバレだからキンチャンカマルよ」
雨のことが水で「スイ」、降ることを「バレル」、「キンチャン」は金を持ってくるので客のこと、「カマル」は加えるで客が多くくる。
寄席の打ちだし、終いも「はねた」といわない。
「何時にバレた」
助平の話も「バレ話」。何か隠していることがあらわれても「さてはバレたかな」なぞという。もとは「破れる」と書いたらしい。
よいことを「ハクイ」、悪いことが「セコイ」。便所へ行くのを「セコバラシ」に行く。よいお客は、「ハクイキンチャン」。顔のことは「トオスケ」。「あのタレはハクイトオスケだ」つまり美しい顔の女。
この頃では、中学、高校の若い女の子までが符牒を使っている。先生のことは「センチ」。女のことを「スケ」。悪い顔を「ブス」、これも不様のスケをつめてブス。
まだまだ本書で紹介されているが、今回はここまで。
古今亭志ん朝の大須のマクラでも、かつて噺家だけの符牒が、今では一般の人が使うようになっていると話し、「ヤバイ」という言葉などを例にしていたりする。
「セコイ」なども、もはや符牒とはいえないなぁ。
今、私が思うことは、セコイ内閣は、早いうちにバラしたい!
お立ち寄りいただき、コメントまで頂戴して、誠にありがとうございます。
志ん朝の「井戸の茶碗」が落語との出会いとは、実に理想的な落語デビューですね(^^)
あまり楽しい記事ばかりではないかもしれませんが、今後も気軽にお立ち寄りください。
「浮世断語」は、どこから読んでも楽しい本ですよ。
この本からは、今後も度々記事を書くつもりです。
今よりゆっくり説くように、話すのです。
歴史に詳しいご隠居みたいに、ってそうか、まさにそれなんですよね。
幼い海老名香葉子さんを引き取った人情家としても知られていますね。
「やかん」なども、まさにうってつけ(^^)
金馬の「金明竹」における謎の上方人(?)の言い立ても、実にゆっくりしていながら、可笑しいのですよね。
あのネタを、自分自身がスピードを制御できない位に語る若手が多いのですが、単純に速ければいいってもんじゃないことが分かります。
ご指摘のように、根岸のおかみさんは空襲で焼け出された「竿忠」の娘で、釣り好きの金馬が引き取ったことから、三平との縁が生まれたようです。
「浮世断語」には、釣りの話もあって、川柳なども挟まれており、これも読んで実に楽しい。
やはり、この本は名作です。